彼は、我々の内部にある「くらき神々」と彼が呼んだものの間に、深く隠れたつながりがあることを認めたが、それは知性が弄する詭弁とはまったく別のものであった。ロレンスは知性とは、すべての物事の釣り合いを取りながら、正しい場所に落下させることのできる、巧みな手品師であることをすでに見抜いていた。これにたいして「くらき神々」は本能的であり、欺くことも欺かれることもない。彼らは血のなかに流れる生命の流れに、一心に注意を払う。現代の生活のなかで、我々はそれら「くらき神々」を欺こうと努めてきた。私たちは精神の手品師が全能であると感じてきた。ロレンスはそのような手品師に敵意を示す。
「そしてくだらない、おせっかいやきの頭脳で、それ(セックス)を
その深みから引きずりださないように
それがそれのみで置かれて、動きだし、高まり、やがて眠り込もうとするときに
むりやりいじくり回して、そのリズムをぶち壊さないように」
「私のD.H.ロレンス論」アナイス・ニン著 木村淳子訳 鳥影社 1997年
富翁
「そしてくだらない、おせっかいやきの頭脳で、それ(セックス)を
その深みから引きずりださないように
それがそれのみで置かれて、動きだし、高まり、やがて眠り込もうとするときに
むりやりいじくり回して、そのリズムをぶち壊さないように」
「私のD.H.ロレンス論」アナイス・ニン著 木村淳子訳 鳥影社 1997年
富翁