メンタルの話でもしよう。
今回たまたまあたしはいい医者にめぐり合ったのだけれど 精神科でいい医者にめぐり合うのは宝くじに当たるより難しい。特に大きな病院の精神科の場合はまずダメ・・といっても間違いはない。あたしの最初の主治医は70過ぎのおじいちゃんで小さなクリニックだった。今は精神科に若い人が来るのは普通だけど その当時はまれで小さな待合で順番を待ったものだった。奥さんが院内薬局をやってて診察は30分くらいしっかり話を聞いてくれて色々アドバイスをしてくれたいい意味で医者だった。そこに1年以上通って症状が軽くなったので行かなくなったのだけれど、それからかなりしてから仕事でショッキングな事件があり再発した時にまた行こうと思って行ったのだけれど、すでに病院自体なくなってた。もう高齢だったしすでに彼岸の人か楽隠居かわからないけど無かったのでがっかりした記憶がある。仕方なく地元の精神科に片っ端から電話して予約取ろうとしたらほとんど3ヵ月半待ちってことで予約が取れない。もうその時代は精神科が混んでる時代になってたわけだ。一軒だけすぐ来なさい・・と言ってくれたところがあったので そこに通ったわけ。まあ最初はいい先生かな・・と思っていたのだけれど段々5分診療で25分雑談になって、まあ薬が出るからいいや・・くらいの感覚で8年くらい通ったかな。でも信頼関係は全く構築できなかった。土曜日診察があるので仕事してる身には都合が良かったくらい。精神科医ってこんなもんなんだな・・とぼんやり思った。5分診療すれば診療報酬は5000円 割のいい仕事である。おまけに精神科って椅子と机があれば開業できるのだから相当割がいい。通院してる間に2回のODでER搬送されてるのだが担当医が連絡しなかったので事なきを得たのが 私生活でショッキングなことがあってその当時いらない・・と言っても1年半も出されてた眠剤がたまっていたので350錠その他色々で合計450錠くらいODして搬送された。まあ発見が早かった(私にとっては残念だけど)ので誤飲性肺炎の恐れもあって危なかったらしいのだけれど3泊4日でERを放り出された。いつものことだがぼんやり気がつくと大抵両手は拘束されてて点滴が入ってるわけだが また失敗したな・・と残念な気持ちしかわいてこない。普通意識が無いのでカテーテル入れられるのだが 退院する日に男性の看護師が じゃ抜きますね・・というので どういう構造になってるの?と聞いたら 抜いた奴をふくらませて実演してくれたのを覚えている。ほんの数日前自殺しようとした自分がへぇ・・と半ば笑いながらそれを見ていた。まあ大量にODすると確実に失禁するので男性看護師にお尻拭かれたのは覚えてる。ERの記憶なんてそんなもんだ。ER放り出されてタクシー代はあったものの なんか歩きたくてぶらぶら歩いて帰った。ちょうど今頃の季節。
空が真っ青で高かったのを鮮明に覚えている。この話には後日談があってこの時運ばれたのが地域の中核医療病院のERだったので主治医に連絡が行ったのである。薬はみんな飲んじゃったので在庫が無くて病院行ったら 余程気に障ったのか税金泥棒(自立支援使ってたので)だの病気じゃなくて発達障害だの40分も罵倒されたあげく金だけ取られて薬が出ない。診察してないのに金は取る。1週間我慢して次の週また行ったのだけど同じ事の繰り返し。この人茨城の某有名精神科の医局長だった人で市の医師会長までしてた人である。そんな経験のある人がこういう暴言を吐くのか・・と呆れた。ますます医者が・・というか精神科医が信じられなくなった。結局その後その病院には行っていない。後日薬局で聞いた話では亡くなったそうだが 何の感情もわかない。彼に紹介してもらった内科のドクターはいい人で こちらは当たりだった。穏やかで説明も丁寧で こういう人が精神科にいたらいいのに・・と思ったけれど循環器系の内科医なのでそれは無理だな。その内科はもう4年以上かかっている。ちょいと遠いのだがいいドクターなんである。後日談はまたネタが切れたら書くことにする。
