2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

貨幣は、貸借関係で存在します。貨幣に金や銀の裏付けはありません。
貨幣の裏付けは、供給能力です。

 

前回の続きです。 2017年7月7日 追記しました。

2017年07月03日 | 日記
 恐竜の絶滅の話から、宇宙論へ、私個人の死生観、現実の社会現象、とはなしが飛び飛びになりましたが、混乱しているわけではありません。

 

アインシュタインが、相対性理論を考え出した時点では、宇宙は普遍であり、膨張も縮小もないものと考えられていたそうです。しかし、アンイシュタインが理論を組み立てていくと、宇宙は膨張もするし、縮小もする理論になってしまい、困ったアインシュタインが、定常で動かない宇宙の姿にするために、宇宙定数を導入します。
 
当時、アメリカで、その時点では遠くが見える大きな望遠鏡が造られて、全ての星が銀河内部に存在すると思われていたのが、銀河の外に銀河が存在することを発見します。そして、『赤方偏移』の計算で、当時観測ができた銀河が全て遠ざかっていることを発見します。それがハッブルという人です。ハッブル宇宙望遠鏡の名前の人です。

 アインシュタインは相対性理論で、悩んだ、宇宙が膨張や収縮するという現象から宇宙定数を導入しましたが、この宇宙定数を誤りとして捨ててしまいます。宇宙は拡大していたのです。それまでの不動の宇宙という常識が変化したのです。

 その後、この宇宙の加速度的な膨張が発見されて、ダークエネルギーの存在、ダークマタの存在へと続きます。現在は指数関数的な宇宙の膨張、光のスピードよりも早い、とても、とても、とても、早い速度で膨張している宇宙。という存在が確認作業がされています。重力波での観測が世界的に行われています。

 

 さて、地球の話です。もっと身近なはことです。でも人間的な時間的な観念では、遠くの昔の話になります。

 ウエゲナーと言う人が、南米とアフリカとの形から、くっつけると上手くパズルのようにはめ込むことができると考えました。この大陸同士は、くっついていて、離れたのではないか、『大陸移動説』の誕生です。離れたと思われる両方の大陸の植物や動物の形態や種類などを調べると、まさしく、一緒になっていた大陸が離れたとしか説明がつかなくなります。

 しかし、何時の時代でも、発想が常識とされることから、かけ離れると、専門家と自負する人の激しい排斥に合います。真偽はともかく、専門家の既得権益に影響しますし、既得権益を持つ科学者は、高齢になり、天才ではありますが、高齢になると、新しい知識や概念、観念、あたらしい行動などに入り込めない頭脳や感情の柔軟性がなくなります。

 しかし、じょじょにウエゲナーの話に信憑性を感じる人達が増えてゆき、海底の調査も進みます。そして、大西洋に中央海嶺が発見されて、いよいよ本格的な調査が始まります。

 画像は、日本の海底掘削調査船の『ちきゅう』です。


 



 現在、この『ちきゅう』は世界的な科学者も同船して開かれた海底地質調査をしています。東日本大震災で、海底の調査もしました。この船は、海底の一点にボウリング調査をしますので、前後左右に動けて、常に海底の一点に留まるコンピュウター制御される仕組みなっています。

 この『地球』はアメリカの1960~1980年代に活躍した『グローマー・チャレンジャー』と同じようなもので、この『グローマー・チャレンジャー』が大西洋の中央海嶺を中心に徐々に遠くへ海底の地質を掘り出して調べた結果、中央海嶺から遠く成る程、年代が古くなることを発見する。海底が動いていることを確認するのでした。

 しかも、中央海嶺から、縞模様のように海底の岩石の磁場がの変化を捉えることになり、地球の磁場の南北が逆転してきた過去も捉えることになる。間違いなく海底は動いていたのです。

 中央海嶺から吹き出した溶岩が、冷えて海底の岩盤となり、そのときの地球の磁場を内包して残し、年間に数センチずつ東西へ動いていりことが発見されて、大陸移動説は認められたのです。

 しかし、もう一つ大事なことは、地球の磁場の南北逆転現象である。地球に磁場があるのはなぜか、金星や火星には磁場がありません。今、盛んに研究が進んでいますが、地球の中心付近には、重たい鉄やニッケルが高温で高圧の個体で存在しているものと推測されています。その周りに液体の金属が取り巻き、その周りにマントルがあり、薄い皮のように地殻が存在していると推測されます。

