2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

貨幣は、貸借関係で存在します。貨幣に金や銀の裏付けはありません。
貨幣の裏付けは、供給能力です。

 

私が知った 南北朝鮮半島の事

2018年06月26日 | 日記
 韓国の野党とされてきた、金大中氏、盧武鉉氏、文在寅氏、と3人の大統領が選ばれている。



 この3名の大統領は、いずれも北朝鮮との融和路線を続けている。しかし、冷戦時代から、左派志向ではないように見える。



 軍事政権は、アメリカの政策で始まったことだ。北朝鮮に対抗するために、強力な政権と、政治的決めごとを施行するのに、独裁的な政権であると、すぐに決定しやすく、強権発動ができる。



 朴正熙軍事政権で、目障りであったのが、野党党首の金大中氏であった。金大中氏は、朴正熙政権からの圧力で、命の危険を感じて、アメリカに亡命する。左派を実行したいのであれば、ソビエトへの亡命をするであろうが、アメリカに亡命している。アメリカと日本を行き来している。在日韓国人の支持グループと北朝鮮系の人との交流があったようで、日本の公安が注視していたようだ。



 朴正熙政権では、金大中氏を抹殺しようとして、日本のホテル滞在中に拉致して行方不明になる。後に、この金大中拉致事件は、日韓で合同で映画化がされている。事実関係がはっきりしていないので、日本側の関与があったかは、証拠がない。しかし、映画では、公安が関与していたように描かれている。



 この金大中氏拉致は、日本のメディアが取材をしようとホテルに滞在していて、行方不明になってしまった状況をに異変を感じて報道をした。この報道に日本のメディアがそろって追い取材を始めて、韓国政府の関与を指摘していた。この状態を知ったアメリカが圧力を掛けて、金大中氏は、ソウルの自宅前で釈放された。



 この当時の韓国の情報機関の名前が、KCIA。しかし、政権寄りに何でもしていたようで、韓国の権力機構の立役者的な存在で、非合法的な暴力で、朴正熙政権の維持、また当時の各産業の民間への委譲に権力争いが激しく、このKCIAの活動が水面下で殺人や拷問、あらゆる行為で、現在の財閥の原点を築いてきた。



 反日を国是とする韓国では、日本の真似をしながら、日本のあらゆる援助で成し遂げた『漢江の春』という経済的な確立は、こうして行われた。



 アメリカ型の民主主義は、強力な独裁的な大統領を生まないように、色々な工夫がしてある。公文書は、何年か後に殆どが公開されるし、大統領の権力の制限にも工夫がしてある。



 日本の建前だけの民主主義とはかなり違う。日本は公文書を公開しない。国の舵取りを国民に公開しないのは、権力者と愚民(国民のこと)の区別と既得権益の確保であろう。



 日本の無条件降伏で、アメリカ型の民主主義を取り入れるようにされたが、明治以来の官僚機構がアメリカにより温存された。その理由に日本国家の成立を急いだ節がある。冷戦のはじまりであろう。



 民主主義を完全な形で受け入れてはいけない、と、旧態依然の官僚は、日本国民には自由の状況を制限しなければならない。とその方向で進める戦後の日本。権力の維持管理の継続を主張する官僚達。共産主義への警戒と、この後に及んで『国体護持』などとまだ言い張る始末。



 さて、特殊な南北に分断された朝鮮半島では、北朝鮮と連合軍の休戦状態であり、韓国の発展をしてゆくには、強力な権力で、即、決定できる独裁政権が手っ取り早い政策を遂行できる利点があるとして軍事独裁政権を樹立する。



 しかし、朝鮮半島の過去の両班文化が権力争いに終始してきたように、また、一般民衆が人間扱いをされてこなかったいきさつから、日本の植民地時代も、日本という権力への迎合をして、権力者の仲間になった朝鮮人の両班的な圧政が存在していた。



 基本的に、愛国心が育ってこなかった。また、即、権力の利益にならないことには関心を示さない近視眼的習性が蔓延ってきた長い歴史的な時間の中で、一般民衆は、恐怖政治でしか服従しない国民性があった故であろうか。こうした荒ぶれた国民性は、強い権力を社会に据えることになり、その権力の暴力的な支配が現在まで続いている。



 さて、そうした韓国の代々の野党は軍事政権に激しい攻撃にされされる。



 韓国では、地域差別が存在した。朝鮮半島が日本の歴史にも登場するのは、中国に巨大な国、『唐』が出現して、北から、高句麗、新羅、百済と大きな国が存在した。他に豪族の小さな国も多数存在していたらしい。