今回たまたまあたしはいい医者にめぐり合ったのだけれど 精神科でいい医者にめぐり合うのは宝くじに当たるより難しい。特に大きな病院の精神科の場合はまずダメ・・といっても間違いはない。あたしの最初の主治医は70過ぎのおじいちゃんで小さなクリニックだった。今は精神科に若い人が来るのは普通だけど その当時はまれで小さな待合で順番を待ったものだった。奥さんが院内薬局をやってて診察は30分くらいしっかり話を聞いてくれて色々アドバイスをしてくれたいい意味で医者だった。そこに1年以上通って症状が軽くなったので行かなくなったのだけれど、それからかなりしてから仕事でショッキングな事件があり再発した時にまた行こうと思って行ったのだけれど、すでに病院自体なくなってた。もう高齢だったしすでに彼岸の人か楽隠居かわからないけど無かったのでがっかりした記憶がある。仕方なく地元の精神科に片っ端から電話して予約取ろうとしたらほとんど3ヵ月半待ちってことで予約が取れない。もうその時代は精神科が混んでる時代になってたわけだ。一軒だけすぐ来なさい・・と言ってくれたところがあったので そこに通ったわけ。まあ最初はいい先生かな・・と思っていたのだけれど段々5分診療で25分雑談になって、まあ薬が出るからいいや・・くらいの感覚で8年くらい通ったかな。でも信頼関係は全く構築できなかった。土曜日診察があるので仕事してる身には都合が良かったくらい。精神科医ってこんなもんなんだな・・とぼんやり思った。5分診療すれば診療報酬は5000円 割のいい仕事である。おまけに精神科って椅子と机があれば開業できるのだから相当割がいい。通院してる間に2回のODでER搬送されてるのだが担当医が連絡しなかったので事なきを得たのが 私生活でショッキングなことがあってその当時いらない・・と言っても1年半も出されてた眠剤がたまっていたので350錠その他色々で合計450錠くらいODして搬送された。まあ発見が早かった(私にとっては残念だけど)ので誤飲性肺炎の恐れもあって危なかったらしいのだけれど3泊4日でERを放り出された。いつものことだがぼんやり気がつくと大抵両手は拘束されてて点滴が入ってるわけだが また失敗したな・・と残念な気持ちしかわいてこない。普通意識が無いのでカテーテル入れられるのだが 退院する日に男性の看護師が じゃ抜きますね・・というので どういう構造になってるの?と聞いたら 抜いた奴をふくらませて実演してくれたのを覚えている。ほんの数日前自殺しようとした自分がへぇ・・と半ば笑いながらそれを見ていた。まあ大量にODすると確実に失禁するので男性看護師にお尻拭かれたのは覚えてる。ERの記憶なんてそんなもんだ。ER放り出されてタクシー代はあったものの なんか歩きたくてぶらぶら歩いて帰った。ちょうど今頃の季節。
空が真っ青で高かったのを鮮明に覚えている。この話には後日談があってこの時運ばれたのが地域の中核医療病院のERだったので主治医に連絡が行ったのである。薬はみんな飲んじゃったので在庫が無くて病院行ったら 余程気に障ったのか税金泥棒(自立支援使ってたので)だの病気じゃなくて発達障害だの40分も罵倒されたあげく金だけ取られて薬が出ない。診察してないのに金は取る。1週間我慢して次の週また行ったのだけど同じ事の繰り返し。この人茨城の某有名精神科の医局長だった人で市の医師会長までしてた人である。そんな経験のある人がこういう暴言を吐くのか・・と呆れた。ますます医者が・・というか精神科医が信じられなくなった。結局その後その病院には行っていない。後日薬局で聞いた話では亡くなったそうだが 何の感情もわかない。彼に紹介してもらった内科のドクターはいい人で こちらは当たりだった。穏やかで説明も丁寧で こういう人が精神科にいたらいいのに・・と思ったけれど循環器系の内科医なのでそれは無理だな。その内科はもう4年以上かかっている。ちょいと遠いのだがいいドクターなんである。後日談はまたネタが切れたら書くことにする。