谷沢健一のニューアマチュアリズム

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日本選手権予選(その4)

2006-09-19 | YBC始動
 我々三人(私・加藤・久保田)は、初戦の勝利を確信して連泊の予約をしていたが、選手たちは慌てて宿舎を探していた者もいたようだ。それを救ったのが杉村主務で、彼が見つけた安価な民宿へ10人ほどが駆け込んで占拠したと言う。それを聞いて、久保田コーチが「3度目の合宿ができてYBCにはプラスですねー」と初勝利効果を喜んでいた。
 第2回戦は「かずさマジック」との対戦である。ふだん一生懸命やってきた練習の積み重ねが、こうした数段も格上の強豪チームと対戦できる、そんな「ご褒美」になるのだと一瞬感慨に耽った。
 昨日活躍した2選手が欠場(五十嵐君はケガ、元野君は広島東洋カープの新人テストに参加)したため、メンバーの編成を変えなければならなかった。第1回戦は20人がベンチ入り、今日は17人のベンチ入りである。
 高校生選手の参加が川上君一人であったのは寂しい。学校行事が集中する秋の3連休だから、様々な所用があったとは思うが、ベンチ入りできるせっかくのチャンスを生かさないのは残念である。未だに練習環境は恵まれてないが、大野君、カミ村君、五味田君、海老原君、樫田君等は本当に成長したと思う。今後、チームが強化されてもYBCの理念に準じたチームづくりは失いたくない。
 ゲームはホームページに掲載したとおり、7回コールド負けに終わった。先発のホソバヤル君が3回に乱れて、ゲームは崩壊したが、リリーフした金沢君も良い経験になっただろう。大差での登板になったが、一番投げたがっていた木藤君が、1失点を喫したものの、リズミカルなコントロールの良さを見せてくれた。上を目指し成長を遂げて行くには何が必要なのか、この大会で学んだことは多いはずだ。
 外野スタンドに掲示されていた「ゼロからの出発」の標語は、「かずさマジック」のスローガンだろうが、YBCにこそあてはまる言葉である。それを目に焼き付けて、私は球場を後にした。
 翌日、「かずさマジック」がJFEに勝利して第一代表になったと聞いて、YBCとしても大きな目標ができたことに感謝したい。

日本選手権予選(その3)

2006-09-19 | YBC始動
 新日鐵君津球場は、君津市のやや高台に位置している。球場周辺は大企業の町らしく、社宅と思われる集合住宅が群立していた。この地で松中信彦選手(ソフトバンク)や下柳剛投手(阪神)が育っていったのか。今では、市民球団「かずさマジック」となったが、新日鐵君津の時代から考えれば、隔日の感がする。そう言えば、昨夜の仲居さんが「与田剛(元中日)さんの実家はこのホテルから近いところですよ」と話してくれたのを思い出した。
 「おはよう」「おはようございます」と挨拶が飛び交う中で、ほぼスタッフや選手たちは集合しているようだった。体調の悪い蔵重コーチも愛娘優美ちゃんと一緒に早朝から応援にきてくれた。
 すでに相手チーム・松戸TYRは球場正面横で、円陣を組んでミーティングを行っていた。7月1日の練習試合では、YBCが4対11の大差で負けた。それだけに松戸TYRの面々も張り切っているのだろう。YBC創立時の前評判と現在の戦力とにギャップがあるせいか、松戸に限らず、対戦相手はたいてい戦闘意欲が高いように感じる。
 三塁側ダッグアウトに入り、今日のスコア担当の杉村主務に先発オーダーを伝えていると、「かずさマジック」の矢口選手兼任コーチが挨拶にきた。数日前に、電話で彼から君津のホテルの良否などを聞いていたのだった。彼の早大時代は佐藤清監督の時で、頻繁にコーチしたことを想い出す。4年生の秋季シーズンには6本の本塁打をかっとばした。もしも今日、松戸に勝てば、明日はかずさと対戦となる。
 一人遅刻してきたのは木津捕手だった。新日鐵工場内のグランドに間違えて行ってしまったという。これで、予定したスタメンは全員が揃った。
 新加入の元野、遠藤両君が遠慮せず積極的に行動してくれているし、5番DHの松村君も野球の厳しさを選手たちに注入してくれている。チームのムードは格段に明るくなり、声もよく出るようになった。
 試合は終盤に7対6と追い詰められるまで平池君が長いイニングを良く投げた。継投のタイミングが難しかったが、意を決してホソバヤル君(モンゴル出身)を送った。彼を育ててきて9年になるが、最近は身体も大きくなりスタミナも備わってきた。最近の練習では、まだまだミスが多いものの、球数も多く投じられるようになり、ストレートに力が付いてきた。
 9回表、遠藤君の3点タイムリーで突き放し、9回裏はホソバヤルが打者3人で締めた。
 この試合一番の好プレーは、センター元野君が左中間の飛球を横っ飛びに好捕するスーパープレーだった。これで平池君の最大のピンチが救われた。
 また、打順のつながりを重視して、要(かなめ)の山崎大輔君を6番にし、3~7番での大量得点を狙うという「奇策」を考えたのだが、6番を降格と思って発奮したのか、4安打1四球で全打席出塁という活躍をしてくれた。この大会を終えてから、都市対抗で優勝したTDKの練習会に参加する。面倒見のいい、人格の優れた選手だけに朗報を待ちたい。
 しかし、残念なこともあった。8回のピンチの際、セカンド五十嵐君が、ゲッツーを阻止しようとした走者のスライディングをまともに膝に受け、靭帯断裂の大怪我をしてしまった。ただ、トレーナーの勝原君が見事な応急処置を施し、武岡君(選手兼チームドクター補佐)が医師の父上に電話で意見を仰ぎながら、救急病院の手配をし、さらに上村コーチが救急車に同乗して、事の最後まで五十嵐君に付き添ってくれた。傷害保険の手続きは、杉村主務がすぐにやってくれる。スタッフのチームワークは、ほんとうに頼りになる。
 試合での個々のプレーに反省すべき点は多いが、公式戦初勝利を苦難の末、味わうことが出来た。何事も良いことの「初」は嬉しく、そして心に残るものである。