 新羅が、中国の『唐』の力を借りて高句麗、百済を破り朝鮮半島の統一をする前はこんな感じであったらしい。色々調べてみたが、韓国人よりの都合の良い地図、又は、中国人に都合の良い地図、日本びいきに都合の良い地図と、かなり違うので正確さは二の次にした。解りやすい地図と模式的に見やすい地図を載せた。



 高句麗は、騎馬民族との記述があるし、中国の今の満州地域を元として創られた国家であり、最盛期を過ぎると国として衰えて、現在の中朝国境の鴨緑江と豆満江あたりまで後退する。



 高句麗の民族的な資料としてはまり記述がないらしい。モンゴル系、や中央アジアに現存する契丹人などの遊牧民族ではないかとされている。倭国時代の日本の記録に騎馬民族とある。遊牧民であったらしい。



 日本列島には、黒潮とその分かれた分流の対馬暖流で、冬の降雪や春、夏、秋の雨が多いが、緯度的には、乾燥地帯に属する。朝鮮半島を西に地図を見てゆくと、砂漠の乾燥地帯が続く。



 朝鮮半島の南側には、梅雨前線が掛かることがあるが、古代より干ばつに悩む朝鮮半島である。そうした乾燥地帯に遊牧の民が住みやすい部分もあったのだろう。現在もいろいろな部分で内陸文化の生活・食習慣が存在する。



 長い、両班文化を既得権益として続いてきた朝鮮に、時代の荒波が押し寄せる。それでも危機感を感じた、両班達が、中国の『清王朝』に寄り添うことを強くして、現行の王朝権力維持に固執する。



 明治の日本は、巨大国家の植民地支配を恐れて革命をおこして明治維新を迎えた。『清国』と『ロシア』が目の前の脅威であった。九州に隣接する朝鮮半島がどちらかの国の植民地になると、日本の安全は『風前の灯火』となる。



 当時も朝鮮半島で、近代化と独立をしようという勢力が、僅かだがいたそうだ。そうした人を援護しながら、清国とロシアの影響を最小限に止めようとする日本政府に、清国へ傾注してゆく朝鮮王朝。



 日本は、清国に朝鮮への干渉を辞めるように交渉するが、巨大国意識の清国に拒否をされて、交渉の末に、とうとう戦争になる。当時イギリスからの軍艦を買い入れていた日本海軍は、清国との戦争にあっけなく勝利してしまう。その結果、清国は朝鮮半島への干渉をしない条約を結び解決するが、今度は、ロシアに付き従う条件に朝鮮王朝の現状維持を頼み込む。



 何で、日本との交流を避けたかは、王朝支配を終わらせる意図があること、朝鮮半島の身分制度の破壊。これが、王侯貴族の既得権益を破壊されることを避ける意味で、ロマノフ王朝のロシアに傾注したものと思われる。今の北朝鮮の金王朝が現状の支配制度の維持を条件に核兵器の破棄を理由にアメリカとの交渉をしているのに良く類似している。



 日本とロシアの交渉の末に、交渉決裂で、日露戦争が始まる。東アジアでのロシアの勢力が拡大するのにイギリスがそれを嫌い、日本に荷担する。



 日露戦争では、日本が敗北するだろう、という世界の既成事実は承知していても、日本との戦争でロシアの国力が衰えることで、イギリスは優位に立てるという計算である。



 イギリスの援助で、日露戦争に勝利してしまう。悲劇のはじまりである。こうして太平洋戦争に突入して、無条件降伏をして日本の隆盛時期は終わる。戦後の経済的興隆は、僅か、50年で衰えることになり、現在に至る。



 韓国の歴代野党は、北朝鮮との交流をするが、北朝鮮に利用されるばかりで、野党の実りがない。しかし、懲りずに続けるのだ。社会主義や共産主義に韓国をしようとしている訳では無い。しかし、軍事政権には憎まれ続ける。また、保守党や軍事政権を憎むのは一般国民と意を共にする。



 現在の朝鮮が、新羅が統一したとなるので、元の百済国のあった場所で現在は、全羅南道というところが、地域差別を受けてきた。ここの出身者はソウルの一流大学を出ても出世できないとされていた。同じように、済州島の出身者も、流刑地の罪人の人達の子孫として、済州島出身者もソウルでの出世を諦める時代が存在した。



 何かと、差別や侮蔑の対象を創る人間は万国共通であるが、韓国人は特に儒教と朱子学の対立があり、上下関係が人間社会の序列としてどうしても軽蔑する対象を欲してしまう長い習性が強いようだ。序列の上下が生きるのに大きく影響しているらしい。



