2型糖尿病の爺 病気で ドットコム

貨幣は、貸借関係で存在します。貨幣に金や銀の裏付けはありません。
貨幣の裏付けは、供給能力です。

 

ご無沙汰してます 『糖尿病と視力』

2016年11月30日 | 日記
 以前にも書いていたかもしれません。

 自動車の運転免許が、来年のまで期限がありますが、5年前に車は廃棄しました。白内障が激しくなりだしたからです。

 左足の足首が、若い頃から、腰椎椎間板ヘルニアで、『しびれ』ていて、徐々に足の甲の部分の神経が麻痺してゆき、足首が完全に麻痺してしまいました。右足は丈夫でしたので、オートマチック車であれば運転できました。

 白内障もありましたが、車検の都合でもありました。

 白内障の手術は4年前です。手術は無事済みましたが、飛蚊症で硝子体後退、このことは前にも書いています。時に見にくくなることもありますが、加齢現象で、今の眼科技術では、治すことがでいないそうです。したがって、眼科医もあまり勉強してこなかったようで、質問しても、ろくに話に乗ってこな医師が殆どです。
 一部の眼科で、硝子体後退の時に、網膜を一緒に剥がして収縮する場合があり、視界が悪くなることがあり、レーザー光線で網膜を焼き付ける治療はしているようです。

 さて、白内障の手術をしてから、良く見えるようになったからであろうと思います。高血糖時は、目が霞むように見えにくくなるのですが、目を潤す程度の目薬、ヒアレインをさして、瞬くといくらかは良くなりますが、すぐに血糖値を計ると、殆でが高血糖状態です。

 他に、低血糖状態では、一番はっきりしている現象は、パソコンを立ち上げる時、メーカーのロゴマークが黒の画面に白抜きで現れるますが、その白いロゴマークの周辺が細かな楔形に欠けて見えます。

 この欠けて見えるのは、普通の状態でも見える周辺の目に入ってくる画像が、トゲトゲしく見えます。そして、それを過ぎると、精神的な不安感、冷や汗、手の震え、もっと進むと立ちくらみ、となります。

 低血糖も高血糖も視界の様子で判断できるようになりました。

 今日はここまでで・・・・

少し調子が落ちてきてます。集中力も落ちています。調子を整えるまで暫く待ってください 副題(人生の敗者の言い訳)

2016年11月09日 | 日記
 老人性鬱病みたいな感じですかね。

 元々 独居老人ですので、あまり世間との深い交流を持った人は存在しなかった。

 病院へ入院すると、無愛想にしていても、世話をやいてくれる看護婦たちがいます。

 適当に相手をしているつもりでも、患者には基本的に優しいのが看護婦さんです。

 そうした環境から、脱する退院という状況が、孤立感みたいなものを感じてしまっているのでしょうか。

 まだ、30歳になる前のことですが、『迷惑な奴だ』と罵れたことがあります。

 その、罵った人の話ですと、人は、社会で勝か負けるか、損するか得するかとあれこれ考えて、人を陥れたりしながら生きている。あんたは、無防備、人が良く、損得勘定も無い、負けても平気でいる。そういう奴は迷惑な存在なのだ。ということでした。

 私は、特別な宗教に所属しては居ません。

 歳を経てから意識したのですが、漠然とではありますが、何故か、作為を持って生きていてはだめなのだ。無作為の情動で行動したり話したりするべきで、おおよそ、人間の作為の結果などは大したことはできないのだから、さかわらずに無作為に生きろ。

 こうした、思考が身についた原因は、子どもの頃からの挫折的な結果が大きかったと思います。挫折感に直面するには辛いことです。その辛い思いを回避するために何気なく身につけた癖なのでしょう。

