2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

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私の2型糖尿病の治療の変遷 NO.4

2015年05月29日 | 日記
 ちょっと スペースを割いて、今の状況をリポートします。

 肝膿瘍と心不全を患い、その入院課程で、自己インスリンが出ているので、インスリン治療ではなくて、食事療法でどのくらい血糖値が下がるか、様子をみて高血糖状態になると、200異常でると、30Rのインスリンを2単位の注射に、180以上で1単位の注射と、自己インスリンが出るような刺激として、または、インスリン抵抗性に対する刺激を与える工夫を医師がしてくれていた。結果、自己インスリンが使えるような身体になり、ジャヌピア錠とメトグルコの服用で、適正血糖値に収まるように、医師の指導でできることとなった。
 
 しかし、このブログにも以前に書いたが、ジャヌピアの効能は、小腸へ食物が入るとインクレチンという酵素が出て、膵臓のα細胞へ働き、肝臓の糖の生成を抑制する働きがあり、β細胞に働きインスリンを出せと刺激する。しかし、この小腸からのインクレチンの働きを、5分間で止めてしまう酵素が働く。これが『DPP-4』という酵素である。何故、この酵素が働きインクレチンを止めるかは、低血糖状態を回避するためであろうと推測される。人間の進化の歴史で、飢えからの解放は、ここ100年くらいである。飽食の時代は、50年~60年位であろう。飢えていた時代が圧倒的に長い人類の歴史。低血糖は死を意味する。脳はブドウ糖が唯一のエネルギー源、脳が破壊されると勿論のこと死である。この状態を避ける意味で、多くのインスリン分泌を抑える働きが進化したのだとおもう。

 今、飽食の時代、長生きの時代に、インスリンの効き目を持続しなければならない病気が出てきたのである。生活習慣病からの2型糖尿病と高齢による機能の劣化での2型糖尿病が増えてきている。そこで、自己インスリンの出ている人は、この酵素『DPP-4』を抑えることで、インスリンの効き目を持続させて正常な血糖値にするという薬品である。この治療には、補薬としてメトグルコを併用していた。
 
 しかし 調べるとこの『DPP-4』は、身体のあらゆる箇所で使われている酵素で、免疫システムでも大いに使われていたりする。そして何よりも、私個人の特徴でもあろうが、効能書きにも書いてあるが、便秘の副作用が激しく、心不全で冠動脈にステントを留置しているので、排便自に強く息張ることに心配になり、医師に申し出て、ジャヌピアの処方を止めて、メトグルコとインスリン注射に変更した。インスリンはフレックスペン30mixでる。

 ここで、食べ物について、知ってるひとは多いかも知れないが、食品交換表に出ているように、白米、麺類、芋類などのデンプンの食品であるが、白米より麺類、麺類よりジャガイモの茹でたもののほうが、血糖値が上がらない体験をしてます。
 ジャガイモが飽きることがないので、良く食べます。簡単に茹でるだけで、牛乳や生クリームを使ったマッシュポテトにはしません。適量をある程度切り分けて、鍋でひたひたに水を入れて、少々の塩を入れます。心臓が悪いので塩分控えめです。沸騰してから3分~5分たって(夏か冬で時間に違いがあります)蓋をして 1時間くらい放置します。その後お湯を捨てて、粉ふきいもしてければ、そのまま火に掛けて振りながら焦げないように暖めると水分が飛んで、ほくほくのジャガイモができあがります。

 白米を食べると、血糖値が予想外に高くなり、メトグルコでは中々下がりません。インスリン30mixを5~6単位を注射します。しかし麺類(素麺、うどんを茹でて、薄い醤油味のつゆを作り長ネギや油揚げ、ブロッコリーの茹でたものなど、そのときの野菜を入れて)ですとインスリン注射をしなくても血糖値が下がります。これがジャガイモですと、メトグルコだけで適正な血糖値に収まるのです。

 ジャガイモは、野菜を一緒に味噌汁にもしてます。間食いには、大根を細く刻んで、にんじんも細切り器でかなり細く刻んで、塩、酢、少々の甘味料(ラカント)冬であれば、柚、 もうお解りですね、そうです。『なます』を作ったりしてます。酸っぱいもんが好きなので。
 途中の経過の状態です。