 こうしたことが解るのは、地震波で観測できます。地震波は、堅いところは速く進み、柔らかい部分では遅くなります。この観測結果から地球内部の様子が少しずつ解ってきています。

 中心の熱い核の周りに金属製の液体が存在して、中心核との温度差は、1000度くらいあるそうです。そして熱対流を起こしているそうです。そこに地球の自転の勢いが加わり、南北に螺旋上の渦が発生していると推測されています。こうして地球は巨大な発電装置のようになり、磁場が発生しているということです。

 

 画像は太陽風に流されながら地球を守る磁場の創造的な模式図です。左側から太陽風が吹き付けて来ている状態です。

 現在、この磁場が弱まっていると科学者が研究をしています。熱対流と地球の自転。新たに、液体の金属の核の部分が対流で冷えると鉄の部分は重くなり、酸化ケイ素などの軽い部分と分離して、組成対流も起こしているという説も主流になりつつあります。

 私的感想ですが、月の重力、太陽の重力も影響しているのかもしれません。
 或いは、太陽系は銀河の中を、約2億年で一周してるとされています。その一周する課程で、暗黒星雲やスパイラルアームの中を通過するそうで、その度に大きな重力的な影響や、判明していない何らかの影響を受けているはずだとされています。恐竜の絶滅の隕石の衝突は、暗黒星雲の中を通過中にその重力の影響で、地球の寒冷化などがあったのではないかと言う説もあります。

 画像はハッブル宇宙望遠鏡で捉えられた馬頭星雲の画像です。こうした、ガスやチリの集まっている銀河の一部の中を太陽系が通過する時には、解っていないいろいろな現象が起きた過去があるはずです。


 

 
 色々な、影響で地球の磁場はかき乱されて、磁場の逆転の際には、太陽風などをカバーする鎧の役目を果たせない長い時間が発生する可能性を指摘されています。磁場が弱い、或いは、殆ど無い状態が、1万年も続いてのではないかと言う説もあります。

 
 何故、地球の磁場の研究が盛んになっているのか、というと、比較的に短い時間で磁場の消滅と逆転現象がおきているという証拠が日本や世界の地層から簡単にお発見されるからです。

 その地層の調べから、78万年前に、磁場が全く無い地層の発見がされています。そこで、大阪湾の海底のボウリングで海底の78万年昔に地層から、花粉を抽出して調べると、現在よりも寒い状態の植物の花粉が発見されている。現在の東北地方の山にあるブナの花粉が発見されて、現在よりも、2度~3度低い温度であったようだと推測されました。





 画像は、黒いぶぶんが現在の磁場の南北状態を示す。かなり頻繁に磁場が動いて逆転している。逆転と逆転の間に、磁場が弱くなっているか、殆ど無くなっている場合があるそうです。その磁場が無い時期に寒冷化をしている可能性が色々な観測や実験で明らかになってきています。



 地球磁場が弱くなると、磁場のバリアーが弱くなり、宇宙線が大量に降り注ぐことになります。宇宙線は地球の空気の分子に衝突して、電気を帯びて、分子どうしが塊になり、雨や雪の核の働きをします。地球の空気は、雨や雪が降らなくても、厚い雲に覆われる可能性が出てきます。太陽光線を遮り、寒冷化の状態になります。

 地球の平均温度が、1度さがると、大変なことになります。人間が多く住むところでの農耕ができなくなったりします。前に記してあるとうり、300年くらい前に小氷河期がきて、ヨーロッパで麦の栽培ができずに、寒冷地でも育つジャガイモが飢えを救ったことがあります。そのときの平均気温は1度の低下ということです。日本では、江戸時代に東北を中心に飢饉が発生して、多くの人が飢え死にしていたそうです。

 恐竜の絶滅や過去の何度かある生物撃滅のシナリオは、簡単な要素だけではなく、沢山の出来事が複数重なってきた、荒ぶる地球の姿を表しています。


 