 その全羅南道の出身者の金大中氏を支持する中心都市、光州市に、全斗煥の軍事政権は、突然に一般民衆を暴力による圧政に出たのである。まさに突然である。



 独裁政権は、ある意味では、信用できるのは、自分だけという孤独感と、いつか、誰かに追い落とされるのではないか、という恐怖心に苛まれることになるらしい。



 金大中氏への正当性があり、自分は、利己的な利益誘導政権の独裁であるとする不安感が常にあったものと推察する。言い換えれば王様である。絶対の権力者であるのだ。このようにはっきりとした罪悪感を認識してはいなかったろうが、この推測は、私個人の勝手な意見である。



光州市の一般市民は、中には、金大中氏の応援に熱気を帯びていた人達もいたろうが、殆どが、政治に終始携わる人では無く、何となく暮らす一般の温厚な人達が住む広州市に軍隊が押し寄せて、市民を殴打し始めるのである。



 全斗煥政権でのソウルオリンピックが控えていて、軍事独裁政権には、邪魔な野党党首の金大中氏とその支持母体。という意識があったのだろう。



 全羅南道の光州市民の反乱を恐れた所行であったようだ。過激な集団もいたかもしれないが、この温厚な一般市民に突然の軍隊投入に市民に多くの怪我人が出る。軍は光州市に駐留して4日で完全制圧する。



 光州市では、警察署には警察官が全て消えていて、武器の一部が残されていた。ライフル銃であった。徴兵制の韓国では、銃の扱いを知る人が多く、軍隊と銃撃戦が起こるが、戦車や装甲車、ヘリコプターまで動員する軍に光州市民は敗れることになる。



 しかし、当時はこの光州市は電話線を切断するし、メディアの取材も制限して、この事件の詳細は残されることがなく、報道もされなかった。完全に孤立させられた狂気に弾圧され虐殺されたのである。



 朝鮮半島の大陸続きのこの人間に対する権力の非常さは、中々無くならず、現在も韓国人の個々に激しく存在して、日常的に突然の争いが始まるそうだ。道路を歩いていると、いきなり殴り合いの喧嘩が始まるそうだ。負けることは罪であるとされるらしい。きっかけはたわいの無いことのようだ。



 しかし、この光州事件が軍事独裁政権の終わりを早めることになる。



 光州事件の時に小学生時代であった少年が、ソウルの大学に通うようになり、軍事独裁政権の横暴にソウルでも学生運動が始まり、光州事件を何となく知るその大学生は、光州事件で亡くなった人達の記念碑や墓を見に返って来た。かつての光州市の少年が、何があったのか、その現実を知って、ソウルでの活躍を始める。



 ソウルの警察官は催涙銃で応戦するが、警察官も恐怖心があったのであろう。その催涙銃を水平に発射してしまう。催涙銃は人を殺傷するためのものではないので、斜め上に向けて発射して、デモの群衆の中に落とすように発射するのが普通である。



 しかし、水平に発射した催涙弾が、この光州市出身の元少年の頭部を直撃する。この時に、倒れたその光州市出身の大学生を抱きかかえるほかの大学生の姿が写真報道されて、軍事政権の横暴な暴力行為の象徴として、広まり、手書きの絵としても拡散してゆき、軍事政権は崩壊してゆく。民主化運動がソウルを中心として、世界にも広まる。



 こうして、民主化する韓国であるが、すでに軍事政権時代に作られた財閥という両班文化の形の変化した権力構図ができあがっていて、財閥と官僚、政治が特権を持ち、一般民衆は、朝鮮王朝の時代の民衆のように間扱いのようになってしまっていたのである。



 自己主張や、個人主義が色濃くある朝鮮民族は、日本人の習性からすると、考えられない程に、ずるがしこく、欲望的であり、他人を押しのけて我先にという荒ぶれた民衆である。そのためにか強い圧政が必要なのだろうか、といぶかる思いもする。



 こうして、軍事独裁政権とアメリカの影響で、資本主義的な姿で経済発展はしたが、通貨危機で、アメリカ資本が入ってきて支配されて、日本資本も入り込み、野党の大統領の盧武鉉氏は、激しい反日と、反アメリカを主張して、在韓米軍の撤退を言ったりした。現実に怒った米軍の一部が日本に移ったりしたこともある。


