ある本に生物の根源的な欲求とは何かという答えとして、それはパーペチュエイション(perpetuation:永続性)だと記されていました。なるほどと頷ける回答と感じます。
個人、もしくはパートナー、家族としての、ささやかな安寧、幸せを願うパーペチュエイションは、当然の欲求だと思います。
しかし、このパーペチュエイションですが、組織体などでは、包含する大きな組織ほど、その権力の大きさに応じて、個とは異なる傲慢なパーペチュエイションを持つようです。その様な傲慢なパーペチュエイションは、ささやかな個のパーペチュエイションを踏みつぶして行くのです。
端的な実例を記します。福島第1原発事故では、震災直後の水素爆発時、大量の放射能が飛散していることを、安全だと強弁して知らせず、避難もさせませんでした。そして、それまで年間1μSvと決められていた法律を20μSvに変更し、それを越える地域も含め放射線管理区域にも指定せず、福島県民を住み続けさせています。
話しは飛びますが、昔ハイジャック事件で、「人命は地球より重い」といい訳じみた言葉を発した首相が居ましたが、今の政治家は「直ちに危険はない」ですから、もっともっと悪質です。
個人、もしくはパートナー、家族としての、ささやかな安寧、幸せを願うパーペチュエイションは、当然の欲求だと思います。
しかし、このパーペチュエイションですが、組織体などでは、包含する大きな組織ほど、その権力の大きさに応じて、個とは異なる傲慢なパーペチュエイションを持つようです。その様な傲慢なパーペチュエイションは、ささやかな個のパーペチュエイションを踏みつぶして行くのです。
端的な実例を記します。福島第1原発事故では、震災直後の水素爆発時、大量の放射能が飛散していることを、安全だと強弁して知らせず、避難もさせませんでした。そして、それまで年間1μSvと決められていた法律を20μSvに変更し、それを越える地域も含め放射線管理区域にも指定せず、福島県民を住み続けさせています。
話しは飛びますが、昔ハイジャック事件で、「人命は地球より重い」といい訳じみた言葉を発した首相が居ましたが、今の政治家は「直ちに危険はない」ですから、もっともっと悪質です。