〈川俳会〉ブログ

俳句を愛する人、この指とまれ。
四季の変遷を俳句で楽しんでいます。「吟行」もしていますよ。

和らぎつつある腰痛

2016年03月21日 07時01分37秒 | 俳句
予想したように、ここ数日の春のような日々のせいで、痛みは無くなりました。
ただ
毎朝のストレッチは欠かせません。起床も6時、と熟睡感あり。nice morning !

残す春 残す桜は あと何回?
このところ 白昼夢を よく見ます
安楽
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拾い読み備忘録(70)

2016年03月20日 18時25分56秒 | 紀行文
 井伏鱒二の小説『駅前旅館』の時代(1950年代)、駅前旅館はその街の代表的な旅館の一つだった。「その街」とは、大都会・東京であり、その北の玄関口・上野駅である。そしてそのころは、大都市にも、地方の中小都市にも、そして田舎の町や村にも、鉄道の駅の前やその周辺には必ずと言っていいほど、旅人を泊める旅館があった。
 高度経済成長の時代を経て、都市化がすすみ、旅行人口が急増し、観光客のニーズも多様化した現在、宿泊施設は外観もその役割も多様化、細分化がすすんできた。その中で、現在も駅の前に残る旅館はどのような役割を果たしているのだろうか。そして、駅前旅館と鉄道との関わりは……。
「駅前旅館に泊まるローカル線の旅」大穂耕一郎著 ちくま文庫 2002年
                               富翁
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拾い読み備忘録(69)

2016年03月19日 18時25分30秒 | エッセイ
 見合いをした人がおりました。平素と同じ感じです。決まらなかったそうです。同じ日、また見合いをした人に会いました。活き活きと何となく華やかな感じで、平素のその人のようではありません。あとで婚約したそうです。会った人は皆、華やかだとか色気が出ていたとか、同じような印象を語りました。気は誰にも感じます。
 しかし、五官で感じたのではないので、誰も確定的なことはいえません。なんとなく気になったとか、あとでフッと気づいたとか、そんな気がしたとかいうだけです。気とはそういうもので、見え、触れ、味わい得るものではありません。
「整体入門」野口晴哉著 ちくま文庫 2002年
                   富翁
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古河ゴルフリンクス

2016年03月18日 11時09分18秒 | インタビュー
昨日、好天に恵まれて気温も上昇したなか、石川遼君が練習に励んだ河川のゴルフ場でプレーしました。
幹事役で予約、車出しなどありましたが、天気に恵まれて何よりでした。
カートでの移動でも、広いし、まっすぐいくわけでもなし、おおいに歩き回りました。
運動不足と体力の衰えを感じました。でもまだ動けるという自信にもなりました。
先輩
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拾い読み備忘録(68)

2016年03月17日 18時02分19秒 | 俳句
 木がらしや東京の日のありどころ
 元日や手を洗いをる夕ごころ
などは、ひどくまっとうな句だが、ある心の情景を的確に伝えている。だが、おそらく芥川の俳句の絶唱は、
 木がらしや目刺にのこる海のいろ
であろう。卑俗な目刺に広大な海の名残を見るこの句は、ある象徴の高みに達している。
(「文人俳句」より)
「詩歌遍歴」木田元著 平凡社新書 2002年
                  富翁
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本棚の整理整頓

2016年03月17日 10時36分51秒 | 川柳
日本の古文の文庫(岩波)と新書です。
かなり不要なものが出ましたが、あとになって捨てるのではないかいう後悔の予感もあり。
うーむ。でもかなり身軽になった感じ。この先数年、読むものも限られてきていますしね。

埃飛ばし 包紙解装したら 新刊本みたい
いざ読もうと せっかく買ったのに ごめんなさい
このところ 本屋で本を 買わない理由
翁のロレンス道 見習って芯を太く 持たないと
安楽
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(昨日より) 今日も春

2016年03月16日 09時46分17秒 | 川柳
()にしたのは「きまぐれ」であるから。気まぐれな人も苦手だ。
季節の変わり目が変わってきていると思う。

春っていつ? 桜が吹雪いて 梅雨来るまで
夏っていつ? ある日突然 酷暑脳ボワン
秋っていつ? 緑のイチョウ カーディガン
冬っていつ? ある日突然 冷たい風(3か月)
安楽withストレッチ
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拾い読み備忘録(67)

2016年03月15日 18時11分53秒 | エッセイ
 作品を褒めるのは、そもそも簡単そうで難しいのである。まして対象がソフトポルノみたいな小説だったらどうするか。川西の解説はこのように書く。
 <渡辺さんは、愛の持続に、一つの確信のようなものをもっている。彼の創りだす作中の人物は愛に貪欲である>。さらに<渡辺さんは、現代における情痴主義と耽美主義の新生面を拓いたというのが、私の持論である。その最も華やかな成果が、『ひとひらの雪』である>。そして<その情痴に狂う現代の人間の赤裸な姿を、ここまで描ききれたのは、渡辺さんの業の成果だと私は思う>。
 ヨイショもここまでくれば芸である。
(文庫解説を読む19 斎藤美奈子「社交としての解説に注意すべし」より)
「図書」2016.3 岩波書店
                      富翁
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拾い読み備忘録(66)

