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映画論評 SiCKO

2022-01-27 | 論評、書評、映画評など
映画論評 SiCKO
 市立図書館から借り出したSiCKO(シッコ)という映画を見て感じることを書き留めたい。
 このドキュメンタリー映画は、監督のマイケル・ムーア自身がレポーター役になって登場し、先進国の中では奇異にさえ感じる国民皆保険のない自国アメリカの相互扶助精神のなさを批判するのが主題の映画だ。


 日本も国民皆保険制度は維持されており、アメリカの隣のカナダでも、欧州諸国でも、ほぼ国民皆保険はあり、誰が考えても、国民の健康とか生命という命の平等さを考えれば、あって当然の制度だろう。ところが、アメリカにはなく、全米3億2千万人口の中で、約5千万の無保険者が存在するという。

 つまり、アメリカにおいて健康保険は当然あるのだが、それはすべて民間の保険会社によってなされており、政府が公共的な事業として、関与していないということだ。

 これについて、同映画内では明言している訳ではないが、私見として想像すれば、アメリカ政府(と云うか権力者)の言い分はこういうこおtだろう。それは、国民皆保険は社会主義であり、もっと云えば共産主義に至るものであり、これを突き詰めると、非効率だとか、無能な医者を存在させることになるという思考だろう。

 確かに、筆者が感じるに、国民皆保険は、何があろうが絶対必要だが、医師の個別程度を見廻したとき、こういう無能な医師を存在させているとか、民間病院の中には、過剰診療による不当な利益を食んでいると云うことを感じる機会が多い。それとか、零細病院を存続させるため、筆者みたいに初診の対応で、こりゃ医師のスキルが欠けているという判断すると即座に辞して、それなりの大病院での診断を受ける訳だ。その時、こういうアホな医師と称する人物とは話しもできんと大病院の紹介状もなしに、大病院を受診すると、初診料の他に、5千円程度の別途費用を取られる、零細病院扶助制度まで取り入られているのを知る時、流石に医師会は、自らの相互扶助を権力者に働きかけて勝ち取っていると云う、ある意味での弊害を感じるところもある。

 なお、同ドキュメンタリー内では、マイケル・ムーアは過去の政治家にはアメリカにも国民皆保軽は必用と主張するものもあったが、それは民間保険会社が市場を奪われることから、論理的な反対をするならともかく、高額の政治献金や工作費としてと強力なロビー活動で潰されてきたと述べているところは頷けるところだ。

 日本でも、大阪維新の創設者のハシシタとかマツイ辺りの思想は、公共事業はムダばかり、すべて民間委託して公立を上げなければ等と、政治家もしくは自治体首長が、企業経営者的な思想を振り回しているが、アホな話しだと思うしかない。私も既に死没はしているが母が大阪枚方の生まれなこともあり、関西人の血が流れていることを意識するのだが、こういうことを記すと現在の関西人にお叱りを受けるかもしれぬがあえて記す。関西人はアホで、こんな偽善の政治屋も見分けられないのかと。

 それと、同ドキュメンタリーの中で、民間保険会社のやり口として、保険金を支払う段となると、あれやこれやと、その保険金を減らそうと図る思想があることを述べている。これについては、筆者も20年を超える保険会社の物損事故の調査員として活動した経験からの意見として、残念ながらそういう思想がないとはいえないと体験して来た。

 ただし、筆者は、保険会社とは公共事業ではない営利を追求する企業だが、様々な統計資料だとか科学的な確率計算により、なるべく保険料を低額化することに努め、世の善良な保険契約者を対象として広く契約者を集め、あるべき確率により生じた不幸な事故の際、何処から見ても妥当な保険金を公平に支払う義務があることを意識して来た。そんな意識の中、損害保険の調査員として求められるべきは、それぞれの保険事故において、すべての請求を値切るという思考を臆面もなく示すものが、近年より目立つ様に感じるがアホな世界になって来たと思える。そもそも、保険会社にとってもっとも警戒すべきは、保険金を排除すべきは善良でない契約者、つまり保険金を詐欺るために存在する事故を見定め、追求しつつ排除していくことだと信じる次第だ。
※wikiでの解説で、「シッコ (sicko)」とは、「狂人」「変人」などを意味するスラングであり、「病気の」「病気にかかる」という意味の単語「シック(sick)」と掛けている。



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