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琴似屯田兵村

2012-06-08 21:16:35 | 屯田兵

                 北海道開拓と守備の為に配置された「屯田兵」


                 屯田兵最初の入植地が、琴似(ことに)です。


  明治7(1874)年10月に、北海道守備と開拓に従事する屯田兵に関する編成と給与等を定めた
 屯田兵例則が定められました。

  江戸時代末期、安政年間に探検家、松浦武四郎が現在の琴似周辺が将来有望な土地と語って
 いたこと、また西郷隆盛の命を受けて桐野利秋(西郷・桐野共に薩摩藩出身で西南戦争で戦死)が、屯田兵村の適地
 について下調べを行った際、琴似周辺の他に、月寒地区や真駒内地区も候補に挙がりましたが
最初
 の入植地として、琴似が選ばれました。

  翌月の11月に兵屋208戸・週番所(中隊本部)・練兵所・授産所などを建設しました(翌年8年に
 発寒に32戸が建設されました)。


      明治8年5月に、屯田兵198人とその家族合わせて965人が入地しました。

 兵屋は一戸あたり150坪の敷地に17坪半の家が建てられました。兵屋の周辺に開墾すべき土地として
 一戸当たり5千坪の未開地を
与えられました。


  明治9年5月には3戸が加わりました。明治11年に入植していた屯田兵の家族から7戸が分家補充され
 合計240戸になりました。

                これを以って、第一中隊が編成されました。

         厳しい自然環境の中、開墾作業と軍事訓練も受ける屯田兵。

  琴似屯田兵の兵役は、明治8年から明治24年3月。その後予備役として明治28年6月まで。その後は
 後備役に編入され、明治37年の
屯田兵制度の廃止を迎えました。


  予備役を終えると、他に転出する人も出始めて、屯田兵制度が廃止され一切の拘束が解かれると、土地
 所有者の移動が激しくなりました。


       大正13年(入地後50年)には、材村者は30戸となってしまいました。


      
                       さっぽろ文庫33「屯田兵」 より

                          琴似兵村の配置図です。
      
                        琴似屯田兵村兵屋跡パンフレットより


  琴似本通や二十四軒琴似通りなど、現在でも屯田兵村時代に切り開かれた道がそのまま残されています。


   何より、この街並みを築いたことが、琴似屯田兵の最大の遺産であると思います。

  
                            現在の琴似本通

                    
                   西区琴似2条5丁目にある屯田兵村道の跡の標柱


         現在の札幌市西区役所前庭には、週番所(中隊本部)がありました。
                     
 (札幌市西区琴似2条7丁目) 

      

                    
  さっぽろ文庫33「屯田兵」 より

      

                      碑が5基建っています。
     


                           左側より
      

                       琴似屯田兵顕彰碑                                       
  
                           平成11年9月建立                               
  大正13年、移住50年を記念し記念館および記念塔が琴似神社境内に建立された。記念館は昭和29年に焼失。
  記念塔は残ったが、老朽化により取り壊され、代わりに現在の場所に同碑が建てられた。


        屯田兵本部趾碑                   琴似屯田開村「紀念碑」    
  
             
          大正13年建立                         明治30年1月建立

                             
碑面には、「紀念碑」としか記されていないが、これがのちに
                             琴似村の母体となった琴似屯田を表し、屯田兵による本道
                             開拓のさきがけとして、その発祥の地を意味したもの。
                             碑文に陸軍中将 永山武四郎の漢詩が掲げられている。


                    陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾」碑   
                     
                              昭和15年建立   


  
                         琴似屯田百年記念碑
  
                            昭和50年9月30日建立 

                     昭和50年、開村100年を記念し設置されたもの

  

        琴似屯田兵の週番所(中隊本部)があった場所は現在、札幌市西区役所の前庭があります。
      区役所の左隣に元消防署があり、この建物の二階に、琴似屯田歴史館資料室があります。
      
                     (北海道札幌市西区琴似2条7丁目1−10)

                     開館日は月・水・金の10:00~16:00
       
           残念ながら、土曜に行ったので資料室の中は見る事が出来ませんでした。



 

  冒頭の文章とと重複しますが、屯田兵村は明治8年に、この琴似兵村を皮切りに設置され、翌年には
 山鼻兵村(札幌)明治11年には江別兵村と続き、
明治37年に南剣渕兵村・北剣渕兵村・士別兵村が
 設置されたのが最後で、全部で37兵村が設置されました。





          もうちょっと、琴似屯田特集が続きます。


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