 父親は、私が生まれて、3ヶ月後に赤紙で招集されて、戦地へ向かいました。小笠原の硫黄島です。昭和19年の秋だそうです。当時は、制空権もアメリカに採られて、制海権もアメリカにとられてました。大激戦地「硫黄島』は映画にも度々取り上げられてました。
 負けると承知して始めた太平洋戦争。時の指導者は、ミッドウエーイ海戦で、空母を撃沈されて、南方の島々を奪還され続けて、いつ戦争を終結するか思案していたそうです。
 負け続けているので、アメリカに一撃を加えて、有利な休戦交渉をしようとして、巨艦巨砲の時代遅れの『武蔵』『大和』で対抗しようと考えていいたようです。元々、人間魚雷、『回天』(魚雷型の小さな潜水艦を造り、魚雷と同じように火薬を詰めて、潜水艦に付けて航行して、敵艦船に近づいて、人間が乗り込み自殺的に敵艦にぶつかる兵器を造り、ハワイの真珠湾攻撃に使おうとしていた精神主義的な科学無視のせんそうでした。戦闘機に爆弾を付けて、片道の燃料しか入れないで、アメリカ軍の空母や軍艦への体当たり攻撃を敢行したりしてました。
 
 まさに狂気の戦争です。兵士には、『天皇を中心にした、大和民族は優秀なのだ』とマインドコントロールして、むぼうな戦争で命を落とさせて、軍部指導者は、休戦時期を探っていた。

 当時は、明治維新の時の行政組織で、天皇の下に、陸軍、海軍が存在していて、形式的には、軍の最高司令官は天皇であった。また内閣、国会、司法も全てが、天皇の元にあった。軍のシビリアンコントロールが無かった。軍は天皇に情報の全てを与えず。ときには天皇を脅したりして戦争遂行をした。内閣総理大臣は軍の幹部とは同僚となり、指揮権は無かった。

 軍幹部は、自ら育てた若手将校の『天皇を中心とした大和民族は優秀である』という教育で、アメリカと本土決戦を言い張る若手将校の圧力に対抗できなくなり(戦前の226事件のように、戦争への反対意見に政府要人の暗殺事件、白人のロシアに勝ったという日ロ戦争が、日本の指導幹部を狂わせて、軍が精神主義的に日本人優位論に酔いしれていた)完全な無条件降伏をすることになる。
 
 こうした時期に、無駄死にをした一兵卒が戦争をしている双方の国に多く発生していたのである。
 私の父親も、36歳で招集されて、帰ってこなかった。戦後届いた厚生省からの骨箱には、木札がぶら下がっていて、一応、硫黄島での戦死になっているが、ボロ船で硫黄島に着く前にアメリカ艦船、航空機によって撃沈されてしまったのかもしれない。混乱激しい当時、海軍も陸軍も把握しきれていない混乱があったか、隠蔽されているのかは、判別しない。

 こうして、極貧の中で育ったので、色々な部分での劣等感も一緒に育った。

 こうした、極貧の中で目先の損得や勝敗には自然と感心がなくなっていった。意味を持たなかったからだ。そうして感じたのが、大自然を動かしている大きな力を無意識に意識し始めてきた。

 男の思春期は、男根への異常が意識されることが切っ掛けになる。しかし、そのことはなんとなく知ってはいたが、男と女の問題に行き着く前に、人間としてその前に何か別のことがあって、大人になるのではないかと、漠然と思っていたのだが、それは無く男根の勃起が時として、環境上で困ったことが度々あることで、何やら挫折感を味わったことがある。

 今にしてみれば、日本人の無意識の遺伝子に存在する独特の価値観がそれであったようだ。
 仏教用語に『分別』『無分別』というのがある。分別とは、社会の決まりや過去からの習慣的な決まりなどに従い『分別』を持って生きる。ということで、良いことと教えられてきた。
 しかし仏教では、『無分別』として『分別』を否定する。『分別』とは人為的な思考であると、人為的なことを否定することとはなんであろうか。

 例えば、福島の原発の破壊である。

 東大の天才的な科学者や、アメリカの天才達が作ったシステムであるが、所詮は人間が作った物。アメリカのスリーマイル島の原発事故やロシアのチリノブイル原発の爆発がある。

 福島の原発は、阪神淡路大震災や宮城沖地震などで、建築基準法が改正される度に補強工事をしてきたそうで、東日本大震災で、電力が落ちて、手動で原発操作するのに、補強工事が禍(わざわい)して、複雑になった内部構造で手動装置に辿り着けずいたところ、巨大津波に襲われて、破壊されてしまい、メルトダウンが起こり、原子炉内部に水素ガスがたまり、その水素が爆発して、放射能が拡散してしまった。
 上の部分では、NHKが早期の報道では報道していたが、安倍総理の原発の再稼働反対に対する圧力で、隠蔽されている部分が多く存在している。東京湾の荒川、江戸川の流れ込む海底の土にかなり高いレベルの放射能が検出されたり、荒川下流部の川底からも高濃度の放射能が検出された。多くが国立大学の準教授や研究主任クラスの活動であったが、NHKでは報道していた。
 
