明治41(1908)年に、苗穂から別な場所にホップ園は移転します。
その場所とは、山鼻。現在の陸上自衛隊札幌駐屯地付近です。
(一部、資料によると啓北商業高校付近とありますが、昭和31年に南23条西10丁目に校舎が完成し
昭和55年に現在の南区石山に移転しています。高校跡地は現在、札幌市中央消防署山鼻出張所などになっています)
山鼻ホップ園では、矢木久太郎から送られてきたホップを10種に分類し、その中で優秀な2種があることを
精麦係の篠原武雄が発見します。アメリカ種のホワイトバインの雄株と、ドイツ種のザーツの雌株を交配しました。
それを育て優良な株を選抜し育成します。
昭和10(1935)年頃の山鼻ホップ園
大正2(1913)年に、長野県農事試験場において試作した結果、長野の気候に適した品種であることがわかりました。
大正6(1917)年、大日本麦酒はこの品種を「信州忽布」(しんしゅうほっぷ)と名付けられ、長野県穂積村で試作を行い
ます。大正8(1919)年大日本麦酒の「信州忽布」は「信州早生」(しんしゅうわせ)と改名され、長野県をはじめ
山梨県など周辺の農家でも信州早生が栽培されはじめます。
この信州早生が現在まで続く、国産ホップの中で最大の品種となっています。
札幌の山鼻地区で生まれた品種が国産ホップの代表品種であったとは。
信州早生を100%使った缶ビール「サッポロ NIPPON HOP 始まりのホップ 信州早生(シンシュウワセ)」
が2023年1月31日に全国で数量限定発売されていました(現在は終売)。
そう言えば、このビールをコンビニで見かけて妻の為に買ってあげたような…(私は下戸です)。
昭和24(1949)年9月1日に大日本麦酒は過度経済力集中排除法により日本麦酒と朝日麦酒に分割されます。
昭和27(1952)年、日本麦酒の山鼻ホップ園は閉園し、札幌市内のある場所に移転します。
つづく
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