 北朝鮮が、非常な粛正や、農業政策の失敗や、一般人民に割くべき予算を出さずに、金王朝維持に使い、餓死者が出ているのは韓国人は全て知っている。



 しかし、アメリカ軍の後ろ盾で、横暴を振るった軍事政権、財閥、官僚、司法関係を信用できず、与党がこの軍事政権系統の指示母体によって成り立つ状態から、北朝鮮の体制を良しとするのではないが、韓国内では、北朝鮮に正当性が存在するがように感じることで何とか折り合いが付いてるようだ。



 というか財閥を中心にした支配体制を拒否する場合に、財閥解体まですると韓国経済に影響するし、韓国の官僚組織を解体する勢いもない。何気なく北朝鮮との融和が、朝鮮半島の平和が良いのだ。という図式に全てを持って逃げ込む姿が取り合えず正しいとしている革新政党なのだ。



 朝鮮半島の南北分離は、朝鮮民族が選んだ訳では無い。そこが韓国人の南北問題の難しいことなのだ。



 日本の元社会党出身議員や、共産党が、韓国の慰安婦問題を過激にしている、韓国女子挺身協、と言う組織を応援している。日本の議員会館で、韓国女子挺身協の日本の寄付活動や宣伝活動に使わせている。



 韓国の事情は、日本のこの人権蹂躙事件、財閥による『徴用工』問題を永久に言い続けて、日本を貶めて、何かにつけて、利用する利益を生み出す方法論でもあるが、反日の根拠の一部としている。



 この人達の反日は、韓国人のプライド問題として、植民地にされたことが、野蛮国、日本人に辱めを受けたことが許されない。そうした日本の存在そのものを認めない。とする思想であり、中華思想からしても、日本人は韓国人に跪き、永遠に付き従うべき野蛮人である。と、そうしないと、溜飲が下がらないという過激思想なのである。


 しかし、同じ反日でも中国の反日は解りやすい。中国の反日は、毛沢東の復権で始まった文化大革命の嵐の後、毛沢東夫人らの権力者が追放されて返り咲いた実力者、ト・ショウヘイという指導者が出てきて、当時のソビエトとの政争で不仲であった中国と、ゴルバチョフ・ソビエトの指導者との歴史的会談が北京で開かれることになる。


 海外のメディアの取材も許された。北京に諸外国のメディアが集結した。そのメディアの前であれば、激しい弾圧は無いだろうと、中国の学生達が天安門広場に集まり、もう少し自由な状態が欲しい、と自由化運動であつまり、世界のメディアがこの情景を報じた。


 しかし、中国の為政者は、歴代皇帝の末路を良く知っている。短い王朝で『秦』の40年あまり、長いもので、500年、中国の歴史は、王朝の交代劇で推移してきた。共産党の一党独裁が現実の中国の幹部は、常に民衆の動きに反共産党の動きが無いか恐怖しながら、苛ついて存在している。


 そこで。この世界のメディアの前で、天安門広場の学生に解散のために、軍隊を投入したのである。そして、その後の中国共産党の正当性を主張するために、清王朝を潰した辛亥革命よりも、侵略してきた日本軍を撃退して、アメリカなどが応援する、蒋介石軍も打ち破り、共産党軍が正義の元で、悪辣な日本軍を打ち破ったのである。として、諸悪の根源は日本軍にあると、反日をうたいあげて、国の外に敵を作り、あらゆる日本軍の非人道的な事件を大げさに言い張ったのである。


 困ることに、戦後はこうした日本否定論に、日本のリベラルとする人が、自民党の極右や右派に対抗するために、日本の恥部を拡大解釈して諸外国に広めている。結構な頭脳明晰な人が、左翼思想なのかもはっきりしないのであるが、存在するのである。


 中国は、広い国土を歴代政権が統治してきた。民族も言語も違う他民族国家である。その統治の方法に言語を漢字という表意文字で表現してきた。発音は違うが、象形文字から発展してきた漢字は意味が通じる世界観が存在する。非常に優れた文字である。


 ヨーロッパの広さと同じくらい広い中国。ヨーロッパは、一神教、キリスト教という縦軸に価値観が存在してきた。それに引き替え、中国大陸では、黄河文明の発祥の地、黄河流域が中心となり、そこの文明が高度なもので中心的役割をしている、という思考が存在した。


 古代の統一国家、『秦』は、この文明の中心地からは西の端に位置していた。遊牧生活に近い文明国家であり、馬の産地にもなっていた。春秋戦国時代、諸子百家【沢山の学問や国創りの学説が出ていた時代、孔子の儒教も老荘思想もこの時期にでてきている。強い国家がないので、言論統制がされない状態で、自由に物が言えたようで、いろいろな新しい国創りの説も排出する】が、色々な国で出世をしようと、諸説を説き回るが、文化的に中心に位置する国家は保守的であり、現状満足型に陥っていたようだ。