 また、江戸川の金町の水道のための浄水場からも高濃度の放射能が検出された。

 関東平野の雨水の流れが溜まる部分の一部で高濃度の汚染がかくにんされていたが、強烈な圧力で、国立大学では、権力のある教授が原発推進派として活躍していたので、こうした活動はしなくなり、NHKは官僚と言っても過言ではなく、政治情勢を見て自己規制をしたりする。反対者は地方へ回される。

 資本主義、イコール、民主主義で良いことだは、幻想に過ぎない。

 東日本大震災は、全ての地震学者が、想定外の巨大地震であると発言した。それまでテレビに出演していた地震学者が徐々に消えていった。宇宙は観測の可能な部分は、電磁波が主になって観測している。今や、ニュートリノ、重力波での観測も可能になってきた。

 しかし、地球内部は、地震波や、音波、宇宙からの音波うや電波での手探り状態である。日本のように複雑なプレートのぶつかり合いの場所では、東海、東南海、南海地震の動きは、かなり進めていたが、M7クラスの地震が続いていた東北地方の太平洋プレートは、或意味で警戒を怠ってきた。M7クラスの地震が多発していたので、エネルギーの蓄積はないだろうと予測していたからだ。
 
 地震に関しては、地中に潜って可視化することはできない。プレートの動きを見るために、地下10キロメートルくらい潜ると強烈な熱と圧力で機器は勿論、人間も生存できない。勿論、地殻の分厚いところは一部で大丈夫であろうが、10キロメートルの底はマントルが存在している場合がある。しかし、地震多発地帯は、地殻が薄かったり、激しい断層が重複していたりして、その圧力で無理な場所があるのである。

 報道されたことがあるので、耳にしているだろう。断層のうえに原発が建っている。その断層が活断層かどうか議論している学者や官僚機構があった。
 東日本大震災は、想定外の大地震であった。であるならば、断層があれば、活断層かどうか確信を持って言い切ることができるのか。詭弁を弄して、権力に迎合する科学者、官僚。科学者の多くが、所属する部署によっては、定年退職後の居場所として、省庁の外郭団体や、省庁のご意見拝聴システム、諮問機関に所持すると報酬がもらえる。勿論、官僚の提出した物に反対すると次からはお呼びが無い。

 熊本の断層地震は、まだ続いている。過去に熊本は大きな地震に襲われている。鳥取も過去に大地震があった。今回もまだ続いている。

 原発はそれ自体を冷やす必要から水が必要で、その排水のためにも、また危険度から、都会から離れた海沿いに造られている。日本は太平洋側、日本海側に大きな津波の痕跡があちこちにあり、人間が完全にコントロールができない原発のシステムが、大自然という大きな力にまったく無力であることを認めるしか無い。
 
 大学の原発関係の学者、その弟子達で作った、経済産業省の官僚、外郭団体、原発メーカーの1万人位が生きて行く職場を失うことから、経団連を動かして、既得権益にしがみつき、安倍氏はそうしたところからの政治献金に、アメリカからの圧力に(原発はアメリカもあまり歓迎しない雰囲気があり、アメリカの原発メーカーを日本に簡単に譲ったのも、日本が中心になり原発の開発進めろということらしい)原発再稼働を進めている。
 
 リアリストか理想主義かという問題ではない。日本の地形は原発には不向きであるのだ。
 
 再生可能なエネルギーの発展を阻害する官僚。他の企業のリストラはできる法体型は簡単に作るが、官僚みずからの失業は絶対阻止する身勝手。
 
 人間の『分別』とは、言い換えれば、どんな科学的思考も、よきせぬ大自然のおおきな力のまえには無力であるというこいとだ。人間に完全にコントロールができない核関連のエネルギー取得は辞めることがベストである。

 西洋の一神教の価値観は、神が天地を造った。地上の動植物も神が造り、そこに神に似せた泥で造った人間に命を与えた。神の次にえらいには人間であるから、地上のものは人間が利用して使って良い。

