もう二十年位前の話になるだろうか。モナコで取材(雑誌)があった。地中海をめぐるクラシックヨットのレースがあり、そのゴール(スタートはイタリア)がモナコであった。レースの後、観光局に紹介されたのがLASSE号のキャプテン。ドイツ人で印刷所を経営しているという。彼の持ち船は、その昔ヒットラーの所有であった。愛人であったエヴァ・ブラウンにプレゼントしたヨットである。その証拠の記述がプレートの横にある雑誌記事。これまで数多くのレースに登場しており、作り話ではない。その夜、船に招待され、ワインを飲みながら会食。別れ際に渡されたのが写真の記念プレート。こうしてヒットラーの遺産の一部がわが手に残った。
荷物を整理している時、ひょっこり出てきた。引っ越しを繰り返して、かなり整理したはずなのに、奇跡的に残っていた。その夜のことがいろいろ思い出された。モナコ観光局の女性がさかんに「イットラー」の所有していたヨットと勧めてくれた。当初はその意味が分からず、乗り気ではなかった。フランス語ではHの発音はしない。それゆえのミスであった。お前はイットラーを知らないのか、と彼女は馬鹿にしたような眼で見る。事実が分かったのは十分後だ。なるほど、それならである。
ヒットラーの遺産を所有するなんて、ドイツに残るネオナチか凝り固まった保守的な人物が持ち主かと想像していたが、まったく普通のおっさん。印刷業で成功した人だとか。地中海のヨットレースで半月以上も仕事から離れているなんて、そうできることではない。ヨットは1936年製とは見えないほど新しかった。もちろん何度も修復されているのだろうが、手入れが行き届いていた。戦後、何代か所有者が変わった後、彼のものになった。ヒットラーのゆかりのものということで、かなりの値段がしたらしい。
彼の思想もきわめて普通で、特別にヒットラーを信奉している様子ではなかった。戦争の話はもちろんEUの話などで宴はずいぶん盛り上がった。ワインも何本かあけたのでかなりざっくばらんに面白い話が聞けた(彼は英語を話せた。ドイツ語はこちらがちんぷんかんぷん)。きわめて常識的なドイツ人である。彼はヒットラーを全く否定はしていなかった。だが、ナチズムは否定していた。このあたりがドイツ人として複雑なのかもしれない。彼にとってヒットラーがオーストリア人であったことも少しの壁になっていることも感じた。こうした微妙な感覚は他国のものには正確に理解できない。自国の常識で外国を語る事は極めて危険である。そんなことを感じた夜であった。
昨年の末、安倍総理が靖国を参拝した。この時、中国や韓国が非難声明を出す。ま、いつものことだが。その中に東条は東洋のヒットラーである。それを参拝するとはけしからん、という発言があった。当然、ヨーロッパ向けのもの。ヨーロッパにとってはヒットラーは悪魔の化身。それだけで悪の象徴になる。靖国を知らない外国人には偏った一つのイメージがすりこまれる。ナチス党の広報担当ゲッペルスが用いたプロパガンダ手法を中国共産党が活用しているとも言える。それほど、ナチス党というのは戦略的であった。逆を言えば中国の方がナチ的である。
日本の東条英機とアドルフ・ヒットラーが同じであったというロジックは頓珍漢も甚だしく、歴史を知っているものにはお笑いなのだが、あまり詳しくないものはそのまま信じてしまう。テレビに出てくるタレントならなおさら。北欧人とのハーフのタレントが早速発言したらしい。「靖国の参拝は、ヨーロッパではヒットラーの墓にお参りするのと同じ意味にとらえられる」と。こんな番組を見ていないのでこの通り話したかどうかは知らないが、ほぼ同じ内容だろう。靖国神社が墓地ではないことも知らない人間にはこうした間違いが起こる。つまり外国人が自国の常識で物事を判断するというのはこうした危険があるということなのだ。まして政治的意図をもった韓国や中国の発言など常識のある人なら無視するが、無知な日本人がそれに踊らされているのがむしろ残念と言うべきだ。
安倍総理もダボス会議で中国との関係を戦前の英国とドイツの関係になぞらえ、大きな誤解を呼んだ。それ以前には麻生大臣がワイマール憲法を持ち出して日本の憲法改正を語った。言っている内容はまったくの誤解なのだが、それを悪用するメディアが日本にいるということをもっと知るべきだし、海外の事例を日本の常識でなぞるのは大変危険だということに尽きる。誤解が誤解を生みだすからだ。
ヒットラーのヨットを乗り回すドイツのおじさんを思い出しながら、今頃どうしているのかと思う。まだヨットに乗っているのか、仕事はうまくいっているのか。ヨーロッパ経済を思いながら少しばかり心配になる。
深夜、別れを告げた時かなり酔っていた。彼は私たちに向かって叫んだ。「今度戦争をする時は、ドイツはまた日本と手を組むぞ。ただしイタリアは仲間にはしない。奴らはダメだ。ドイツと日本だけなら、あの戦争も勝っていた」。ドイツ人は日本人によくこういうことを言う。何度か聞いたことがある。彼もまたそうだった。ドイツ人がみなそうかは分からないが、彼の日本に対する心情は伝わった。
*プレートには1945年の表示とコペンハーゲン・デンマークの文字があった。これはヒットラーの死後デンマークの人が新しいオーナーになった際、ヨットの名前をLASSEに変えた時のもの。それ以前の名前はEVAであった。ドイツ人のオーナーはなぜこのヨットを購入したかという質問には、曖昧にしか答えなかった。想像ではあるが、たんに有名ブランド好きなおじさんではなかったと思う。ドイツ人もいろいろと複雑なようだ。
そんな歌詞が浮かんでくる出来事でしたね。
1・28日号のニューズウィークの特集タイトルがなかなかでした。
「劇場化する靖国問題」~中韓の欺瞞と日本の怠慢~
日本人記者の記事あり、米戦略顧問研究員の寄稿あり、中国人ジャーナリストの記事あり、で
タイヘン興味深く読みました。
それにしても雪ですね。まるで最近の株の乱高下のような、荒っぽい天気ですね。
高速道路や普通の道を走る車のスピードを見ただけで、日本とドイツの違いの大きさは理解できます。