わたしの2型糖尿病の治療の変遷 NO.3

2015年05月19日 | 日記
 
エクセルによる体重管理の表とグラフ

 体質的に飲酒ができない。というよりも僅かなアルコールで、悪酔いしてしまう。極端な例では、梅酒の梅を2個食べただけで、真っ赤な顔になり、心拍数が激しくなり、頭痛が激しくなり、症状が和らぐと眠ってしまう。はなはだ気分が悪くなり、どんなに訓練してもアルコールに対して身体の拒否反応は改善されなかった。発酵のための麹菌の香りがどうにも好きになれないまま今日に至っている。
 
 そういうわけで、禁酒のストレスは全く無い。基本的には、甘党であり、果物が大好きであった。和菓子の『小豆あん』のものはなぜか胃もたれがして多くを食べられない。さっぱりとした甘みが好きで、果汁100%のジュースよりも、人口的に合成されたジュースのほうが好みであった。
 戦後の食料難の時代の子供であるために、基本的には好き嫌いは無い。
 
 2型糖尿病と診断されて、暫くして、介護中であったがために、ストレスは相変わらずで、間食いがしたくてたまらなくなる。また、カロリーが低い物ほど高額で、しかも美味しくない。
 栄養の偏りも怖くなり、雑穀米を混ぜて炊く。しかし食べ過ぎは意味がない。いろいろ思考錯誤の結果、雑穀米に古代米(餅米)、そしてコンニャク米を大量に混ぜて、美味しく炊きあげるコツを得た。餅米を混ぜてもいいし、古代米(黒)は餅米でもちもちしているので、コンニャク米を大量に混ぜても美味しく食べられる。しかし、高額になる。

 そんな暮らしで、弱い意志の私は、食事制限を維持できず、インスリンも30Rから30MIXへ そして最終的には、超速攻型にランタスを使うようになる。自己規制ができないのを、色々な言い訳をしながら(自他共に言い訳してきた)HbA1cが10%くらいまで進んだり、5%台で推移したり、かなり酷い食生活であった。
 
 当然、合併症が出るのではないかと恐れていたが、3大合併症は出ずに、加齢現象が進んだようだ。まず65歳で勃起不全(合併症の一部)眼科では、網膜に異常はないが、飛蚊症の硝子体後退(宙に飛ぶものが酷くなり、視界の脇から瞬間的に鋭い光が入り込む。興味のある方は、検索するとでてきます。加齢現象で治療方法はない) 怪我をした傷が治りにくくなる。病院の外来で外科の医師に小さな怪我ではあるが、2週間係続けて治癒した経験がある。

 食べ物への誘惑は、永遠に続き、我慢できない。

わたしの2型糖尿病の治療の変遷 NO.2

2015年05月14日 | 日記
 2型糖尿病と診断されて、栄養士さんの支持に従い、食品の単位表に従って話しを聞いた。
 しかし、一人暮らし、というよりも母親の介護中でもあり、食生活の根本的改善は殆ど無理であった。まずは、糖分・炭水化物の摂取を控えることと、大好きな果物の摂取を控えることとした。

 当時は、HbA1cのことはよく知らずにいたので、記憶ない。食事で、炭水化物の摂取を止めてしまうと、身体はエネルギーとして、ブドウ糖を必要としているために、自分自身の脂肪や筋肉などをブドウ糖に変えてエネルギーにする仕組みがあることは、後に勉強して知ることになるが、この時期の無知な私は、炭水化物の含有量が少ないヨーグルトを中心に食べて血糖値のコントロールをしていた。
 後に知ることになるが、ヨーグルトは、牛乳の産地で、生乳としての保存ができないことから、バターを作り残りの生乳を乾燥させて、脱脂粉乳を作り、保存又は、この状態であると輸送が簡単になるために、産地、主に北海道や外国からの輸入など流通形態に便利であった。
 加工乳と明示してある牛乳があるが、これは、このバーターと脱脂粉乳を消費地で混ぜて温水で溶かし、カルシュームやビタミンを強化した牛乳が売られているのはこうした、流通システムから生まれた副産物である。
 このうちの脱脂粉乳に水分を加えてヨーグルト菌を加えて製造販売していることが解った。脂肪文はないが、乳糖という成分が含まれていて、ある意味では理想の食品であったことが理解できた。