 『天と地』という二元論。これは、自然を利用する対象として、科学的と称してあらゆる物を造り上げて悲劇(戦争や非人間的社会)を造り上げてきた。人間の『分別』には、限界がある。そうしたときには、この『無分別』の思想を取り入れる余裕が必要ではないか。『分別を超えた大自然の中で生かされている』という謙虚さが時には受け入れるべき思想であるだろう。

 人間が多くのになってきたことに、75億人と言われる巨大な人間の生存には、農耕が原因である。今、人類は異常発生している状態である。アフリカなどで時々おこる『イナゴ』の異常発生と同じで、生物学的にいうならば、異常発生なのだ、これは全て農耕が原因である。

 日本の風景が世界的に見直されていて、観光客が多く訪れている。

 日本人の、太陽に合掌する思想、火山に神社をつくってきた思想、巨木に『しめ縄』を飾る信仰、過去の洪水で流されてきたのだろう巨岩に信仰の「しめ縄」を、災害列島の日本人に古来より受け継ぐ『大自然に生かされている』という無意識の謙虚な生き方があり、そこに
鎌倉時代に入って、比叡山で修行や仏典を研究していた僧侶が、貴族の仏教を武士に伝えることをした。
 武士は、通常は農作業をしている場合が殆どで、いざ、戦争になると槍や刀を持って駆けつける。こうしたわけで、作物の収穫が終わってから戦争をしたという記述もあるそうだ。

 武士に伝わった仏教は、自然に一般民衆に伝わり、ここに日本人の古来よりの風習に、日本独自の禅宗と法然が開祖で親鸞が活躍した浄土真宗という宗教(南無阿弥陀仏と唱えるだけで極楽往生する、という日本独自の宗教)が行き渡り、日本人という民族の形成が完成したという学者が多い。

 こうした、日本人的な感覚がなぜか私の中に存在していて、そうした人間が現実に存在すること自体迷惑だ。といわれたのである。利にさとく、勝敗に拘り、時には自分勝手であったりしてくれないと、安心してつきあえない、ということであった。そうした私からの言葉も異常であったのだろう。自然と孤立してきてしまったのである。

 敗者としての私が、自然と身につけた習性が日本的なものに通じたのは、矢張り日本人であることの証拠であろうかfont>

2型糖尿病の治療薬

2016年11月04日 | 日記
 今さらと、思ったが、2型糖尿病薬の整理をしてみようと思った。

 まずは、進んだ医療。CTスキャンの進んだ画像診断が、内臓の状態を詳しく診ることができるようになった。

 MRI,fMRI、とこちらもどんどん進んでゆく。

 今度のノーベル賞の大隅東工大名誉教授の『細胞のオートファジー』などのように、生命の神秘へと研究が進んでいる。

 2型糖尿病も1型糖尿病も細胞レベルの研究が進んで、糖尿病になる原因も少しずつ解明されつつある。

 我々、2型糖尿病とは違い、1型糖尿病の患者さんには、難病指定がされると言われ続けてきましたが、なぜか見送られきています。1型の患者さんの原因もいろいろ言われていますが、生まれつきに膵臓インスリン分泌機能が働かない症状や、何かの感染症で、膵臓のβ細胞の死滅などがあるそうです。ですから、小学校低学年から、自分でインスリン注射をしているのが現状です。

 さて、2型糖尿病の治療薬ですが、何を治療しているのか、私たちが完全に理解しているか、自問してみました。

 『糖尿病』という名前の由来は、尿に糖分が出てくることで、血液から尿という老廃物を除去している腎臓の濾過機能を、上回る糖分が血液に残っていることで、発見される病気であったからだそうだ。高血糖状態である。これによる3大合併症といわれる病気がある。

 (1)糖尿病網膜症(眼底出血、緑内障、失明)

 (2)糖尿病腎症(たんぱく尿、慢性腎不全、尿毒症)

 (3)糖尿病神経障害(神経痛、異常知覚、知覚麻痺、筋肉低下、胃無力症、便秘、下痢、排尿障害、インポテンツなど)

 これらの病気はの全てと言ってよいのが、血管障害が原因である。高血糖の血液が長い年月を経て、血管の組織が破壊される。そのために色々な病気の原因になる。現在は、長生きなので、高齢による機能不全で、2型糖尿病になったりしている部分もあるようだ。高齢で膵臓のβ細胞からインスリンが出なくなってしまったひともいるようだ。