 しかし、西の外れの『秦』国では為政者が中央の文化国家に対する劣等感もあったろう。現に『秦』は野蛮国家と揶揄されていた。そうした国家の為政者に上昇意欲があれば、諸説を説く遊説家の言うことにも耳を貸す姿勢が生まれる。『秦』は既成概念を打ち破る政策も取り入れる事になってゆき、国内の人心が活性化してゆく。戦争に手柄を立てた人間に爵位を与える法律を作ったりする。当然のように、保守的な王侯貴族の抵抗にも合うが、その法律を守り抜き、巨大な国家になり、中国統一を成し遂げる。


 その際に黄河流域の文明の中心地、『中原』という地域への価値観の逆転の思考方法を考え出す。中国の最初の王国は『夏王朝』である。この『夏王朝』のできた場所が、『秦』の地が発祥の地であるとするのである。『中夏』即ち文明の発祥の地は『秦』なのであるとする。後に、この『中夏』思想は、『中華』と文字が変わるが、この時に使われた『中華』思想は現在も生きていて、中華が世界の中心であり、その外へ向かって、野蛮な地域が広がるとされて、平面な大地が、西洋の一神教の縦軸と対応してきたようだ。中国にとっては、『中原』という文化文明の中心地を獲得する、という行為から、『中華』という文明文化が大きな価値観を持つことで、大きな国土を平面的に統治できたのではないだろうか。


 この中華思想に韓国人の日本人より文明人の韓国人、とする姿勢が縋るような思いで成り立っている。中国が世界の文明の発祥の地であり、特に漢字文化圏では、その外側へゆくに従い、野蛮国家とした中華思想が韓国の日本否定論に繋がっている。


 中国人の反日は、政治的なことが起因しているが、韓国人の劣等意識からくる反日は、感情論であり、情念の世界なので、日本人が消えてしまわねば解決しない。しかし、その一方で、日本に頼り切ってきた経済や工業技術も存在する。はっきりと名言する。中国も韓国も台湾も東南アジアの国々も日本の存在があってればこそ、発展してきたのである。しかし、彼らの発展の後ろで、バブル崩壊後に日本は衰退の坂を転げ落ちている。



 それでは、何故、元社会党議員や、共産党がこうした韓国女子挺身協を応援するのか、甚だ疑問である。



 それは、日本のリベラルとする人の中には、戦前の日本は狂気の状態であった。天皇陛下万歳で、戦争へ突き進み、多くの人殺しをしてきた。戦争の相手の中国人を多く殺した。アジア人を殺した。アメリカ人をころした。インドシナのフランス人を殺した。イギリス人を殺した。インドネシアのオランダ人を殺した。日本兵を離島に放置して、補給せずに餓死させた。日本本土の一般民衆を無差別爆撃で殺した。原爆投下で殺した。



 こして、明治維新で作った薩長を中心にして天皇を担いだ政権が、日本を駄目にした。ある意味では、日本人論的に、この日本を根っこから覆すことをしないと正義は訪れない。という考えがあり、そうしないと、社会主義も共産主義革命もできないので、反日本という韓国の勢いを拝借しているのではないかと観ている。私見であるが・・・・。



 それだけ、日本人の心には、明治以来、いや、もっと昔からの日本人気質が存在して、とても左翼勢力が政権を握ることはできないということなのである。



 一つには、ソビエトの失敗と中国の毛沢東の失敗があり、世界的に社会主義や共産主義はもう繰り返すことはない。そう思って、資本の横暴が起きて、世界で、激しい格差が生まれて、古代の資本主義へと進みつつあるのだ。日本の左翼勢力のよって立つ位置が無い状態で、日本の右派が資本主義の究極へ向かいたがっている。究極のコストカットは奴隷制である。



 韓国野党が、北朝鮮に正当性があるがごとき思いがあるが、その北朝鮮の内部の酷さは言葉にならない。朝鮮王朝と同じかまたは、それ以上の非人間的扱いを受けている一般人民が存在している。



 しかし、現在の韓国の権力機構にも激しい怒りがある。時に、反日で憂さ晴らしはできるが、とくにスポーツの戦いでは、激しく日本を罵るが、日本は反撃してこないのは、学校で教えられた日本の酷さは本当のことか、日本の文化の全ては韓国から奪ったものか、そんなの嘘であることは、日本へ旅行にきている韓国人が良く解っている。しかし、反日がないと生きて行けない韓国人。