 画像は、メインベルトと言われる、緑色の小惑星帯と赤い部分の地球近傍惑星が示されています。観測技術の進歩で、私たちの太陽系は、こんなに沢山の小惑星に囲まれています。観測技術がもっと進めば、『諸惑星が何時、何時ころ地球に衝突する』という予報がされるようになるかもしれません。


 


 ロシアの2013年チェリャビンスク州の隕石落下の様子です。ちょうど、隕石が上空で熱により爆発の瞬間のようです。強烈な光とともに雲のような光跡を残して消えますが、遅れて激しい衝撃波が襲ってきて、ひとが倒れたり、飛ばされたりします。建物の一部も破壊されます。多くの建物のガラス窓が破壊されて飛び散り、500人以上の人が怪我をしたそうです。ロシアでは、冬の凍り付いた道路で交通事故が多発するということで、車にテレビカメラをつけている人が多く、この隕石落下の映像が多く残されました。

 


 さて、最終章に入ります。

 宇宙が何らかの事情で誕生して、多元宇宙論では、我々の宇宙は、たまたま真空のエネルギーの量的な問題で、指数関数的な膨張が弱く、ダークマターが生成されて、水素やヘリュームができあがり、星が誕生して、銀河群が誕生して現在の宇宙まできた。

 その過程で太陽系という存在ができあがり、その太陽の惑星として地球という岩石惑星ができあがり、水が液体で存在できて、生物が発生してきた。
 
 その生物のための元素は、宇宙のあちこちで起こった超新星爆発や、中性子星の合体【宇宙には、連星という形での星の存在が多くある。先頃発見された、重力波では、ブラックホールの合体から発生した重力波であった。それも2度もブラックホール同士の合体であったことで、宇宙では、巨大な星の死の残骸のブラックホールが結構多く存在していることが判明した】などで重い元素が宇宙にバラマカレて我々の太陽系の生成がなされました。生物は、そうした元素を利用して進化して、地球上の環境に合わせて生存競争を経て現存する生物が存在している。

 こうした科学的な思考や実験の成果を得ることができる、我々人類は、いろいろな世界を研究して、生き延びてきた。この背景に一神教の世界で起きた観念が存在しているのではないだろうか。宗教差別へ向かうのではなくて、人間の思考の方向や情念を問題にしようとしているのです。

 天と地は神が創った。地上の動植物も神が創り、そこに、神の姿に似せた人間を置いた。あまり詳しくはないのですが、神が創った地上の動植物は、神の次に選ばれし人間のために存在するとされる。
 ここで問題なのは、人間と自然を対極に離反させて、利用する自然。征服する自然。とする観念が発達してゆく。こうした観念から、自然科学という研究がされるようになります。一神教世界の共通したものです。東洋では、こうした対局的な自然観が発達する観念が育ちにくい主観的な世界観で推移します。

 キリスト教の教会に従事する人達が、占星術のために星の観察を始めるが、観察をして記録してゆき、星の動きを知ることになり、地球の周りを回る太陽、月、金星、火星、木星、と発見が続く。しかし、その動きが妙なのに気づくことになり、地動説が言われることになる。コペルニクス、ガリレオと続き、ニュートンの万有引力。ニュートンは微分・積分も考え出したので有名であるが、まだ神を信じていて、超自然的な要素の考えを持つキリスト教からは抜け出せてはいない状態が続く。

 ニュートンのかなりの後輩のダーウィンが、英国の地球の経度の測定のために船に乗り世界への旅立ちがあり、ダーウェインは、博物学者として航海を共にする。

 南米では、巨大地震にも遭遇して、断層地震で、地面が数メートルも隆起する体験もして、大地も変化することを体験する。イギリスでは殆ど地震がないので、大地が動くという現象はかなり衝撃的ではなかったかと想像する。

 そうした体験に合わせて、沢山の動植物の観測から同じような動植物でも、その場での色々な細かな違う変化をした動植物を発見してゆき、前々から不思議に思う動植物の姿の変化に、環境変化に対応した生存競争で、生き残れる姿を変化させた生き物が残り、生き続けてきたことを悟るのである。

 書き上げた、『種の起源』という、『人間は猿から進化してきた』という神の存在を否定する本の出版を慎重にして急がなかったようです。当時のキリスト教という遺伝子的に内包してきた社会からの拒否反応は、誰より良く知っていたのでしょう。

