
大阪城に残る櫓
豊臣家が滅亡した「大坂夏の陣」の後に、徳川幕府によって築き直された大坂城ですが、
天守や御殿・屋敷・蔵・櫓などの建物は大火や第二次世界大戦の空襲などによって
城内のほとんどの建物が焼失しました。
シンボルである天守閣は戦後、多くの大阪市民の寄付で独立型展望天守として再建され、
今年で90周年を迎えました。
また、豊臣大坂城の石垣も発見され公開プロジェクトが進んでいます。
災禍をくぐり抜けて今日まで残った櫓もあり、重要文化財に指定されています。
復興天守よりも古い江戸時代から残る櫓の代表が多門櫓と千貫櫓で、期間を限定して特別公開されます。
特別公開の時には大手門の上や櫓に内部に入ることができます。

千貫櫓。大手門を北から防御する二階建ての隅櫓です。


大手口多門櫓の続櫓内部です。武者走りと言われる廊下で、鉄砲で敵を狙う「銃眼」を備えた笠石が並んでいます。














大手門多門櫓の「渡櫓」とL字に続ながる「続櫓」です。



二の丸南面の南外堀の内側城壁に要所を固める7つの隅櫓が並んでいましたが、その中で残された六番櫓です。
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