goo blog サービス終了のお知らせ 

山代日記 ~神楽とか、田舎行事とか~

山口県岩国市錦町に伝わる上沼田神楽を中心としたブログ。
広域組織の山代神楽連絡協議会や農作業、田舎行事なども掲載。

錦帯橋周辺を観光

2016年09月01日 20時11分13秒 | 雑談
先日、公共交通に乗る計画を立て、実行する、というこどもの夏休みの宿題がてら、錦帯橋周辺に行ってきました。

いつもは素通りする観光地。
なかなかゆっくりと歩くことが無いんで、いろんな発見がある、親としてもいい経験にもなりました。

こどもたちのお気に入りは、もっぱら「シロヘビの館」。最近リニューアルされ、中はシロヘビの展示のほか、生態などをゲームしながら学べるコーナーで充実してます。
30分くらい熱中してました。コスパ最高です!

岩国が誇る歴史的名橋「錦帯橋」





西黒沢の「西」って?

2016年02月23日 23時19分29秒 | 雑談
今年、久しぶりに神楽奉納させていただく予定の、岩国市本郷町西黒沢。
岩国市に合併する前は、玖珂郡本郷村大字西黒沢だった。

以前から思っていたこと。
「東黒沢はないのか?」

更に周東町には、西長野というところがある。合併前は、玖珂郡周東町大字西長野だった。

これも、東長野はないのか?

最近色々調べるなかで、昔の行政区単位にヒントがあるのでは、との考えに至った。

明治10年頃の玖珂郡は、大字単位で村が存在していて、今の「岩国市」という行政の区域内は、100を超える行政区(村)だった。その当時、前述の区域は西黒沢村、西長野村だった。
これ、それぞれ元々は黒沢村、長野村だったようだが、明治の世に「玖珂郡」という括りを設けるにあたって、同じ名前が出てきてしまった。
今で言う美和町にも黒沢村があり、岩国市通津にも長野村があったのだ。
この区別をつけるために、それぞれの位置関係から、後の本郷側の黒沢を「西黒沢村」に、後の周東側の長野を「西長野村」にしたと思われる。

同様に、周東町にも美和町にも中山村があったため、美和町の方に「北」を付けて「北中山村」としている。

調べてみると面白い、地名の歴史。
「山代」も、時代とともに区域が変わっているのがわかるし、単純に「本郷、錦、美川、美和」の区域ではないことも分かる。

ライフワークになりそうだ。

岩国の干拓の歴史

2016年01月14日 23時27分05秒 | 雑談
話を聞くに、
 ・本を読む
 ・歩く(運動をする)
というのは思考、健康にとってとても重要らしく、この継続が大切だという。

早速影響されて図書館に行って、郷土史コーナーに足を運んでみると、色々と面白い本に出会えた。

山代風土誌(故中村良雄氏著)のほか、錦町下須川地区に関する本や向峠地区に関する本など、地区レベルの本も貯蔵されていた。
借りてみたものの、読んでも頭に入らないタイプなんで、雰囲気だけはしっかりと感じ取りたい。

また、岩国市の干拓の年代を記述してある本もあり、その一部を撮影してみた。
江戸時代以降、岩国領を治めた吉川氏の政策だろう、徐々に沖に向かって埋め立てているのが分かる。
今津や麻里布なんかはほとんどが埋め立てだし、川下も半分以上、尾津も全てが埋め立て。

こうした背景からすると、人が住んでいなかったところに市街地の中心があるわけで、しかも農業のためにそこに水が流れるように設計されているわけだ。そんな土地なら、大雨が降ったら浸水するのも当然だなーと感じた。

他にも色んなことを調べてみると、吉川氏が治めた岩国領、そして毛利直轄である山代領。
今でこそ車の移動、運搬だけど、かつては錦川を軸に、物資のやり取りや交流が行われていたようだ。
歴史を紐解くことで、山代神楽の知らなかったことが解明できるのかも知れない・・・。

なお、山代地域に江戸初期おこったという山代一揆について、下記サイトで詳細に紹介されています。
大変参考になるので、是非ご覧ください。
http://homepage2.nifty.com/shinkei/yamashiro/