たぶん、全国的には全く話題となってはいないと思うのだが、北海道ではちょっとばかり話題となった話がある。村上春樹作の短編小説「ドライブ・マイ・カー」のなかで、タバコを投げ捨てるシーンがあり、それを見た主人公が「たぶん中頓別町ではみんなが普通にやっていることなのだろう」と、主人公の感想が記されていた。この部分に中頓別町の町議が噛みついた。掲載された月刊文芸春秋に抗議。町民の名誉を傷つけられたという。道民としてもこの抗議はなんだかな?という感じ。小説に登場するというのは、いろいろな意味でむしろチャンスだと、思うからだ。
私は特に村上ファンではない。ノルウェーの森は読んだが、なんとなく似非左翼の香りを感じ、自分には合わない作家だと思っているからだ。ギリシャに隠遁するエッセイも読んだ。残念ながらエッセイも私には合わなかった。以来、全く触れていない。しかし一般的には作家の人気は高い。最近ではノーベル文学賞の最有力候補とか。二年連続で落選したけど、どうやら人気は衰えていない。その人気作家の短編小説である。話題作りには事欠かない。有名作家に便乗して、町の名前を全国的にする可能性もある話だと思う。
小説の内容がどれほど町民のプライドを傷つけるものであるか、読んでないけど極めて疑問だ。小説の中の主人公の感想にすぎないし、これを読んだ人がほんとうに信じるだろうか。小説や映画の内容を真実と思う方に無理がある。別の側面から見れば、いろいろな意味で小説が話題になれば、当然、村上春樹にスポットライトがあたる。抗議騒ぎは出版社としては悪い話ではない。もっと話題にしてくれないかな、というのが出版社側の本音なのではないだろうか。これによって受けるダメージなどほとんどない。
中頓別町は北海道の人間でもそれほど知らない町。全国的にはまったく無名。小説に登場する架空の名と思う人も相当いたはずだ。それが現実にある町だと知れば、興味を持つ読者もいるだろう。まして村上マニアには絶好のネタを提供したとも言える。この夏、この町に行ってみようと思う人が出ても不思議ではない。人口1千9百人の北海道北部にある過疎の町である。観光客が訪れる可能性がほとんどない町が、短編小説に登場したのである。町民にとって、まさに千載一遇のチャンスではないか。町議の抗議も販促一環としてみれば悪くはない。そこでさらなる話題作りに成功すれば、チャンスはさらに膨らむはずだ。
例えば、この夏をクリーンキャンペーン期間とし、街中に灰皿を配し、ちりひとつない町を演出するとか、豪華な喫煙場所を設けてそこでタバコを吸わせるとか、小説のシーンに登場した場所はここですという看板を立てるとか、小説の主人公の家なども作り上げるとか、いろいろやってみてはどうだろうか。訪れる村上マニアの気分を受け止めるという作戦だ。話題になれば、観光客もさらに増える可能性がある。出版社にも協力させ、本の販売も実施できる。小説の町を観光の町に変える演出を施せばいいのだ。
他人の勝手な妄想にすぎないので、中頓別のみなさん、気を悪くしないでください。これもチャンスですと、言いたいのです。かつて森進一の歌で「襟裳岬」という曲がヒットしたことがある。この歌詞の一部に襟裳の人がクレームをつけた。「襟裳の春は、何もない春です」。この一節が気に入らなかったらしい。何もない春とはどういうことだ、と。作詞家の岡本おさみは、何もないというのは物質的なことではなく、精神的なこと。つまり心にわだかまりがないから、誰でも輪に入れるという意味だと説明した(聞いた話で恐縮)。それで鎮静化したかどうかは知らないのだが、この歌以来、襟裳岬を訪れる観光客が倍増したことは言うまでもない。
中頓別町も受け入れ態勢次第では観光客が急増するという可能性があると思う。キタキツネが歩いてます。オジロワシの飛来をみることも普通です。それがどうしました、てなくらいの気持ちでちょうどいいのでは。
*村上春樹氏のコメントでは、単行本にする時は町名を変更する意向とか。中頓別町よ、これは逆に損するよ。お願いして、そのままにしてもらった方がいい。
北海道のみならず日本全国における過疎化は大きな問題でもあります。日本の人口が減少しているのだから、都市集中化もやむを得ないとは思いますが、どこかで歯止めをかけなければならないはず。地域振興という意味ではもっと真剣に考えなければならないと思います。
それはそれとして、この町議たちが話題を取ろうと計算してやった抗議なら、
それはまた見事だと思います。何しろノーベル賞候補作家にくぎを刺したんですからね。
今年、中頓別に行ってみたい気がします。
襟裳町も、「何言ってるんだ、襟裳には強風がある!」ぐらいのしたたかさが欲しかったですね。
彼の小説は貴兄と同じような理由で読んだことありません。
ただ、オール読物に掲載された「讃岐うどん食べ歩記」はおもしろかった。