このあり余る流動資産(人的財的)は文学者や芸術家にとっては極めて有利なものであった。絵画、稀覯本、豪華版のブームが、1900年から間もない時期の、スノビズムの再流行と同時に始まるのである。作家も、芸術家も、人生をより美しく、より≪自由≫なものと感ずる。かれらは、ほとんどまったく無意識に、ということはつまり知らず知らずに商品化されている意識の疎外によって、その作品と一緒に買い取られてしまい、≪冒険≫や≪危険≫についての、抽象的形而上学的な新しい主題を舞台の前面に押し出している時でさえ、或いはまさにその時に、ちょうど出番を待っていた怖しい冒険から眼をつぶってしまったのである。かれらに責任があるか、ないか。それはここではどうでもいい。ただはっきりさせておかなければならないことは、深い主題は変化しなかったということ、二十世紀文学とは神話であり、幻影であるということである。冒険と危険の主題、背徳思想と性的自由の主題は、十九世紀前半の終り頃にわれわれの文学に現れてきたはるかに深く執拗な現実と主題、すなわちペシミズム、懐疑、倦怠、絶望、孤独を、何によってであれいささかでも変化させたであろうか。…・
「日常生活批判序説」H・ルフェーヴル著 田中仁彦訳 現代思潮社 1968年
富翁
「日常生活批判序説」H・ルフェーヴル著 田中仁彦訳 現代思潮社 1968年
富翁