原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

ノロッコ号に乗って。

2009年07月14日 09時55分29秒 | 地域/北海道
毎年、六月から十月にかけて、釧網線には「くしろ湿原ノロッコ号」が走る。九月までは釧路・塘路間のみ、一日二往復。十月になると、名前が紅葉ノロッコ号に変わり、川湯まで走行が延長される。今年で運行二十周年というから、すごい。昨年には乗客百万人を突破。夏の道東観光の目玉といえる存在である。昨年に一度乗っているものの、あまり記憶にない。理由が分からない。そこで今年はカメラ持参で乗り込んでみた。

乗車した駅は塘路。ここから釧路に向かって出発する。乗客の大半は釧路から往復で乗り込んでくる。塘路で約三十分の停車時間があり、周辺を眺める時間がすこしだけある。そして再びノロッコで釧路に戻る。釧路湿原の風景を往復で眺めることができる。塘路までの所要時間は約一時間。往復で二時間あまりの旅となる。通常の列車だと三十分の距離。その名の通り、かなりゆっくりした速度で走る。自然をじっくり眺めてもらおうという意思が感じられる。

(ノロッコの車内)

列車内は遊園地の観覧車の雰囲気。トロッコ列車のイメージで設計されている。湿原の見える方向に多くの座席が用意されていた。外がよく見えるように、窓の広さも考えられている。軽食を楽しみながら湿原を楽しむようになっていた。


ノロッコ号がゆっくり動きだし、右手に湿原が広がる原野へと旅立った。昨年に乗っていながら、その記憶があいまいな理由がすぐに分かった。私がいつも見慣れている湿原の風景と少し違うのだ。夏の間は樹木にはたくさんの葉をつける。とくに湿原の周辺にはハンノキが生い茂っている。この木の緑で湿原の見通しがぐんと悪くなっていた。遠くまで見渡せる風景の五十%が見えない。天気によるが雌阿寒岳や雄阿寒岳の雄姿もよく見えない。夏の風景とはこうしたものだ。本当の湿原を知っている者にとって、つまらない風景となる。
私は道東を紹介する時、四月から五月、十月から冬季にかけてが、ベストだとよく言う。それは北海道らしい風景と出会うにはこの季節が一番ふさわしいと思うからだ。夏の緑の湿原は私にとっては、何か他人行儀に感じる。印象に残らなかった理由がこれであった。

(釧路川のすぐそばを走るノロッコ号)

しかし、はじめてこの湿原を見る人にはそれなりに魅力があるのだろう。すでに百万人を突破した観光客の動員で証明されている。しかし、乗客の一人で新潟から来たおばあちゃんの一言が刺さった。
「釧路湿原って、たいしたことないわ、新潟にもこういう風景があるよ」
そうなんです。緑一色に装った湿原は、普通の草原なのです。やはり、湿原の本当の姿は冬や早春の時期に来て、はじめて見ることができるのです。と、言ってあげたかったが、周りには韓国人や台湾人の人を含め、九十%以上が道外からの観光客。私は黙って静かに外を見ることしかできなかった。
湿原にはたくさんの動植物が生息している。有名なタンチョウもキタキツネもエゾシカも。しかしこれらの野生たちは夏の時期はあまり姿を見せないのだ。ハクチョウやオオワシ、オジロワシなどは渡り鳥。冬にしか現れない。湿原の主役たちがいないのが夏なのである。

(深い森の向こうに広大な湿原の風景がある。しかし、よく見えない)

ノロッコ号には湿原の案内役も乗り、解説している。往復で説明しているので正確ではないが、私が乗っている間はこうした説明は一切なかった。湿原の自然はもっともっと深くて意義があるのに、そうした解説もない。これでは真の湿原の魅力を紹介することにはならない。観光列車であるとしても、もう少し配慮があってもいいのでは。今や地球は温暖化や環境汚染がテーマである。湿原という恵みの大自然を前にしてこうしたアピールも工夫すべきである。

やるべきことがたくさんあるのに、従来通りの観光解説でお茶を濁すようなやり方はもはや意味がないし、魅力がない。JRは分かっているのだろうか。難しい話をしろというのではない。湿原の素晴らしさや意義を楽しく分かりやすく教える工夫はいくらでもあると思うからだ。多く人を集めているのに、いかにももったいないではないか。

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2 コメント

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一度乗りたい! (numapy)
2009-07-14 16:55:52
折角道東に住んでいるならば、やっぱり乗ってみないと話にならないと自らに言い聞かせたところです。
100万人かぁ。スゴイ数の人が乗ってますね。
トビッキリ天気のいい日に、乗りに行こうかなあ。
そうそう、釧路からまだ汽車に乗ったことがない!
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富士山と同じかも (原野人)
2009-07-15 09:43:46
富士山に一度も登ったことがないことは、自慢にならないが、二度登るやつは、もっと馬鹿、とか。日本人なら一度は、というのが通説のようで。

でも今のままなら、私には不満ですね。せっかくの資源が生かされているように思えないからです。残念ながら、道東に住む人も正確には理解していないのかも。目の前にある自然が当たり前で、どれほど貴重なものなのか、あまり真剣にそれを考えてこなかったせいなのかもしれません。この点でも富士山も同じに思えます。
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