のり巻き のりのり

飾り巻き寿司や料理、己書、読書など日々のあれこれを書いています



言葉

2015年10月22日 | つれづれ日記
43年来の友人と1年ぶりに会い、旧交を温めてきました。
大学に入って知り合い、ゼミでの勉強会、旅行など青春時代を過ごした友だちです。

友だちは環境の変化でどんどん変わっていくものですが、ずっと自然に続いているのはなぜか考えてみました。
原則は無理をしないこと

つまり適度な時間と適度な距離を保っているからです。
さらに、相手の個性や考え方を尊重すること

プライバシーには深入りしすぎないこと
刺激があること、などでしょうか。

彼女は10代の頃からだれに対しても、とても丁寧な言葉遣いをする人でした。
タメ口、早口、若者言葉とは無縁でした。

それが私には一番の刺激で、いっしょにいると、自分が上流階級の人間になったような気がしたものです。
今ではとりとめもないおしゃべりをするだけですが、気持ちは二十歳のままでいるのが不思議です。

最近は顔の見えない会話が日常となっています。
言葉自体、どんどん短くなっていき、意味不明の略語が闊歩しています。

一般的に、顔の見えない相手との会話は、現実味のなさや相手意識が低下します。
また、文字では自分の気持ちが正しく伝わらないこともあります。

だからこそ、顔が見えない分、言葉に細心の注意をはらわねばなりません。
多くの方のブログを読ませていただくとき、

だれが見ても分かる言葉遣いになっているか、誠実な人柄が感じられるか、何か一つでも刺激になるか、を考えます。
その上で会話が成立するのなら、有益なものになると思います。

すごいなあ、と勉強になることも多くたくさんの刺激をもらっています。
無理をしない程度に、しかし、丁寧な言葉遣いができるようにしていきたいものです。

あれえ、なんだか今日は真面目すぎました。
その友だちに会うと、なぜか背筋がぴんと伸び、こうなってしまうのです。