原野の言霊

風が流れて木の葉が囁く。鳥たちが囀り虫が羽音を揺らす。そのすべてが言葉となって届く。本当の原野はそんなところだ。

中国の民は幸せなのだろうか?

2011年09月09日 09時00分20秒 | 海外

 まことに余計な心配であることは、十分に理解している。しかし、約一か月前(84日)にでた産経のニュースには驚かされた。「中国の精神障害者、がん上回る1億人超」というもの。出所は中国国営新華社通信である。だいたい、中国のデータ類の発表はいいかげんなものが多い。サーズや鳥インフルエンザ時の被害状況の報告はひどいものであった。隠ぺいそのものである。ところが、こうしたデータが国直轄の通信社から臆面もなく出てくる。なぜなのだろうか?事の真偽以上にそちらが気になる。だからこそ、中国の国民は本当に幸せなのだろうか、という思いが彷徨う。

記事によると、100人のうち13人に精神障害があるということ。しかも、重度患者は1600万人を超えるとあった。これは2009年の統計であるらしい。ちなみに日本の精神障害者数は323万人(日本精神科病院協会2008年)である。もちろん、分母が違うし社会状況も違うので単純な比較はできない。さらに記事は追い打ちをかける。病院にかかれるのは金持ちだけ、山間部の貧しい人たちは病院にいけないので、データには入っていない。僻地の状況を加味すると、本当はもっと膨大な数であることも想像される。医療制度に違いがあったとしても、人口が日本の13倍もあるとしても、その発症率は異常に高い。これは何を物語るのだろうか。

中国は5千年の歴史があることを誇りにしている。だが、現在の中華人民共和国として成立したのはわずか60年ほど前のことでしかない。毛沢東というカリスマ指導者が現在の中国という骨格を作り上げた。ご承知のように、共産主義国家である。わずか60年の中でもいろいろな変遷はあった。特に近年は自由主義経済の導入で大きく変わった。共産主義と言うフィールドに資本主義を同居させて開発と発展に邁進してきた。そのひずみが妙な形で噴出してきたのではないのか。

だがこの評価は、あくまで日本人からみた感覚である、という但し書きが付けるしかない。なにしろ中国人と日本人の精神構造はまったく違うから、両国の比較は極めて難しい。

初めて中国の地を踏んだ20年前にその違いを、嫌というほど知らされた。この時受けた強烈なカルチャーショックはいまだに忘れられない。経済特区などができ、中国中が開発に全力を投入を始めた時期であった。ベトナムのホーチミンシティから広州へ深夜に到着した(中国航空機の整備不良が原因)。空腹と寝不足のなかで転がり込むようにホテルのベッドに飛び込んだ。が、動物が泣き叫ぶような、悲鳴のような騒音が耳に着き眠れなくなる。時計を見ると深夜の2時。この音は何だろうと窓から外を見た。深夜というのに道路には車があふれていた。騒音の元が分かった。車のクラクションであった。走る車すべてが高々とクラクションを鳴らして走っている。深夜になぜ?暴走族か?その音に睡眠はほとんど取れず朝を迎えた。

理由は翌朝外に出て分かった。道路を自由に渡る歩行者をよけるために鳴らすクラクションであった。深夜に外を歩く人がいるのにも驚くが、信号があるにもかかわらず、全く無視して歩く歩行者ばかりなのにも驚愕した。そのため一日中クラクションが街中を駆け巡るのである。

滞在中、この強烈な騒音に浸かりながら街中を徘徊することになる。中国を出国した後も後遺症のように耳にその音が残った。耳鳴り状態が継続したのである。

この信号を無視する行動は中国全土の風土である。どこの町でもそうであった。北京オリンピックの3年ほど前から、大都市を中心に懸命の交通ルール教育が始まった。交差点には指導員が立ち、通行人に注意する。しかし、ほとんどの人が言うことを聞かない。時には指導員と通行人の喧嘩が始まる。北京に8カ月ほど滞在したことがあるので、こうした光景をよく見た。オリンピックは何とかやり過ごしたが、その後はどうなっただろうか。たぶん街では元通りに、信号無視が横行しているに違いない。中国人に信号を守らせるのは無理だよ、と中国人が言っていた。

