1997年3月に閉山した三井三池炭鉱、その石炭を運搬するために、通称「三池鉄道」が敷設されていた。最盛期には大牟田、荒尾市内に4路線、およそ18Kmが運行され、旅客輸送も行われ、「炭鉱電車」の愛称で親しまれた。
今回は96年秋、閉山を半年後に控えた頃の様子を紹介する。
この頃には主に三池港~四ツ山間が石炭輸送、宮浦~旭町間が三井東圧の専用線として運行されており、本線の大部分(宮浦~三池港)と旭町線(宮浦~旭町)が存続していた。四ツ山~宮浦間の中間部分は機関車の単機回送が1日1往復設定されていた。
以下は三池港駅で撮影
元西鉄宮地岳線の22号機が牽引する石炭列車。この区間では頻繁に運行されていた。
セナ形石炭車
市が設置した案内板。しかしながら観光地的要素は全くなく、工業地帯そのものであった。
1908年GE社製15t機5号。2020年現在三川坑跡で保存中
1911年ドイツ・シーメンス製の20t機1号。2020年現在三川坑跡で保存中。
今回は96年秋、閉山を半年後に控えた頃の様子を紹介する。
この頃には主に三池港~四ツ山間が石炭輸送、宮浦~旭町間が三井東圧の専用線として運行されており、本線の大部分(宮浦~三池港)と旭町線(宮浦~旭町)が存続していた。四ツ山~宮浦間の中間部分は機関車の単機回送が1日1往復設定されていた。
以下は三池港駅で撮影
元西鉄宮地岳線の22号機が牽引する石炭列車。この区間では頻繁に運行されていた。
セナ形石炭車
市が設置した案内板。しかしながら観光地的要素は全くなく、工業地帯そのものであった。
1908年GE社製15t機5号。2020年現在三川坑跡で保存中
1911年ドイツ・シーメンス製の20t機1号。2020年現在三川坑跡で保存中。
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