2016年03月14日 20時28分48秒 | 哲学書
もし君が幼児をつかまえて、お得意の哲学的理神論だの美的徳操だの羞恥心だの、普遍的博愛だのを、君の時代の高邁な趣味に従って気前よく恵んでやろうなどとしたら、それこそ千倍もばかげている。博愛などという美辞麗句を並べ、寛容を看板にかかげてはいるが、そのじつは民衆に圧制を加え、啓蒙開化を口にしながら搾取を事としているありさまなのだ。幼児をつかまえてだって。冗談ではない。君こそが愚昧きわまる悪たれ小僧ではないか。しかも君はこうして、幼児のよりよい性情を、幸福と本性の基礎を奪い、君のばかな計画がうまくいったあかつきには、幼児をこの世の最も耐えがたい化物に――三歳の老いぼれにしてしまうのだ。
(ヘルダー「人間性形成のための歴史哲学異説」より)
「世界の名著38 ヘルダー ゲーテ」責任編集 登張正實 中央公論社1979年
                                  富翁 
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楽天的でいること

2016年03月13日 09時38分01秒 | エッセイ
いかにあがいても100歳を越えるのは不可能で。と言うことは、わたしはすでに若い人たちの「将来は~」の「将来」にいることになる。
わたしが小さなころに夢見た希望とか未来とは、夢はわたしには「いま」のことにほかならない。
ここには危険な予感があるのかもしれない。

いつも楽しく前向きに行こう。

楽観的でいると言うことはそういうことだ。
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へんぺん数え歌

2016年03月13日 09時33分02秒 | 俳句
三月、桜の花吹雪。嘘つけ! 桜の蕾は小さく硬いまま。

「い」つまでも 星雲の志 失わぬよう
「っ」とおもうほど しつこい寒さの 三月だ
「つ」ね日頃 数える余命 癖になり
安楽with悲観主義
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拾い読み備忘録(65)

2016年03月12日 17時49分46秒 | エッセイ
 類推は接触反応剤に関するものであった。前に述べたふたつの気体が白金の網を加えると化合して亜硫酸ができあがる。この化合は白金が在る場合にのみ起こる。それにもかかわらず、新たに出来あがった酸には白金はまったく含まれていない。白金自体は明らかに影響を受けていない、化学変化をおこさず、中性のままで、変化していないのである。詩人の精神はこの白金の網である。それは詩人自身の経験に対して部分的に、あるいはそれだけに限って、作用するのかもしれないが、その芸術家が完全であればあるほど、それだけ完全に彼のなかで苦悩する人間と創造する精神とが別個のものであるはずであり、精神はそれだけ完全にその素材である情熱を消化し、変化させるのである。
 この経験、あるいは変化させる触媒がそこに存在するために化合を起こす要素は二種類ある。すなわち情緒と感情である。芸術作品がそれを楽しむ人に及ぼす影響は芸術には属さないいかなる経験とも種類を異にする経験である。…・・
(「伝統と個人の才能」より)
「T.S.エリオット詩論集」星野 徹・中岡 洋訳/国文社 1967年
                           富翁
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へんぺん数え歌

2016年03月12日 06時36分15秒 | 俳句
寒の戻りですかねえ。
平日の銀座も人が少なかった。
「よ」んの数 宴席すぐ数え 麻雀好き
「っ」とっとと 最近躓く老いの脚
「つ」ん読の 本の消化に わが余生
安楽
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へんぺん数え歌

2016年03月11日 07時08分37秒 | 俳句
暖かくなったり、寒くなったり。
ハワイに移住したいなあ。
「み」たいなり いったい孫とは どんなもの
「っ」と感激 「私に恋した お坊さん」(石原さとみちゃんが爆発しています)
「つ」と思う 書棚に眠る 読まず本
安楽
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拾い読み備忘録(64)

2016年03月10日 20時09分35秒 | エッセイ
 その類推は触媒作用に関するものであった。前に言った二つのガスを白金の線条の前で混合すると硫酸ができる。この化合はただ白金がある場合にだけ起こるが、それにもかかわらず新しくできた液体は白金の跡をとどめていないし、白金そのものも外から見たところなんの影響も受けていないで、もとのとおり少しも動かずどちらへもころげずちっとも変わっていない。詩人の精神は白金の小片である。詩人の精神は詩人自身の経験に対してその一部分かもっぱらそれだけに作用を及ぼすかも知れない、けれども芸術家が完成しているにしたがって働きかけられる人間と創造する精神とは芸術家の心の中でまったく分離していて、精神はその素材となるいろいろな情熱をいっそう完全に同化しその性質を変えてしまう。
 ここでわかるだろうが、経験は変化をひき起こす触媒のところへはいってくる元素といってよいもので、それには情緒と感情との二つの種類がある。芸術作品がそれを享受する人に与える効果は、芸術以外の経験とは種類を異にした経験である。…・・
(「伝統と個人の才能」より)
「文芸批評論」T.S.エリオット著 矢本貞幹訳 岩波文庫 1938年
                            富翁
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