 美容整形が盛んな国であるように、建前では日本より韓国のほうが素晴らしい。という形式主義で成り立っている。いや、『そうあるべきだ』とする韓国民の独特の思考方法で、あることも、無いことも、全てが自分達韓国に都合の良い状態に無理矢理にして、他国を口激(シャレじゃないよ)して納得している思考方法に埋没している。



 しかし、形を整えてゆくうちに中身もだんだんとできあがってくることがある。



 あとは、考え方や、価値観の多様性が許される事になれば、韓国が日本を抜いて文化国家になれることであろう。その日は遠くない。難産の上に韓国がどう成り立つか、国家の形態をどうするのか、色々とあるであろう。


 こんな事例が存在する。日本の宇宙開発も韓国では見つめている。小惑星探査機の『はやぶさ』が何とか帰還に成功したことは、世界の宇宙開発の分野の人に知れ渡った。アメリカは、日本のその技術をよこせと言うことで渡し、アメリカも小惑星探査機にこの電気式推進装置を使い成功している。


 人間の尺度では実感できない宇宙の広大なことに、将来の宇宙への旅に、推進力のエネルギーをどうするかが話題にもなり、太陽風や光の力を使う『凧』を作って移動する手段も考えられている。現実に日本で、折り紙の技術で畳んだ『帆』を宇宙で回転して広げて、太陽の光を受けて、金星まで飛ばして成功している。


 韓国はこのイオンエンジンに目をつけて、中東のアラブ首長国連邦で打ち上げた人口衛星に、このイオンエンジンを付けて飛ばそうと試みる。しかし、イオンエンジンは日本に技術がり、アラブ首長国連邦の技術者が日本に声を掛ける。日本は当時、『はやぶさ2』の新しいイオンエンジンを試作していた。


 イオンエンジンは、電気的に衛星の本体がプラスになってしまうので、中和器というもので、電子の流れを調節して推進力にする。この中和器の最新技術を開発していたので、韓国のイオン発生器にこの中和器を使い、宇宙での実験をすることを条件にアラブ首長国連邦の人口衛星に載せて実験がはじまる。


 日本の中和器の動きは正常に動くが、韓国製のイオン発生器が動かない。そこに立ち会った、イオンエンジンの生みの親の技術者が、韓国側が見せない設計図、しかし、パソコンに入っている韓国側のデーターを詳細に調べて、韓国側とアラブ首長国連邦側にアドバイスをして、イオンエンジンは動き出した。


 この日本の技術者はイオンエンジンの普及が進む事を願う科学者であるが、韓国の汎用性技術を使う技術開発は、失敗しないが、最先端を踏破できないことになる。韓国人や中国人がノーベル賞の受賞者が出ないことを問題視するが、日本やヨーロッパ、アメリカの技術が成功して失敗しない技術を使い、先進国よりも安い値段で海外へ売るシステムでは、永遠に先端技術の開発はできない。


 このアラブ首長国連邦で日本の技術者の助けを受けて成功した韓国技術者は。日本技術者の『おめでとう』という握手に笑顔を満面にたたえたが、ありがとうという言葉すら発しない。


 また、現在では、ブラックホールの周辺の光を捉えてブラックホールの穴の部分の観測をすることが、世界中の電波望遠鏡で稼働している。日本の国内でも行われているが、小笠原と日本列島では半径が小さいので、日本の援助で造られた、韓国内の電波望遠鏡と中国の内陸部の電波望遠鏡を利用して、おおきな半径の電波望遠鏡で、解像度を上げて、ブラックホールの観測に当たっている。


 この観測の諸点が韓国のソウルに設置されている。日本の科学技術に出す予算が削られている昨今、東大でも京都大でも論文の不正事件が起きている。成果主義が科学技術分野でも起きていて、成功しないと研究予算が下りないようになったために、不正してでも続けたい研究者が誘惑に負けるようだ。科学の世界は、新しい分野を研究するので、沢山の失敗や、挫折した研究の中から新しい発見や技術が生まれる。そこに経済性を導入すると、日本には新しい技術開発や、新しい科学的発見はできなくなるだろう。


 ついでに述べておく、国際宇宙ステーションに日本も物資の運搬衛星を打ち上げて、利用されるようになっている。人が居る宇宙ステーションに衛星をドッキングして物資を運ぶことは、人命に関わる問題で、事故を想定して、二重にも三重にも安全装置が必要とのNASAの要求で、中々OKが出なかった。私見であるが、少々苛め的要素も感じた。白人主義の先端科学。アジアのイエローモンキーが何を言う。そんな差別意識が白人の中に大きく存在している。


