合宿は大成功だった。概括的に三日間を紹介しよう。一日目は、素晴らしい内野手がテストを受けてくれた。彼がチームの守備練習に入ると内野陣がひきしまった。山?崎大輔ジュニアとのコンビは楽しみである。午後からは、延期されていた野田BCとの試合をおこなった。卑しい野次のない、清々しいチームだった。夕食後のミーティングでは、基本的な野球の心得を話した。
深夜、悪寒がひどく、風邪薬を飲んで、一晩中、氷をとっかえひっかえしながら、夜明けを待った。我ながら、体が柔になったものである。副部長は「今後は、監督用体温計を用意しておかなくては」と言う。「還暦を過ぎたご老体にからかわれるようでは…」と憎まれ口の一つも叩きたかったが、その元気も出なかったのは不甲斐ない話である。
二日目は、午後から、明治神宮外苑創建80年記念試合の「東京六大学選抜vs東京ヤクルト」の中継(フジテレビ739)のため、神宮球場へ出向き、ほとんどの練習を畏友・川島君と久保田コーチに任せた。真っ暗になるまでのハードな練習だったようだ。
夕食後のミーティングは、「攻撃・守備・投手の心得応用問題」などを行った。実戦例を挙げながら、「このケースで起こりうることはいくつあるか」と選手たちに問い、軽い討論をした。少しずつ頭を使う野球へ導かなければならないが、野球経験に大きな差のある選手たちを教えるのは、いささか困難である。対策を考えなければならない。
三日目は、朝6時に埼玉へ用を果たしに行き、正午過ぎに戻った。昼食を5分で終えて、午後1時からの試合に臨んだ。わざわざ群馬から遠征にきてくれた「オール高崎野球倶楽部」との対戦である。次々と繰り出してくる粒ぞろいの投手陣からなんとか3点をもぎとったが、惜しくも1点差の敗戦となった。
しかし、チームにようやく一体感が生まれてきた。その中心を担ってくれているのが松村、木藤、元野の3選手である。3人とも多忙な会社に勤務しながら、戦力的にも精神的にもチームの柱になってくれている。彼らを中心に自主的に行動できる積極性が選手たちが芽生えてきたのは、嬉しいし頼もしい。
YBCを創設して1年目が終わろうとしている。グランド問題を抱えながらも、試合数31、合宿3回、野球教室2回など、よく活動できたものだと思う。知人たちから「グランドの当てもないのに、チームを作ったのか?!」と、計画性の無さを指摘されたことは1回2回でないが、大きな困難が立ちはだかっている時には、無計画性はむしろ臨機応変の柔軟性となって、困難を打破できるのではないだろうか。
創設時の熱気を失ったメンバーや支持者が少なくない中で、ともあれ1年間やってこれたことに、むしろ私(そして創設時と変わらぬ活動量を保持しているスタッフ・選手たち)は、この上ない楽しさをおぼえるのである。
深夜、悪寒がひどく、風邪薬を飲んで、一晩中、氷をとっかえひっかえしながら、夜明けを待った。我ながら、体が柔になったものである。副部長は「今後は、監督用体温計を用意しておかなくては」と言う。「還暦を過ぎたご老体にからかわれるようでは…」と憎まれ口の一つも叩きたかったが、その元気も出なかったのは不甲斐ない話である。
二日目は、午後から、明治神宮外苑創建80年記念試合の「東京六大学選抜vs東京ヤクルト」の中継(フジテレビ739)のため、神宮球場へ出向き、ほとんどの練習を畏友・川島君と久保田コーチに任せた。真っ暗になるまでのハードな練習だったようだ。
夕食後のミーティングは、「攻撃・守備・投手の心得応用問題」などを行った。実戦例を挙げながら、「このケースで起こりうることはいくつあるか」と選手たちに問い、軽い討論をした。少しずつ頭を使う野球へ導かなければならないが、野球経験に大きな差のある選手たちを教えるのは、いささか困難である。対策を考えなければならない。
三日目は、朝6時に埼玉へ用を果たしに行き、正午過ぎに戻った。昼食を5分で終えて、午後1時からの試合に臨んだ。わざわざ群馬から遠征にきてくれた「オール高崎野球倶楽部」との対戦である。次々と繰り出してくる粒ぞろいの投手陣からなんとか3点をもぎとったが、惜しくも1点差の敗戦となった。
しかし、チームにようやく一体感が生まれてきた。その中心を担ってくれているのが松村、木藤、元野の3選手である。3人とも多忙な会社に勤務しながら、戦力的にも精神的にもチームの柱になってくれている。彼らを中心に自主的に行動できる積極性が選手たちが芽生えてきたのは、嬉しいし頼もしい。
YBCを創設して1年目が終わろうとしている。グランド問題を抱えながらも、試合数31、合宿3回、野球教室2回など、よく活動できたものだと思う。知人たちから「グランドの当てもないのに、チームを作ったのか?!」と、計画性の無さを指摘されたことは1回2回でないが、大きな困難が立ちはだかっている時には、無計画性はむしろ臨機応変の柔軟性となって、困難を打破できるのではないだろうか。
創設時の熱気を失ったメンバーや支持者が少なくない中で、ともあれ1年間やってこれたことに、むしろ私(そして創設時と変わらぬ活動量を保持しているスタッフ・選手たち)は、この上ない楽しさをおぼえるのである。