無信心者の僕ではあっても、仏像に会うと心安まることがある。何故かは分からない。分からないことがあってもよいと思う。
関連してもう一つ分からないことがある。
仏像の中でも何故か十一面観音像に惹かれる。仏像巡りをした訳ではないのだが、お会いした仏像の中で十一面観音像が多かったように思う。室生寺の、聖林寺の、法華寺の、渡岸寺の、観音寺の、十一面観音。
どの像にも、お会いした時の気持ちの微かな揺れが今も残っている。それはそうだろう、どれも国宝なんだからと言われると、応えに窮するが、それはそうではないと僕は思っている。やはり何か正体不明の通じるものがあるのだと思う。
20年以上前に国立公園の川岸に落ちていた唐松の30センチぐらいの木切れを黙ってもらってきた。乾ききったその木に持ち合わせの彫刻刀で顔を彫った。僕のすることなすことすべてにしかめっ面をする家の者が、その木切れの顔を次第にほめてくれるようになった。十一面は勿論ないが、僕はひそかにその木像を観音さまだと思っている。観音さまは観音菩薩であり、菩薩さまはまだ悟りを開ききっていない修行中のお方である。一生修行せよと言われているような気がする。気がするだけである。
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