 しかし、日本はNASAの指摘する問題をクリアーして、しかも、通常使われているドッキングシステムの『衝突型ドッキング』ではない方法を考えついて実行して成功を収める。しかし、その技術をアメリカがよこせと言われると渡さなければならない事情があるのだ。衝突型ドッキングでは、宇宙ステーションにも衝撃を与える。


 日本の衛星は、宇宙ステーションとランデブーを続けて、できる限り近づいて、宇宙ステーションのロボットアームで捕まえて、ステーションに近づけて装着するという方法であり、衝撃が全く無い方法を成功させた。


 この技術は、アメリカに持って行かれて、NASAが予算の節約で使っていた民間の衛星発射会社に与えられて、すぐに使われた。その技術移転に日本の技術者が派遣されて指導したことは発表されていない。また、アメリカの重力波の観測装置のライゴの観測技術の更新に日本技術者の緻密な技術で、微細な重力波を捉えられた事も発表されていない。


 日本の宇宙開発では、たとえば、『はやぶさ』の打ち上げでも、地球は常に自転している、宇宙を旅する衛星の追跡には、世界中に電波の発信や受信に中継基地が必要であるが、アポロの開発でアメリカには地球の自転に関係なく使えるアンテナが世界中に存在する。その利用をアメリカに許してもらう必要があり、アメリカの言いなりになる日本が存在している。日本人に意外に意識していないアジア人意識。我々日本人は、白人社会からは、厳然たる差別されるアジア人であることを忘れてはいけない。

 文在寅大統領が、トランプにノーベル賞をもらえる可能性で刺激して米朝会談があったが、もう嫌気がさしてきているみたいである。短兵急な外交で、勝った負けたのトランプ流であれば、この先の結果がすぐにでそうにない北朝鮮との交渉は、日本と韓国に任せると投げ出したようだ。



 文在寅の指針なき融和策は、結局は何も生まないで、韓国の国家予算の無駄使いと、アメリカのトランプのもしかしたらノーベル賞の思惑が消えて、やけになったトランプの北朝鮮への戦争行為が始まらないことを祈るばかりである。文在寅の無責任が招いた状況を韓国民は良く精査するべきである。

長く続いた、下痢状態、高齢によるものか、癌再発か?

2018年06月19日 | 日記
 2型糖尿病の血糖をコントロールする、ビクトーザという注射を始めてから、便秘が酷くなったりしたので、市販の下剤を飲んだ。

 若いころより、便秘と下痢状態の繰り返しでした。

 人により、毎朝の便通が無いと気持ちが悪く、即、便秘だ、と断言する人がいる。相当な多喰いの人ではない限り、毎日の便通が無くても便秘とは言えない。

 通常の人で、週に、2度から3度の便通があれば便秘ではない。しかし個人差も存在する。

 大腸癌の手術をしているので、大腸の長さが通常の人より短い。大腸では、小腸から消化して吸収した残りの食物のカスと消化液と大量の水が大腸に到達する。

 大腸では、その水分を再吸収して、直腸の手前で固形化して溜まり、朝の食事で、刺激を受けて、固形化した消化のカスが、直腸に下がり、肛門付近で、便意を感じて排出する。思う存分に排泄できると、非常に気分が良いモノだ。

 私の癌はこの固形化した大腸のカスが溜まる部分にできてしまったので、その部分を10cm位切除したので、固形化したカスが多くたまっていない。言い方を変えれば、溜めておく場所が短いので、直腸に一遍に降りてこない、そのために、排泄下後に、暫く時間が経過すると、また徐々に溜まったカスの固形物が直腸に降りてきて、便意を感じ、排泄が始まると、3回はトイレの便座に座る。

 面倒な時は、本をトイレに持ち込み、オシュレットの温い水を肛門にかけて、刺激を続けて大腸の動きを促しながら、イメージトレーニングで、大腸を通貨するカスの固形物が、お腹の右から左に動くイメージを描きながら、1時間くらい座っているばあいもある。

 しかし、この2週間くらい、食事をすると、便意を感じ、トイレに駆け込むと、下痢状態である。我慢して座り続けるが、次が出ないので、トイレから出る。暫く、ベッドに横になったり、座ってテレビを観たり、パソコン操作してりしていると、また排出の刺激が起きて、トイレに駆け込む。下痢状態が続く。次も下痢で殆どが、水の状態である。