 アメリカのキリスト教原理主義の人達からは、ダーウィンの進化論を学校で教えることに反対して宗教裁判を何度もしているが、いずれも敗訴している。

 多神教の日本では、一神教のタブーが存在しないので、科学や医学の世界の研究者から羨む声があったという話を何かで読んだ憶えがあります。
 現在のキリスト教社会でも、このタブーの垣根は無くなりましたが、天才科学者の中にも神の存在は無意識に残っているようです。

 しかし、科学的思考で研究が進めれば、進む程、物理学や医学、生物学は、哲学的要素が多くなり、人間の愚かさを露呈してしまいます。科学者は信じて研究を進めています。しかし、先端科学で、大自然の力の前に、その大自然の偉大さに考え方を変える人も多く存在しています。

 人間そのものが、進化の過程に存在していて、進化は終わっていない。生物として完成した生き物では無い。そんな思いが激しく心を揺さぶります。

 近代科学の粋を集めた、原子力発電所。チェリノブイリの爆発、スリーマイル島の原発の事故、福島の巨大地震での破壊と津波での完全な破壊に遭遇して、多くの地震学者が、原子力発電の研究者が挫折をしています。
 原発では、放射能汚染された物質の除去の方法論が確立されていないのに、見切り発車してしまいました。また、一端事故を起こすと、その後始末の工夫もまったく無い状態でスタートしました。

 ウラン235の核分裂は、宇宙でされている、核融合と同じように、生物には有害な中性子やあらゆる放射性物質が、普通の物質を貫通して飛び交います。我々の地球は、磁場や空気の層で、こうした有害物質を浴びずに生きてきて進化してきました。生存条件の絶対なものです。見切り発車など許せません。

 東日本の地震や津波、原発の破壊、全てが想定外であったのです。宇宙物理学と違い、地震学は、地球内部のことで、地震波や音波での観測でしか知ることができないので、特に日本のような、4つのプレートがぶつかり合う場所では、あまりにも複雑であり、世界の地震学者も解らないのが実情なのです。

 東日本大震災では、その揺れは地球全体をゆっくりと揺らしていたそうです。しかも地震波は地球の内部を伝わり、複雑な地球内部の中を伝わりながら、北欧のノルエーのリアス式の内海で、1メートルほどの津波が発生した映像がテレビで放映されました。映像化が簡単にできる時代。ネットや衛生放送などで、世界の隅々まで速く情報が伝わり、科学的な観測もあらゆることが参考になる時代になりました。


 日本列島には、1万5000年もの長い縄文時代が続き、独特の文化を生んできたと言われている。

 氷河時代に、シベリアや東アジアに進出したホモサピエンスは、寒さに対応した体つきになる。非常な寒さに、高い鼻は凍傷になりやすい。顔の凹凸も寒さに弱い。のっぺりとした顔に低い鼻、毛皮で顔を覆うことがあっても、目の部分は開けておかねばならない。一重瞼になり、その瞼に脂肪を付けて、寒さから守る顔立ちになったのであろうと推測される。

 しかし、地層からの花粉などの状況からかなりな速さで温暖化が進み、100メートルくらいの海水上昇があったようで、日本列島は大陸と完全に離れてしまった。


 
 2017年7月7日追記


 こうして、現代の世界地図とほとんで変わらない世界ができあがります。

 世界的には、人類は農耕を始めます。約5000年まえころから農耕を始めて集団化して、定住生活を始めます。そうなると、格差が起きて、この格差を意識するようになります。定住生活のために、周囲との比較が自然と意識されるようになり、農耕の土地による収穫量の違いが起こります。肥沃な土地では多くの収穫が上がったりします。水の利用のしやすい土地。耕作のしやすい土地。集団による争いが始まります。

 アフリカのチンパージンの群れで、縄張り争いをドキュメンタリー番組で見たことがあると思います。或いは、アフリカのエチオピアの高地の断崖に住む、ゲラダヒヒの大きな群れ同士が、争いを起こします。

 私見ですが、こうした猿の仲間の縄張り争いは、定期的にしている可能性を感じます。我々、猿人や猿には、本能的に激しい攻撃性を持っていると感じるのです。そうした攻撃性という欲求を定期的に満たすために、敢えて争いをすることにより、心の安定を得て、仲間同士の傷つけ合いを避けているのではないでしょうか。チンパンジーでは、争いの他の群れの子供を捕らえて、その肉を食べるという行為もしています。

