私の思いと技術的覚え書き

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歴史を歪める名前付け

2020-06-07 | 事故と事件
 6月4日は我が国で呼ばれるところの天安門事件から31年目の日だった。我が国でというのは、中国では、事件そのものを公式には認めておらず、欧米では、天安門大虐殺(Tiananmen Massacre)と呼んでいることからだ。近年公表されている英米の秘密文書の公開によれば、64天安門の民間人死者は少なくとも1万、障害者は4万と伝えている。

 この様に同一の事象を事件、事故、戦争、事変などと名付けるのは、我が国だけのことではないだろうが、何らか相互の都合に忖度(配慮)したものだろうが、歴史を歪めることに他ならないのだろう。

 天安門以外に、南京大虐殺を叫ぶのは中国だ。それをことさら、自虐的に報じたのが、朝日新聞だが、その後に日本の様々な研究者により、そもそも南京入城に関わる事件などというものはなかったというのが定説だ。

 先の大東亜戦争(太平洋戦争)以前に、1931年に満州事変というのが日本の歴史教科書に記されている。これは、我が国陸軍の一つとなる関東軍が満州で起こした武力制圧で、問題は日本国家の意思決定以前に現地司令官の指揮でなされたということに大きな問題がある。

 もう一つ、1939年にノモンハン事件(別名ハルハ河戦争)というのが記されている。これは、満州国とモンゴルとの国境付近で、ソ連軍との国境紛争のことだ。この事件も、現地指揮官の判断で実行されてしまったもので、我が国死者8千名、戦傷者9千名を出すという大きな紛争となっている。この戦争のことは、ソ連側損害が公表されておらず大幅な負け戦だったと伝わっていたが、ソ連解体後、ソ連側死者1万名、戦傷者16千名と、むしろソ連側の損害が大きかったと伝わっている。

 最後に、今読み始めた本が「日米開戦の正体」(孫田享著)なのだが、真珠湾奇襲攻撃として、対米戦争を決意したのは我が国政府の判断だったのだが、何で当時でも工業力10倍の国と決戦する決断をなしたのだろうかと訝るばかりだ。しかも、従前知る知識では、奇襲攻撃では、肝心要の米空母4隻を発見できず、第2波攻撃で真珠湾の油槽基地等の攻撃をたぶん計画していたのだろうに、早々に敵の反撃を恐怖し、引き返したという不徹底のものだったことは何と浅慮な戦争判断だったのだろうか。

 これら我が国の近代史を眺めて、最近記したグループシンク(集団浅慮)という問題が、ほとんどの大きな事故、事件、戦争などなどに関わっていると思える。これは、今正に進められている武漢肺炎絡みの種々の対応にも、深慮不足の浅慮が渦巻いていると思える。

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