 当時はアメリカで、『カーボカウンティング』という考え方があり、炭水化物の摂取を止めて、蛋白質を摂取することで、体内のブドウ糖の量を少なくして、コントロールする考え方が日本にも渡ってきた。しかし、炭水化物からできるブドウ糖は、脳の働きの唯一のエネルギー源であることなどのために、肝臓では糖の生成を行っているし、低血糖を抑制するためのシステムとして、小腸に達した食物を感知すると、小腸からインクレチンという物質が膵臓にゆき、α細胞に働き、肝臓の糖の生成を抑制する。また同じく膵臓のβ細胞に働きインスリンの放出をうながす。しかしこの状態は、約5分間で、DPP-4という物質でインクレチンが加水分解されて、効力を失わせる働きがある。低血糖を防ぐシステムが厳重に働くように身体はそのシステムを進化させてきた。このシステムから2型糖尿病薬などが開発されている現状がある。

 これはどういうことか、我々ホモサピエンスもその進化の過程では、殆どが『飢え』との闘いであったのではないかと想像させる。インスリンは血液で運ばれてきたブドウ糖を細胞内に取り込むための酵素であり、身体の維持に欠かせないエネルギーを血管から身体中の細胞に配るホルモン物質である。そして脳の唯一の活動源としての血糖が、血管内から失われると意識がなくなり『死』が待っている。そのために食糧事情が悪い状態が日常であった人類の過去、低血糖対策は欠かせない身体のシステムであったのだろう。肝臓での糖生成システムも『飢え』で新たなエネルギーが身体に入ってこない場合に対処している。

 時代は食物の大量生産ができて、砂糖の値段も安い(発展途上国での栽培で、人件費の安さ)甘い飲料が戦後アメリカから入ってきて、我々はコカコーラを呑むことが、流行の先端であるかのように振る舞った。アメリカ式ドーナッツやパンに付ける甘いピーナッツバター、甘いことが豊かさと思ってきた過去がある。炭水化物の塊であるポテトもいろいろな加工食品が出回った。マクドナルドの1号店が銀座に現れたことは、良く言われているので知ってる人も多いだろう。ここでアメリカのアイダホで栽培されたポテトが付け合わせにあり、アメリカの農産物の輸出戦略は、戦後学校給食にパンを取り入れる援助から始まっている。小麦の輸出国としての日本の食生活を変える戦略であった。そしてアイダホの新種改良された大型のポテトで作ったポテトフライ、ポテトチップスが、日本でも人気が出ることになる。
 
 話は脱線するが、馬鈴薯、ジャガイモ、ポテト、呼び名は日本でもいろいろあるが、この植物は南アメリカのアンデス山脈の高山の寒冷な地域の作物であった。ちなみに、トウモロコシ、トマトも南アメリカのアンデス地方が原産地である。
 大航海時代にスペインの植民地になった南米諸国からこのポテトはヨーロッパに伝わって、まずは家畜の餌として栽培され始めた。しかし、16世紀から地球は小氷河期に見舞われた。麦類を主食にしていたヨーロッパでは、寒冷のために、この小麦を中心とした穀類が育たなくなってしまった。そして寒冷でも良く育つポテトを人間が食料とすることになるのである。今、ヨーロッパに残るポテトの食文化はこの時に生まれ育った。

 本来、こうして飽食や砂糖文化や、栽培技術であまり食べられなかった果物などが豊かになり、高カロリー食事ができるようになり、その時代がまだ始まったばかりで、飢えに対応してきた人類の身体が対応できずに色々な病気を起こしてる遠因にもなってきている。しかし 食料事情が良くなり、人間の平均寿命は飛躍的に伸びたのも事実ではある。

 さて、わたしの治療であるが、血糖コントロールがうまくできはじめたこと、医療機関でも褒められたことで、張り合いもあり良い状態が暫くは続いた。脱脂粉乳で作られたヨーグルトは乳糖という炭水化物の影響で、身体はブドウ糖の需要を満たし、インスリン注射でそのブドウ糖を適度に体内に取り込めて、インスリン抵抗性の高いでの血管内のブドウ糖が使えない状態で、身体の脂肪を使う必要がなくなり、激やせが直り、身体のだるさも直ってきた。何よりもこの脂肪の燃えカスである、ケトン体が尿中に出なくなり身体の機能が正常に近くなってきた。