自 遊 想

ジャンルを特定しないで、その日その日に思ったことを徒然なるままに記しています。

草履

2009年12月29日 | Weblog
 僕は小学1、2年生の頃、4キロ近い道のりを祖母が夜なべで編んでくれた草履で通学した。が、冬も草履であったかどうか。冷え込む中、草履ではなかっただろう。では、何を履いて通学したのか、憶えがない。足袋に草履ではなかったと思うが。
 草履(ぞうり、わらじ)と言えば芭蕉に

   年暮れぬ笠きて草鞋はきながら

という句がある。『野ざらし紀行』の一句。芭蕉は貞享元年八月、江戸を発って伊賀へ帰郷の旅に出た。九月八日帰郷。その後、大和、吉野、山城と廻って名古屋、熱田で十二月末まで滞在し、正月は故郷で迎えた。そして、二月には奈良で東大寺二月堂のお水取りを見て、京都、近江から東海道を下って四月に江戸に戻った。あしかけ九ヶ月の長旅で、のちに紀行にまとめたのが『野ざらし紀行』である。芭蕉、四十一歳から二歳にかけての旅だった。
 この句は「ここに草鞋をとき、かしこに杖を捨てて、旅寝ながらに年の暮れければ」との前書きがあって、名古屋から伊賀への旅の途中の句。漂白のうちに年が暮れてゆく。その漂白の旅のなかの自分の姿をありのまま描いた句。旅を続けること半年余り、笠をきて草履のままの姿で、年が暮れてしまうのかという感懐が一句になった。旅の寂しさとともに、故郷へ向かっての旅という気安さもあったのだろう。芭蕉の句にしては、何となく安らかな思いが感じられる句である。

 現代は草履の時代ではない。小学校からの下校途中、雨で濡れると草履が縮み、足の指に食い込んでくる。痛かった。裸足で帰った。そんな記憶が蘇えってくる年の暮である。

2 コメント

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下駄 (パンダ)
2009-12-31 18:11:46
 記憶は薄れていくが。。冬でも下駄をはだしで履いてました。夏はあさぶらというゴム草履を履いていた。
わらじは、小学校に入るまえにはいていたとおもいます。
 裸足で走り回ってたのが。。
今ははだしでは怪我します。
 中学へはつっかけをはいて通いました。
でもねえ、わらじを編んでいた記憶がある。
ワラを槌で叩いたような記憶があります。
下駄 (理方)
2009-12-31 19:37:37
下駄は大学1年生の時に履いて通学しました。理方だけでした。

理方の故郷の山里では子供の履き物に木を使った記憶がありません。もっぱら藁。ゴム草履なんてものはありませんでした。ゴムつっかけ、ゴム靴、ゴム長もありませんでした。大人は地下足袋。

そういえば、藁を槌で叩いたような記憶があります。

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