2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

貨幣は、貸借関係で存在します。貨幣に金や銀の裏付けはありません。
貨幣の裏付けは、供給能力です。

 

緊縮財政を突き進む財務省は、滅びの美学で破滅への道を???

2021年05月07日 | 日記

 動物の世界で、生きるという『正の方向』へ向かうのが、健康的なことです。

 

 しかし、時として、『負のスパイラル』へ邁進することもあるそうです。集団自殺です。

 

 大東亜戦争で、戦争を終わらすせることができなかった日本の陸軍、海軍の優秀な官僚も、若手将校や一部の人が負ける事へ恥の文化なのか、或は、滅ぶ事への憧れなのか、『本土決戦という自滅の道を希求する圧力』に、軍幹部の理性が働かない状態が存在したそうです。

 戦争を止められない状態が存在しました。

 

 しかし、天皇陛下の無条件降伏のラジオ放送で、本土決戦という身勝手な『滅びの美学』は実行できませんでした。

 日本国民は、この忌まわしい戦争に、『やれやれ、終わったか』との認識のようだったと思います。食料が無かったのです。

 しかし、本土決戦という、一部では、激しい血みどろの収束を願う集団が存在しました。結構な知識階層です。

 

 当時の陸軍大臣は、無条件降伏はあり得ないとして、本土決戦を主張するグーループに属していました。

 阿南陸軍大臣も本土決戦の『憂愁の美』を『自滅の美学』の信奉者でした。天皇の玉音放送で、本土決戦が選択肢の中から無くなり、割腹自殺をしています。

 

 この不気味な日本人の情念、『自滅の美学』は、底辺の一般国民を大きな災禍に巻き込むことすら考えの外にしてます。

 

 一部の知識人だけの勝手な情念として消えずに残っています。至極マイナーな情念です。

 

 一般の生活者としての日本人にも存在しますが、現実の生活に追われて、ストレスが溜まり、仕事帰りの立ち飲みの一杯で、僅かに憂さを晴らす私たちには、縁なきモノです。

 

 自滅の美学に囚われるには、思考する時間が多くあること、そしてある程度の優秀な頭脳が必要です。

 

 

 しかし、追い詰められた、大東亜戦争では、南の島で補給も無く、情報も無い状態で、『玉砕』という狂気が行われました。ここにも、『自滅の美学』が垣間見えます。

 最後は抜刀して振りかざし、アメリカ軍の機銃掃射に息絶える日本人の姿、現在も生きている情念であり、そうした気質が存在しています。

 

 『滅びの美学』『自滅の美学』悲惨な『侍の腹切り』・・・・・・。

 

 大東亜戦争は、集団自殺ではなかったか、と感じています。

 戦後の教育を受けた私ですが、それを引き算しても、負ける戦争に突っ込むのは、日本人ではなければ、闘うことは無かったのではないか、そう感じています。

 

 この『自滅への美学』に駆られると、止まらない日本人の共通の気質があるようです。ある種の憧れのような世界観だそうです。

 危険な情念です。

 

 財務省の姿が、緊縮財政で、負債、1000兆円の返済という不可能な行為を突き進む姿があります。世界でこうした行為をしているのは、日本の財務省でけです。

 

 何故ならば、負債の返済は、信用創造の逆をゆきます。ですから発行された貨幣が消滅してゆきます。貨幣が市場からドンドン少なくなって、デフレの底無しへ邁進しています。自滅へ、自滅へと沈み続けています。

 

 自滅の渦の底に向かってゆく『自虐的な美学』を求める日本人気質なのだろうか、とふっと思いました。この忌まわしい『陶酔感』の中に財務省があるのならば、止められない状態です。

 

 昔、三島由紀夫が、市谷の自衛隊本部で、『自滅の美学』を披露しました。独特の軍隊式の服装で、国粋論を唱えて、腹切り行為をして、日本のアメリカからの完全な独立を訴えて命の終焉をしました。

 

 三島美学と言われた先鋭的で、ヒステリックな『滅びの美学』です。非常に貴族的な思考のように思います。太宰も含めて庶民には無縁のモノのように思います。何故ならば、私たち庶民には、生きるのに必死だからです。

 

 その美学を信奉する人もまだ多く存在します。日本人として感銘する人が居ますが、こうした自滅、自傷行為と言うと当然のように怒る人が出てきますが、『自滅の美学』はやはり客観的な評価はできません。非生産的ですから・・・・・。

 

 財務省もこの『自滅の美学』に陶酔して、日本を破滅させようと、デフレのスパイラルに埋没してゆくのでしょうか。

 

 どうも、他にこの日本解体へ進む動機が解りません。財務省の行く先が見えないのです。何がしたいのでしょう。

 

誰か教えてください。