これはほんの一例で、習慣の違いは枚挙にいとわない。列をつくらないどころか平気で割り込む。車の運転では道を譲るなど決してしない。困ったのは、食事の時。テーブルに食べかすを平気で置く。口から唾を飛ばすようにテーブルにまき散らす。北京の友人は、中国ではこれがモラルだと言った。他人の家で御馳走になる時は、できるだけテーブルを汚すことが礼儀だともいう。日本人にはなかなかついていけない礼儀だ。

たった一人で中国の国内線の飛行機に乗ったことがある。搭乗券をもらうのに、人ごみにもみくちゃにされてしまった。とにかく人より先に進むというのが彼らのルールである。人を突き飛ばすのも当たり前であった。手書きで書かれた番号の座席に行くと、見知らぬ人が座っている。通じない言葉で、ここが俺の席だと言っても、全く動こうともしなかった。我々の常識など全く通じない国なのである。

 こういう中国人が、いま精神的な障害に多くの人が罹っているというのである。人を押しのけて前に進む国民性を持つ人が、どのような理由で精神的な病気になるのであろうか。興味が募る。我々の常識ではなかなか理解できる病気とは思えないからだ。

 そうした折に、また別のニュースを拾った。「中国政府が孔子思想復活。共産主義の欠陥を穴埋め」。なかなかに産経らしいオモシロ記事だ。かつて、文化革命の嵐が吹き荒れた時、伝統的な芸術から文化や教育がすべて否定された。孔子の学校などは破壊し尽くされた。時代が変わると、それが復活するというから、中国も面白い。政府もまた時代の狭間で揺れているということなのか。病はあんがい政府の中に蔓延しているということかもしれない。

共産主義の教えに種種の矛盾が生じ、それを穴埋めするための便宜策らしい。孔子の教えすべてではなく、共産主義に背かないものだけを選択されているという極めてご都合主義の対策である。精神的な疾患というのは、こうした政治の矛盾が生み出している可能性もある。

 愛国無罪といってデモをする中国の民たち。反日デモは許されるが、政府批判のデモは絶対に許されない。自由にインターネットも見ることができない。二つの産経の報道と重ね合わせると、なんとなく、この国に広がりつつある精神的な病の理由が見えてくるようだ。

 こうした歪な国の中で、国民は本当に幸せになれるのであろうか?どうでもいい他人事ながら、やはり気になる。

 と言いながら、わが政府を顧みると、どうも安穏としていられる状況ではないようだ。我が日本の民主党政権に妙な「歪」が垣間見える。外国人参政権、人権擁護法案などなど、彼らが裏に隠し持っている本音がちらちら顔を出している。不気味な進捗具合だ。

ひょっとすると、他人の国の病気など気にしている場合ではない、のかもしれない。


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2 コメント

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サルトルの実存主義以降・・ (numapy)
2011-09-09 12:37:23
ヨーロッパの統合失調症(かつては精神分裂症)は、
サルトルの実存主義以降、爆発的に増えたと言われてますね。それまでは殆どの民は、神の僕だった。だが、急に人間は自由であると言われ、訳がわからなくなった、という説があります。
その意味では中国も共産主義の時代から箍が外れ、混乱する人が増えてるのかもしれませんね。
しかし、もしこの数字が正確だとすると、中国は崩壊しますね、間違いなく。この数字は、神経内科に罹った数字が入ってるのかもしれませんね。
それにしても数字を出した目的を知りたいですね。
本当なら、一大事ですね。 (原野人)
2011-09-09 13:36:09
正直なところ、こんな数字を発表する意図がよくわかりません。隠蔽体質そのものの国ですから。あまり深く考えることなくだしたものか、何か深い裏があってだしたものか。しかし、こんなことで嘘を言って得になることは何もないはずですから、やはりこうした数値の現実があるのかも。だとすれば、国家的な危機ですが、中国政府はこれもまた強権で抑えられると思っているのかもしれないし、一億人が病気でも、あと十二億人の民がいると、考えているのかもしれません。恐ろしい!

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