図は、エンジン性能曲線と走行性能曲線(共に1971年TA12型ハイオク&レギュラー仕様)だが、この様な性能曲線図を見ることは近年非常に少なくなった感を持つ。かろうじて、カタログなどでエンジン性能曲線図を見ることはあるが、グラフ下部の燃料消費率曲線までが表示されることはない。正直いいってこれは誠におかしなことで、エンジン設計者からすれば、如何にこの数値を小さく追い込めるかが現代エンジンの宿命になっているはずなのだが・・・。ちなみに図のハイオク仕様(右側)で最小燃料消費率は220g/psh程であることが読み取れる。現在ではpsの部分がkw表示になっている(kwはpsの1.36倍)が、意味はまったく同様だ。220g/pshで熱効率としては想像だが30%と云うところかと思えるが、現代エンジンではガソリンでも200g/psh以下となっているであろうし、直噴ディーゼルでは160g/psh程度に至っているだろう。参考までに船舶用低速ディーゼル(常用100rpm以下)では、120g/pshで熱効率50%を達成しているそうだ。一方、走行性能曲線図については、エンジン性能曲線より更に目にする機会はなくなった。クルマの設計人からすれば、極めて重要な基本となるデータであることは変わりはないはずなのだが、何故かサービスマンを含めユーザーサイドが見る機会はなくなってしまった。
さて、各社の新型車解説書だとか修理書を昔と現在を比べて見ると、先のエンジンおよび走行性能曲線などに限らず、様々な装置において、その材質だとか表面処理(タフトライドなどの表面硬化など)だとか制御ロジックの明示は、ますます縮小されてきてきる様子が感じられるのは私だけであろうか。一方、数十年前は総ての機構が機械的な動作や電子というより、電気というレベルでの単純な機構だったので、点検や分解時に、それなりの観察眼さえあれば、どうして働くのか容易に理解できたものだ。それとか、数十年前にはボデー修理書などは各社整備されておらず、いいところ車体の主要部位の基本寸法(投影寸法)が公表されている程度だった。それが20年程前より、各車種別にボデー修理書が整備され、主要部位の取替作業について一応の解説がなされるようになったが、本当に主要部位のみの通り一辺倒なものだ。寸法図においては投影寸法だけでなくほぼ同位置ヶ所の直線寸法が併記されたり、ドアなど開口部が追加されたのは良いところであろう。一方、新車製造において技術革新されている、例えば多種類のボデーシーリング(というか実質的なアンダーコーティング)など、なんら再現手法は記され解説されていないのだ。
話しが長くなったので最後の話題としたいが、昨今はやたらリコールが多くて、こんな状態でメーカーは利益を出せるのだろうかとすら思う。それが、例え、部品サプライヤの負担や傘下ディーラーのメーカーと比べれば格安労賃の上で達成されているのだろうとしても、メーカー自体にも監督官庁への届出や達成率報告など馬鹿にならない事務処理関連の負担を強いているだろう。何でこんなにリコールが多くなってしまったのだろうかと云うことだが、20年前の三菱自隠蔽事件があり、強烈なインパクトを各社は受けたということがあるのだろう。つまり、三菱ほどではないにしても多かれ少なかれ、隠蔽しつつ内緒で改修することは各メーカーで行われていたのであって、この事件に各メーカーが震え上がったということがあるだろう。従って、現在は、問題があればリコールを届け、まず隠蔽でないという姿勢を確保することが第1条件になっている。それにしても、件数が多すぎると思わざるを得ない。この理由について、2つほど思い当たることを記してみたい。
一つは、クルマ本体および部品単体での耐久試験だとか評価の不足があるのだろう。現在のクルマから感じられるのは、試作の不足、計測一辺倒で官能評価の不足というか、それをやって居るのだろうかとすら感じることが多い。二つ目に、今のクルマはさもない制御であってもマイクロプロセッサーを介したソフトウェア制御が多いが、これはメカ部分を単純化したり様々な車種で共通メカの利用を可能とし原価低減する時代の宿命とも云えるだろう。ところで、このソフトウェアの制御については、いわゆるバグと呼ばれるソフトウェア自体の欠陥が付いて廻る宿命にあるが、そのデバイスにより多頻度に発現しうる条件と、極めて少ない確率で発現する条件があると思える。このことが、先の1つめの評価不足の問題とも絡み合って、リコールに結び付いている様に思えてならない。