 今でも残っていますが、白人でキリスト教徒が文明人で、それ以外は野蛮人である。という意識が、中性の大航海時代に、植民地の原住民を殺傷しても言い分けはこのキリスト教徒以外は野蛮人という意識でしょう。また、イエズス会は、野蛮人にキリスト教を普及することが、良い行いとすることで、敢えてジャングルの中へも普及に訪れる行為をしてます。

 しかし、キリスト教徒のユダヤ教徒への激しい差別や殺戮。十字軍の聖地奪取で、イスラム教徒への攻撃が始まり、宗教が言い分けの殺人行為が堂々と行われます。カソリックのローマ法王が、法王庁の建設のために、多額の寄付をした者に天国への『免罪符』を発行するという行為を始めます。ここで、マルチン・ルターの宗教改革が起こり、多額の寄付のできない民衆向けのキリスト教のプロテスタントを立ち上げます。

 後に、この宗教対立は、カソリックのプロテスタントへの大虐殺が行われます。人間の中にも、集団化して、のぼせ上がると、集団的な殺戮行為へ行動するのは、非常に簡単に行われます。人間のどの民族で行われてきました。この激しい攻撃性の欲求は、定期的な行為として行わないと、落ち着かない人間の姿があると思います。

 大きな戦争をして、破壊が起きて、お互いに殺し合いに熱狂して、疲れると、やっとう落ち着いて、しばらくは平和を享受していますが、何年かすると、また始まります。国家の中で、権力を得た人ほど、攻撃的ですので、権力者という意識と、自分中心の世界観で攻撃的欲求を満たそうと、利益、国家的利益、社会的利益、と称して、実は、権力者の個人的利益に大衆が迎合して、不満や抑制の圧力から戦地へ向かう情動に駆られてしまうようです。この状態に男女の区別はないようです。


 私の若いころに、アングラ劇団、天井桟敷、と言うグループが存在して、今よりも自由な意見や考え方の人が生きてゆける社会が存在していました。その代表者の『寺山修司』という人の書いた『幸福論』を友人から借りて読んだことがあります。寺山修司は青森県の出身です。テレビに出てくると、青森の言葉の訛りが残り、何との不思議な雰囲気を醸していました。

 この『幸福論』に退屈をする、という話が出てきます。昔の東北の農家は、夕食の後、囲炉裏の火を見つめながら、多くを語らないで、じっと、座り続けていた。就寝時間も肌で感じて、眠りに就き、朝を迎えて農作業を始める。
 そうした日常に何の違和感も無く生きてきた。しかし、農家にもテレビが入り込むと、事情は変化を始める。毎夜、テレビを見てから就寝へと日常の変化が起きて、『退屈』という感情が大きく人々に起きてきた、という話でした。テレビが無い状態では、時間の流れがゆったりとして、優しい時間と空間が流れていたのでしょう。

 現在は、スマートフォンに疲れて、本屋さんが盛況だそうで、スマートフォンやパソコンに振り回されて生きるよりも、自然体で生きることを選ぶ人が増えてくることは、非常に良いことです。単にツールとして使うのならばいいのですが、ツールに振り回されては本末転倒です。


 ここからがどう表現したら良いのか、難しいので、困っています。

 
 昔、イタリアで、スローライフというのが流行りました。『ゆっくりと』暮らすという狭義の意味ではありません。大地や大自然とともに近代的な生活機器を使わずに、暮らし、生きるという本来の姿を求める、という素朴な姿勢です。

 『野生』と言うと言い過ぎですが、自然を対局に置いて、自然VS人間という2原論で生きてきた西洋式観念とは違う日本的な、悪い言葉で表されてきた、『曖昧さ』、右でも左でもない、その中間にも真理があると言う文化が日本にあります。これは、その文化に埋没しているので、普段は、意識して生活をしていません。
 ここに、一神教では無い2原論ではない価値基準、判断基準が存在しているのです。

 書きかけですが、少々休憩します。もう少し『日本人的な思考』この甚だしく合理的な思考を整理してどう表現したらよいか考えます。