原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

一人酒の時

2013年04月23日 08時00分00秒 | Weblog

 

巷間では一人酒はあまり良いことではないということになっている。ストレス解消としては逆効果であり、早死にする確率が高くなるらしい。かく言う私であるが、たまに一人酒をやる(週に一度くらいか)。ストレス解消のためではない。私流の理由があるのだ。早死にするかどうかは、いまだ分からないが、極めて少量で酔いが回る。したがって深酒になる心配がない。風評は理解してはいるが、自分には当てはまらないだろうと高をくくっている。一人酒が、けっこう自分にとって貴重な時間となる。自分勝手な人間だからという批判もある。それらを含めて、一人酒の効能はあると言いたい。

 

酒を飲むとき、付き合う相棒がいないととても寂しいものだ。酒があまりおいしく感じない。これはこれで認めている。だが、時に一人でしみじみ飲みたくなる時がある。これが分かれば理解はしやすい。精神状態が悪い時もあるが、そうではない時でも、そうなる。何かをじっくり考えたいときなど、酔いの中でめぐる思考の彷徨が貴重なのだ。こうした心境は個人的なものなので、誰かに言うことでもないのだが、誤解されることが多い自分としては、どこかで吐露しなければと思う。

 

一人で飲みたい時は、アテは簡単な方がいい。粗雑な単品がぴたりだ。酒はなにがいいかと言うと、喉で飲み干すようなビールはふさわしくない。焼酎も私には雰囲気でない。ワインには料理が必要になるからこれも違う。本来ならここは日本酒というべきなのだろう。ところが私は日本酒があまり得意ではない。そこで登場するのがウイスキー。それもシングルモルトとなる。これに合うアテはやはり個性的なものが良い。好みはいろいろあるが、鮭トバなどぴったり。ここでは刺身も煮魚もステーキもふさわしくない。炙ったイカや焼き立てのシシャモ、塩辛などもいいと思っている。この侘しさが漂う小道具があって舞台装置は完成する。最近ちょっと嵌まっているのが、鮭の燻製。標津の魚屋さんの自家製。これが驚くほどシングルモルトにマッチする。もともとスモーキーな酒だけに程よく調和する。スコットランドで買い込んだシングルモルトはすべて空にしてしまったので、今は日本製に頼っている。山崎も悪くはないが、今の一押しは竹鶴。日本人で初めてシングルモルトに挑戦した竹鶴氏の心を汲みながら味わっている。だが、これは正確にはシングルモルトではない。ピュアモルトとか言っている。どのように違うのかは、ま、問題とはしない。味がすべてだ。いまはこれで満足している。もう少しスモーキーでもいいなと思うところも、あるにはある。本来なら、アイラのラフロイグ(ボウモアもラガボーリンもいい)、スペイサイドのグレンモーレンジかマッカラン。いずれも20年以上のものがいい。また採集しなければ。

 

チビリチビリと舐めるようにやりながら、テレビを見るのも悪くない。野球観戦という手もあるが、映画を楽しむのもいい。実は録りだめのDVDが100本ほどある。ほとんど見ていないものばかり。この中から適当なものを選択する。古い映画でも意外に良いものと出逢う。一人酒にはこうした楽しみもあるのだ。仲間うちで騒ぐ宴席ではあり得ない。最近観た映画でよかったなと思ったのは「ショーシャンクの空で(1994年)」。監督も出演者もよかった。後味のいい映画だった。94年は確かホレストガンプがアカデミー賞を総なめした年。この映画に隠れて賞を逃したらしい。

 

酔いが回り始めた頭の中は、脈略のない記憶が次々に現れる。全く忘れていたことも蘇る。後悔事が多いが、中には数は少ないながら喜び事も思い出す。脳細胞の中で消えかけていためぐりめくいろいろな思いに浸る。不思議と哀しさはない。けっこう幸せ感があるものだ。

こんな風に一人酒の夜が更ける時、このまま死ねたら幸せなのかもしれない、という思いもよぎる。

 

しかしながら、いつも一人酒というのは私的にも無理がある。やはり、酒はワイワイ騒ぎながら飲むのが常道。酒は仲間や心許せる人とともに飲むのが一番いい。一人酒は決して常道ではない。それを理解しつつ、一人酒も時には必要である、という事が言いたかった。間違いなく自己満足的解釈なのだが。(一人酔いの中で徒然なるがままに)


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