自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

宮沢賢治 ①

2010年10月11日 | Weblog
(一昨々日、宮沢賢治について触れた。多くの人が彼のファンであるのに、僕が敬して遠ざけざるを得ない人物の一人が宮沢賢治。彼について記そうと思ったことがあったが、手がつけられなかった。野沢一という余り知られていないが、僕の好きな詩人が賢治について小文を書いているので、それを2回に分けて紹介することにする。ただ、野沢の文そのものに理解し難いところがあり、読者は想像を逞しくする必要がある。なお、以下は一昨年の自遊想に記したことがある。)

 彼はよほど深く考えていた人の様に思う。そしてこの世の中に偉大な敬意を表していたようだ。そして、その敬意と尊敬は必然に農に向かってそそがれて行ったのであろう。
 賢治さんはものの源は何であるかを二十歳時代に見てとった。そして人間の身体の起源と心の起源とを織り合わせたもののうちで何が一番重要であり、手ごたえがあり、美しくあり、深くあろうかを考えて農に往つた。そして生涯の詩と云うものを戸外の畑と田の中に播いておこうと考えた。
 彼の心は深遠である。私はこの間、彼の所謂宇宙の図も一寸のぞいたが、彼の心はこの球体にもひかれているが、又別の球体の馬鹿に淋しい一つの沼にも索かれている。そしてその沼のあたりに小屋を建てて菩薩達と仲よくやっていこうと考えていたらしい。或は菩薩ではあきたらなくて、幾人かの造物主の卵たちと暮らして行きたかったらしい。けれども彼はこの現在の地球に生を受けたことは実に有難いことだと思っていたのであろう。そしてその肉身と心とは貧しき農にささげ、その霊骨と目とは別個のもっと自分の気に入った真の大球体にささげ、この二つを共々に生きてみようと志ざしていたようだ。
 けれども彼はその詩魂よりも先ず実行を徹底してこの栄えある黒土にその住家を求める。そしてここに童話や詩はなくもがな、嵐の晩に田をみまわることを忘れないのである。そして濡れれば濡れる程、彼は他の球体に於いては『俺の身は暖まっているのだ』と自信する。彼は他の如何なるものにも目をくれず、ただ独創に生きて、法華経を誦しつつ雨の日にも雪の日にも、ただいい稲が沢山とれてお百姓たちが喜ぶ顔を唯一の生涯の詩とする。そしてあまりに熱心のために身体をこわせば賢治さんはこう思う。『何、別の球体に於いては俺の身体はますます強くなって、こんなに美しく、健康を得ようともしないのに、この天空海濶の達者さだ。この地上で働けば働く程、天は別の球体が俺の身体をいとおしんでくれる。努めなくてはならぬ。俺はまだ足らぬ。偉大なる貧しい農夫の濡れている身体を思えば、俺の身体なんぞ薪にして彼等の肉と骨を暖めてあげるのだに。ああ又今夜も大嵐だ。稲を考えると泣きたくなる。出かけよう。そして少しでも助けよう』。そうして彼は雨風の中に、岩手の国、宮沢賢治の身体を消して、田の畔を濡れに濡れて歩き回り、稲の穂を抱いて泥に泣くのだ。けれども真っ暗の雨の晩、たれも宮沢賢治が田の中に顔を入れて泥だらけで泣く姿なんか見やしない。ただ稲だけは静かにこれを見ているのである。『不思議な男だ。自分の家の田でもないのに。ふかい男だ。こんなのは珍しい、それに泣きはらしたような、控え目な眼の美しさはどうだ。そして稲をかかえて、あの淋しい顔つきをして稲をにぎっている姿はどうだ。いとおしい子、俺は天へ手紙を出してやろう、こんな男もここにいるのだと・・・・』(続く) 

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