札幌の中心部にある 時計台
(札幌市中央区北1条西2丁目)
北1条通りに面した敷地内に、大きな石碑がありました。
前からこんなに大きな石碑が建っていたでしょうか?
と、時計台にある石碑に近づいていくと
時計台のデザインされたマンホール蓋
時計台の鐘の碑
「時計台の鐘が鳴る 大空遠く ほのぼのと♪」
敷地内に野草園が造られています。
オオウバユリが咲いていました。
時計台をぐるりと、野草園となっています。
本題に戻りまして
明治天皇聖蹟
明治天皇聖蹟とは、明治天皇が全国を行啓された際に訪れた建物や史跡で、そのうち377か所が
史蹟名勝天然紀念物保存法にもとづいて史蹟に指定されました。(こちらの碑は指定されていません)
戦後占領下「史跡の指定が新憲法(日本国憲法)の精神にそわない」とみなされて、昭和23(1948)年
6月29日に指定を一斉に解除されました。
明治14(1881)年9月1日に、明治天皇が時計台(札幌農学校)を行啓されたことを記念して
昭和9年9月1日に建てらてたものです。当時は、正門南側の記念撮影スポット付近にあったそうです。
終戦直後、連合軍進駐前に撤去され、しばらく所在不明となっていましたが、昭和末期に中島公園管理事務所で
保管されているのが見つかり、西区の手稲記念館で保管されていました。
時計台の歴史を理解するのに貴重な資料として、明治天皇行啓140周年の令和3(2021)年に再建立されました。
碑の正面の「明治天皇聖蹟」の揮毫は、旧日本海軍東郷平八郎
碑の裏面の「旧札幌農学校演舞場」右側面の「明治天皇行啓 明治十四年九月一日」の揮毫は佐藤昌介(元北海道帝国大学総長)
こんな標柱も残されていました。
明治14年の行啓の宿泊所として建てられたのが、豊平館
明治天皇が行啓の際にお通りになられた事で名付けられた、山鼻地区にある行啓通など
明治14年の北海道行啓の際の痕跡が今も残されています。
2024.07.10撮影