トライランダーの蔵出し写真館 第2号

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貝塚線について考える 2

2010-01-19 21:56:00 | 私鉄
さて、そのような経緯で新博多までの乗り入れを果たした湾鉄であるが、和白以北についてもその存在価値、建設理由は不透明である。「宮地岳線」と名付けられたことから、宮地岳神社参拝客の輸送が主体と考えるべきであろうが、実際は博多-福間-飯塚間を結ぶ路線として、1922年に免許を取得している。

しかし飯塚へ到達することが出来ず、頼みの綱であった石炭輸送が出来ずに資金不足に陥った。その為延伸が実現できず、さらに資金不足に陥る、という悪循環の中で昭和恐慌へと突き進み、結果的に宮地岳という誠に中途半端な場所をせざるを得なくなったと推測するのが妥当であろうか。

宮地岳が終点となったのは、当時沿線において沿線は箱崎町、津屋崎町、福間町以外は全て村であり、人口の集積がある程度あった拠点として、選択したものではなかろうかと考えられる。ただ、宮地岳駅周辺は津屋崎町ではあったものの、津屋崎千軒として名を馳せた津屋崎の中心街へは乗り入れていなかった。これは、前述の通り飯塚へ向かうことを意図して建設された路線であり、津屋崎中心部へはかなりの迂回ルートを取らざるを得ない為、考慮されなかったものと考えられる。

そもそもこの時代の鉄道というものは貨物を運ぶために作られるのが常識であり、貨物輸送の見込めない路線は無価値といっても過言ではなかった。しかし、そんな中に苦境を打破するため、開業2ヶ月後に箱崎宮前仮停留場を設置、宮地岳駅近くに海水浴場を設置するなどの事業の多角化も進めていった。

そして1942年、5社合併により西日本鉄道が成立すると、投資の中心は①北九州線②大牟田線③福岡市内線(②③の順位については異論も多々あろうが)④その他、となり、以前にも増してお荷物的存在となっていく。

この5社合併に関しては、多くの識者が「博多湾鉄道、筑前参宮鉄道の救済合併」の側面を色濃くしたものであると考えられているようであるが、『西日本鉄道100年史』より、合併時の各社の財務内容を見ると、

・平均株価 九軌57.73円、九鉄67.49円、湾鉄69.11円、福博60.07円、参宮63.57円
・総資産利益率 九軌5%、九鉄6.1%、湾鉄7.9%、福博14.7%、参宮9.7%

と、さほど2社の財務内容が悪くないのがわかる(株価の時価総額は資料不足により、解明できなかった)

配当率に関しても、九州鉄道が1938~40年まで無配であったのにもかかわらず、湾鉄は40年下期において9%の配当を実現しているし、当期利益に関しても40年下期の実績においては、九鉄427千円、湾鉄487千円と、数字は遜色なかった。旅客輸送量は九州鉄道の6分の1の水準であったとはいえ、貨物輸送黄金期故に、維持することが出来ていたのである。その後、現・香椎線を分離した後の1949年においても、旅客輸送人員は鉄軌道全体の2.4%に過ぎなかったが、貨物輸送量は52%を占めていたのである。


かつて宮地岳線とともに博多湾鉄道汽船を構成したJR香椎線。和白駅は両線の合流駅であった。

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