 何か、病的な異変かと疑うが、下痢の内容物の臭いは、消化液の臭いが強く、大腸が水分の再吸収をする間もなく、通貨してくるようである。

 便の臭いは、普通は、大腸菌の臭いが強く、下痢状態であると、小腸からの消化液が、液体の状態で排泄されるので、通常の便とは臭いが違うようだ。

 中々、下痢状態が収まらず、医療機関に出向くか思案している状態で、北からの高気圧が張り出してきて、関東や、東北に冷たい『親潮』の上空を北北東に風が吹き、冷たい空気が流れ込み、関東と東北に冷たい空気の中に入り込むことになる。寒いくらいの気温になり、暑くて蹴飛ばしていた厚手の夏掛けでは寒いので、一枚余分に薄カケを架けて、ベッドの保温を確りとした。いつの間にか下痢が止まった。

 身体の冷えが原因で、下痢をしていたようで、冷えは、骨の関節の部分にも軽い痛みに似たダルサを感じたりしていた。

 直腸癌の手術後には(夏)2型糖尿病性の痒みが起こるので、ヒスタミンを押さえる薬飲んでいたが、全ての薬が暫く呑めない状態になり、痒みは、身体を冷やすと収まるのを経験的に憶えていて、個室にいたので、エアコンを効かせて、掛け布団をかけずに寒い位の状態で眠っていた。それで特に問題は無かった。

 しかし、少しずつ歳を重ねているようで、身体の冷えが影響をするようになったらしい。

 今年も、8月には、大腸の内視鏡検査で、1泊2日の入院を予定している。私の掛かり付けの病院は、内視鏡検査はフリーランスの医師である。からり多くのフリーランスの医師がいる病院である。

 梅雨時期は、ご承知のように、夏の暑い気団と冬の寒い気団がぶつかり合い、その間にできた前線で雨がふる。暑い空気と冷たい空気の気団が日本列島上空で、南北に動くので、暑くなったり、寒くなったりするのが、この時期の特徴である。

 日本列島は、地球規模の位置では、乾燥地帯に所属する。地図で、日本列島の西へ向かってゆくと、砂漠地帯が多いのに築くだろう。しかし、日本列島の太平洋側には、黒潮という暖流が流れていて、湿った空気が雲をつくり、雨が多い。また冬には、この黒潮の分流の対馬暖流が日本海を北上して、北海道付近まで達する。大陸の冷たい北東の気流が、日本海の対馬暖流の水蒸気を含み、日本列島の背骨の山脈にぶつかり、上昇気流となり、雲をつくり、かなり冷たい北西の気流で、大雪をふらして、山岳地帯には、雪という天然の貯水ダムが、春まで水をため込んで、日本人を水で潤すことになる。

 春からの梅雨、秋の秋雨前線も、季節の変わり目に降る雨であるが、この雲の帯は遠くインドのモンスーン気候も影響している。

 アジア上空は、偏西風が大きく蛇行して、風速は、100kmから200kmくらいのスピードで吹いている。この偏西風が、ヒマラヤ山脈の影響で、インドの北部のヒマラヤの麓付近を流れながら、インド洋からの湿った空気を取り込んで、ベトナム北部かた東シナ海へ、沖縄付近から太平洋の黒潮に載って、北へと進むことになる。この時期に朝鮮半島の南部にも前線がかかり、梅雨の雨の恵みがある。しかし、朝鮮半島は、大陸的な気候に入るので、乾燥地帯にも属する。古代より、干ばつと冬の寒さに悩まされてきた歴史が存在している。

 この気候が色々な事情により常に変化を繰り返してきた。14世紀から19世紀までは、小氷河期と呼ばれて、日本の江戸時代に度々、飢饉として飢え死にしたり、伝染性の感染症が流行ったりして、沢山の人間が死んでいる。

 ヨーロッパでは、イギリスのテームズ川が凍り付いたり、パリのセーヌ川も凍り付いたりした寒さであったらしい。

 元々、北に位置する、ヨーロッパは、乾燥と寒さの中で、麦類の栽培で生きてきた。しかし、寒くなるとその麦の収穫量も大幅に落ちて、当時のスペインが南米の植民地のアンデスの高地の寒冷地のジャガイモをヨーロッパに持ち込んで、家畜の餌として栽培していたが、徐々に品種の改良で、大きく育ち、収穫量も増えるようになり、第二の主食とし食卓に上り、飢えを凌いだようだ。この食料難に、フランスの王侯貴族が、贅沢な暮らしを、尚、続けていたので、一般民衆が蜂起て、フランス革命が起きたと言う話も存在する。ヨーロッパの人口が4分の3にまで減ってしまったとある。

 農業革命、産業革命などもこの寒冷化が大きく起因しているという説に納得する部分もある。