今のカーメーカーのやり方を意地悪く眺めると、新車を新規開発して素早く投入することが是で、多少不具合が生じようが、リコールで改修すれば良いと思ってるんではないかとすら思えてしまう。私の信じる思いからすれば、人の命に関わる自動車製造業は、絶対の自信を持って新車開発から販売を行うのが是であり、これが倫理というものだろう。先のように、不具合がでたらリコールで改修すれば良いなんていう安易な考え方をよもや持っているとしたら、とんでもないモラル違反であって、許されざる考え方だろうと思うのだが・・・。新車開発のリードタイムの圧縮、つまりコスト低減、すなわち原価低減による商品競争力の競争が為せることなのであろうか大変残念なことと感じる。
さて、各社の新型車解説書だとか修理書を昔と現在を比べて見ると、先のエンジンおよび走行性能曲線などに限らず、様々な装置において、その材質だとか表面処理(タフトライドなどの表面硬化など)だとか制御ロジックの明示は、ますます縮小されてきてきる様子が感じられるのは私だけであろうか。一方、数十年前は総ての機構が機械的な動作や電子というより、電気というレベルでの単純な機構だったので、点検や分解時に、それなりの観察眼さえあれば、どうして働くのか容易に理解できたものだ。それとか、数十年前にはボデー修理書などは各社整備されておらず、いいところ車体の主要部位の基本寸法(投影寸法)が公表されている程度だった。それが20年程前より、各車種別にボデー修理書が整備され、主要部位の取替作業について一応の解説がなされるようになったが、本当に主要部位のみの通り一辺倒なものだ。寸法図においては投影寸法だけでなくほぼ同位置ヶ所の直線寸法が併記されたり、ドアなど開口部が追加されたのは良いところであろう。一方、新車製造において技術革新されている、例えば多種類のボデーシーリング(というか実質的なアンダーコーティング)など、なんら再現手法は記され解説されていないのだ。
話しが長くなったので最後の話題としたいが、昨今はやたらリコールが多くて、こんな状態でメーカーは利益を出せるのだろうかとすら思う。それが、例え、部品サプライヤの負担や傘下ディーラーのメーカーと比べれば格安労賃の上で達成されているのだろうとしても、メーカー自体にも監督官庁への届出や達成率報告など馬鹿にならない事務処理関連の負担を強いているだろう。何でこんなにリコールが多くなってしまったのだろうかと云うことだが、20年前の三菱自隠蔽事件があり、強烈なインパクトを各社は受けたということがあるのだろう。つまり、三菱ほどではないにしても多かれ少なかれ、隠蔽しつつ内緒で改修することは各メーカーで行われていたのであって、この事件に各メーカーが震え上がったということがあるだろう。従って、現在は、問題があればリコールを届け、まず隠蔽でないという姿勢を確保することが第1条件になっている。それにしても、件数が多すぎると思わざるを得ない。この理由について、2つほど思い当たることを記してみたい。
一つは、クルマ本体および部品単体での耐久試験だとか評価の不足があるのだろう。現在のクルマから感じられるのは、試作の不足、計測一辺倒で官能評価の不足というか、それをやって居るのだろうかとすら感じることが多い。二つ目に、今のクルマはさもない制御であってもマイクロプロセッサーを介したソフトウェア制御が多いが、これはメカ部分を単純化したり様々な車種で共通メカの利用を可能とし原価低減する時代の宿命とも云えるだろう。ところで、このソフトウェアの制御については、いわゆるバグと呼ばれるソフトウェア自体の欠陥が付いて廻る宿命にあるが、そのデバイスにより多頻度に発現しうる条件と、極めて少ない確率で発現する条件があると思える。このことが、先の1つめの評価不足の問題とも絡み合って、リコールに結び付いている様に思えてならない。
今のカーメーカーのやり方を意地悪く眺めると、新車を新規開発して素早く投入することが是で、多少不具合が生じようが、リコールで改修すれば良いと思ってるんではないかとすら思えてしまう。私の信じる思いからすれば、人の命に関わる自動車製造業は、絶対の自信を持って新車開発から販売を行うのが是であり、これが倫理というものだろう。先のように、不具合がでたらリコールで改修すれば良いなんていう安易な考え方をよもや持っているとしたら、とんでもないモラル違反であって、許されざる考え方だろうと思うのだが・・・。新車開発のリードタイムの圧縮、つまりコスト低減、すなわち原価低減による商品競争力の競争が為せることなのであろうか大変残念なことと感じる。