 2型糖尿病の全てが、生活習慣病ではないようである。しかし、運動不足や過食で起こる2型糖尿病の人が多いようだ、

 日本人に多い2型の糖尿病は、節約遺伝子のためではないかと言われている。

 仏教の教えで殺生をしないような習慣がついていたことと、米が貨幣と並ぶ価値があり、庶民の食生活に動物性蛋白質の摂取の少なさがある。沿岸漁業でしかなく、魚の保存も干物でしかなく、漁獲量の少なさと保存方法が無かったことと、運搬手段に保存が利く干物くらいしかなかった。
 米を食べることができるのは、正月、祭礼、くらいしかなく、粟、ひえ、芋類、こうした常食類も沢山食べることができない生産量であったらしい。
 少ない量の食料で生きてきた日本人は、やせ形で、身長も低く、それでいて良く働いた。少量のエネルギーで生きられるような遺伝的な身体能力を獲得してきたのではないかと思うのである。

 こうした例が、ポリネシア系住民(南太平洋の島々に暮らすアジア系の人達)の現在の太った姿が日常化してる。火山島や珊瑚礁が隆起してできた島々に農耕面積が狭く、漁業も大きな樹木がなかったのであろう。丸木舟による一本釣りが主であったろうし、浅瀬では、潜って貝類も採ったろう。しかし、慢性的に食料が不足していた。節約遺伝子が機能して、生きるシステムがポリネシア住民に存在してきた。しかし、第二次世界大戦後、アメリカ、フランス、オランダ、スペインなどから、豊かな食料が運び込まれて、観光の島々として白人達の裕福な人の太陽光を沢山浴びることができる別荘地として賑わう。

 ヨーロッパ人、白人の肌の白さは、北に偏るヨーロッパは、太陽光線が強くなく、彼らは身体が要求する本能に従い(日光浴でビタミンDが創られる。リン酸カルシュウムとコラーゲンと一緒に骨を形成したり、精神の安定化に大きく影響している)、日光浴をよくする人種である。そうした人種の一部の金持ちが、南太平洋の日光を浴びる贅沢を満喫するためのポリネシアの島々であった。

 節約遺伝子で粗食で生きてきたポリネシア人が、豊かな章句生活で肥満の人ばかりになってしまったようだ。

 ポリネシアの人達程ではなくても、粗食に耐えてきた日本人の食生活も、何でも好きな食べ物が、好きな量だけだべられるようになった。身体の機能が追いつかずに、高カロリーの食物を大量に食べられるようになり、身長も伸びたし全体に身体も大きくなった。
 
 しかし、小腸から栄養の元のブドウ糖が大量に血液に流れ込み、その割には運動量が逆に減るという減少がおきてしまう。交通の利便性や自動車の発達。酒類も安価になり、アルコールは、一時的に血糖値を下げる効果があり、飲酒後に食欲が増す現象が起きる。高血糖の血液が流れ続けて、何かの切っ掛けで、インスリンの効き目が悪くなり血液からブドウ糖を細胞に取り込むシステムが鈍くなる。
 
 運動量が減り、余ったブドウ糖は、インスリンの働きで脂肪細胞に取り込まれるのだが、身体がインスリンの働きに反応しなくなり、高血糖の血液が身体中を流れ続ける。これが、『2型糖尿病』の多くの人達の原因である。

 実は、猿人のころから、常に食料が豊富ではなかった。そのために消化したブドウ糖を身体の細胞に取り込むための『インスリン』が働く時間をあまり長くしないシステムが人類の身体にある。それは、脳の働きである。脳はその働きを持続させるエネルギー源の殆どがブドウ糖を使っている。そのために、一定量のブドウ糖の供給量がないと脳の働きができなくなる。

 脳の一部は、脳幹といって身体の不随筋と言われる、心臓の動きなど意識下でななく自然に機能している臓器を動かしていたり、脳下垂体などで色々なホルモンを分泌している。こうしたホルモンなどの蛋白質の信号や、身体の細胞から出てくる科学物質が有機的に作用して生命活動をしている。

 そうした司令塔の脳が低血糖で機能しなくなると、まずは、意識が遠のき、そのままでいると昏倒して、生命活動が停まる。すなわち『死』に至る

 疲れました。休憩します。font>