沼津市と戸田村が合併し程なくだった頃だと思う、松城邸の特別公開があると云うので訪問時の一部写真を紹介してみたい。
この戸田村だが江戸時代は君沢群戸田村で、今の沼津市西浦あたり以南土肥までと三島市が入るくくりとなっていた様である、当然伊豆国であり、沼津の駿河国とは異なる。伊豆国は幕府の直轄地であるが、納めていた代官(今の県知事以上の権力者)は、韮山の代官所を置いた江川太郎左衛門である。この江川氏の納めた直轄地は、伊豆国だけでなく相模、東京、埼玉と含まれる様なので、どうやら豊臣以前の北条家の納めた地域なのかもしれないなどと想像しているが・・・。不確かな素人考えではある。
前にも記したかと思うが、日本の沿岸を廻船で物流が運搬される江戸時代に、戸田も栄えた様だ。戸田だけで廻船問屋が6件あったというし、ディアナ号の代船製造を戸田で行ったと云うことは、当時もそれなりの船大工が居たということだろう。そんなことから、今よりも人口も多かったに違いないと思っている。
さて、本題の松城邸だが6件の廻船問屋の1つであり、明治の初め頃に建築されたものという。(国重要文化財)しかし、約10年前の訪問日時点で、傷みやつれが多くて、常時観光可とするには大幅な修復(費)が掛かると感じた。それでも、和洋折衷というか、純和風とは異なる天井壁紙や漆喰細工などなど、往時の豪商宅が伺えるたたずまいと感じたものだ。





この戸田村だが江戸時代は君沢群戸田村で、今の沼津市西浦あたり以南土肥までと三島市が入るくくりとなっていた様である、当然伊豆国であり、沼津の駿河国とは異なる。伊豆国は幕府の直轄地であるが、納めていた代官(今の県知事以上の権力者)は、韮山の代官所を置いた江川太郎左衛門である。この江川氏の納めた直轄地は、伊豆国だけでなく相模、東京、埼玉と含まれる様なので、どうやら豊臣以前の北条家の納めた地域なのかもしれないなどと想像しているが・・・。不確かな素人考えではある。
前にも記したかと思うが、日本の沿岸を廻船で物流が運搬される江戸時代に、戸田も栄えた様だ。戸田だけで廻船問屋が6件あったというし、ディアナ号の代船製造を戸田で行ったと云うことは、当時もそれなりの船大工が居たということだろう。そんなことから、今よりも人口も多かったに違いないと思っている。
さて、本題の松城邸だが6件の廻船問屋の1つであり、明治の初め頃に建築されたものという。(国重要文化財)しかし、約10年前の訪問日時点で、傷みやつれが多くて、常時観光可とするには大幅な修復(費)が掛かると感じた。それでも、和洋折衷というか、純和風とは異なる天井壁紙や漆喰細工などなど、往時の豪商宅が伺えるたたずまいと感じたものだ。





