谷沢健一のニューアマチュアリズム

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日本選手権予選(その2)

2006-09-18 | YBC始動
 先乗りの副部長と合流して、私は久保田コーチと、君津駅に一番近いビジネスホテルに宿泊した。チェックインしてすぐに3人で遅い夕食をとっていると、携帯が鳴った。主力選手の一人からだった。「明日は○○ポジションは、僕をスタメンでやらしてください。病院で痛み止めの薬ももらってきました」と言うアピールだった。
 「その薬は飲んで試してみたのか。どのくらい効き目があるのかわからんだろう。症状を悪化させては、元も子もないしなー」「いえ、肩がぶっ壊れても構わないです。やりたいんです!」
 「その意気込みは嬉しいけどな。今無理すると好きな野球が一生できなくなるぞ。明日は、君の打撃を活かした形で使うことを考えている。それで頑張るんだ」といって諌めた。
 スタメンで一番気になっていたのは、先発予定の投手が今夜、到着しているかどうかだった。彼は合宿には参加できなかったが、練習試合ではマウンド度胸が良く、結果もそれなりに出していた。心配なのは、常日頃のYBCの活動に大型バイクで通っていることだった。他にも何人かバイクで通い、他の選手も事故を起こしている。尾崎えり子選手も、交通事故以来、姿を見せなくなった。
 念のために電話をした。「平池!明日は先発だ。君津にはもう来ているのか」「はい、すでにホテルに入っています」私は安堵して電話を切った。さらに、キャプテン格の木藤選手にも電話をした。5月の大敗以後、チームの陣容は大幅に変わったために、投手陣(トライアウトやクローズドテストの参加者で最も多かったのは投手だった)で、野手的能力のある者は、いくつかのポジションを守れるよういささか泥縄的に訓練していた。
 木藤君も、肘の状態を考慮して二塁手も兼用していた。だが、最近の練習では五十嵐遊撃手の動きが悪く、彼をセカンドへまわし、木藤君がショートという布陣で臨むことを決めていた。
 夜の9時だというのに、木藤君は「今、練習を終えたところです。これから、君津に入ります」「今日も沼南で自主練習したのか。明日はショートで行くからな」ほんとうは投手としてマウンドを踏みたいのだろう、返事の声のトーンは低かったが、彼もチーム事情を考えてくれてベストも尽くすだろうに違いない。しかし、試合前日のこんなに遅くまで練習しているとは、頭の下がる思いだ。自分の練習は勿論のこと、後輩たちの面倒を見てやっているのだ。こうした努力する選手が一人でも多くいることはYBCの誇りである。
 公式戦初勝利へ向けて、今できる最大限の準備は整った。「今晩の食事は思い出に残るなー」と少し感慨にふけったが、「ところで、打順は?」と加藤副部長に促されて、久保田コーチと電車の中で考えてきた打順構成を披露し、副部長に問われるままに、その理由を簡単に説明した。「今までにない打順だね。これには、選手自身が驚くぞ」。
 明日の朝食準備をしていた愛想のいい仲居さんが、コーヒーをサービスしてくれ、快い合宿気分で早めに床についた。

日本選手権予選(その1)

2006-09-18 | YBC始動
 9月16日から日本選手権千葉県予選が始まった。ほぼ企業に近い2チーム(JFE、かずさ)と、7クラブチームの計9チームが参加した。トーナメントの組み合わせなどはJABAのホームページに詳しいが、我がYBCは、春の都市対抗予選の戦績上、ランク付けが9番目、つまり最下位である。それでトーナメント戦の一番小さい山からのスタート、わかりやすく言うと、予選第1回戦を戦うのはYBCと松戸TYRだけで、他は第2回戦から登場である。
 尤(もっと)も、ものは考えようで、クラブチームはふだん練習試合を行うのもままならないから、公式試合を1試合でも多く行うのは選手にとっても悪いことではない(YBCは、創部6カ月ですでに22試合を行っているから、数だけは全国でも屈指だと思うが)。
 一回戦は8時半の試合開始とあって、アップなどを考えれば、会場の新日鐵君津球場には、午前7時の集合となり、やむをえず前日から宿泊せざるをえない。同じ千葉県でも房総半島は広いのである。私個人の考えでは、公式戦だからスタッフと選手の宿舎を球団で手配し、宿泊費も(貧乏YBCとはいえ)球団負担にしようと思って、10日の練習時に選手にもそう告げた。
 しかし、東京事務局に戻って加藤副部長と協議したところ、副部長は、「監督が黙々と練習後のロストボール探しをやっていたり、年上のスタッフ・選手が率先して用具を運搬していても、素知らぬ顔でいるような、一部のジコチュー(もちろん当人はそう思っていない)の選手たちを経済的にまで甘やかしたくない」と言う。
 「今までは事情を汲んで、部費未納でも、ほとんどとやかく言わなかったが、滞納のまま退団していった選手が複数も出てきている以上、今後のことを考えると、選手がまっとうな金銭感覚を身につけるまでは、厳しめにしたい」と、珍しく反対意見を述べた。
 私も少し逡巡(しゅんじゅん)したが、宿泊必要者と不必要者に差をつけてしまうことになるし、宿舎の手配くらいは社会人として自分自身で行うという意識を持たせるべきだと考え直し、私の案は取り下げることにした。
 しかし、早朝の球場到着が不可能な者には、宿代の領収書の提示を条件に1泊につき3千円を補助することにした。そう決めて、ただちに杉村主務が、一人一人に連絡をとる作業に入った。