いまさら SDGs とは何だ
wikiで見ると「持続可能な開発目標(じぞくかのうなかいはつもくひょう、英語: Sustainable Development Goals、略称: SDGs(エスディージーズ))は、17の世界的目標、169の達成基準、232の指標からなる持続可能な開発のための国際的な開発目標。」
つまり、SDGsとは、サステナブル・デベロップメント・ゴールズ(複数型)の略称から名付けられたのだが、この論議は国連で採択されたということになっている。17の世界的目標とは以下だ。
1)貧困をなくそう (英: No Poverty)
「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」
2)飢餓をゼロに (英: Zero Hunger)
「飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する」
3)すべての人に健康と福祉を (英: Good Health and Well-Being)
「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」
4)質の高い教育をみんなに (英: Quality Education)
「すべての人々へ包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」
5)ジェンダー平等を実現しよう (英: Gender Equality)
「ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う」
6)安全な水とトイレを世界中に (英: Clean Water and Sanitation)
「すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する」
7)エネルギーをみんなに、そしてクリーンに (英: Affordable and Clean Energy)
「すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する」
8)働きがいも経済成長も (英: Decent Work and Economic Growth)
「包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用を促進する」
9)産業と技術革新の基盤をつくろう (英: Industry, Innovation and Infrastructure)
「強靱なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化の促進及び技術革新の推進を図る」
10)人や国の不平等をなくそう (英: Reduced Inequalities)
「各国内及び各国間の不平等を是正する」
11)住み続けられるまちづくりを (英: Sustainable Cities and Communities)
「包摂的で安全かつ強靱で持続可能な都市及び人間居住を実現する」
12)つくる責任 つかう責任 (英: Responsible Consumption and Production)
「持続可能な生産消費形態を確保する」
13)気候変動に具体的な対策を (英: Climate Action)
「気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる」[注釈 1]
14)海の豊かさを守ろう (英: Life Below Water)
「持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する」
15)陸の豊かさも守ろう (英: Life on Land)
「陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する」
16)平和と公正をすべての人に (英: Peace, Justice and Strong Institutions)
「持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する」
17)パートナーシップで目標を達成しよう (英: Partnerships for the Goals)
「持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する」
まあ、サラッと見れば、立派な言葉が並んでいるが、今の日本人として目に見える耳に聞こえる変化などを眺めた時、どのように考えれば良いのだろうか。
例えば、スーパーなどレジの食品レジ袋の有料化だが、海洋汚染から来たというが、その汚染に寄与しているビニール袋込みの影響は2%以下だという。こんなものを少なくしても、ほとんどなんの役にも立たないことはその道の専門家でなくても判る。
それと、脱炭素とか宣って、EV化を日本のメディアは日本の車両メーカーは遅れている取り残されると危機感を煽りまくる。さらにはオール電化だ偉いだろ見たいな宣伝を住宅メーカーや設備機器メーカーが行うが、正しい姿なのだろうか。先日も東北で大きな地震があったり、その後電力需給が逼迫して停電の危機が知らされるが、オール電化がどんなに脆弱なアホな見栄のものか判るだろう。
EV車については、今や国内市場が窮乏化したこともあり、日本の車両メーカーは全世界で作る2/3は海外用で国内で作る1/3は、トヨタなどメーカーラインの縮小削減のため、車種を減らそうと、それまで各ディーラーに与えていた専売車種という既得権を奪うという暴挙を行っているのだが、それに反発するディーラーの声など聞こえやしない。
それとか、これはSDGs以前からの官僚政治の偏向だろうが、古いクルマの税金を上げ、新しいクルマの税金を優遇するというのもとんでもない暴挙なのだが、反発する声はあれども大きな国民世論とはならない。
確かに新しいクルマの方が環境性能は良いのは確かだが、それを生み出すエネルギーと古いのを使うのと比べれば、誰が考えてもモノを長く使う方が耐環境にとっては良いことは明かだろう。でも、それじゃ困るのは企業なのだ。早く廃棄して新しいモノに買い替えてもらいたい、そのための金看板がSDGsと考えれば良いのではないだろうか。
それと、脱炭素とかカーボンニュートラルとか、CO2温暖化と云うこともまことしやかに云われているが、これについては、知れる限り、相当なマヤカシがある様に思える。
こうして見ると、日本国家も経団連とか自工会などの政治ロビーによる偏向があるが、国連という組織にも、各国(特に白人国)の強い偏向への作為的な世の変化による儲けを意図しているとも思えて来てしまう。
最後に、今、原油が値上がったり供給の脆弱性が目立つ中、原発をフランス並みに増やすべき論をマジメに云う愚か者だとか、核兵器でコンクリート建屋内に居れば助かるみたいな誰が化投げて判る言説を云う愚か者までいて呆れる。東北震災で、未だに復旧できない一番の要因は、原発にあることは誰でも判ることだろう。それを、放射のは人体に必用な養分だぐらいのことまでをいうとなると、もう狂っているというのが、更迭された元航空幕僚長氏の言葉だが狂っているとしか感じられない。何れにしても、私の結論としては、SDGsとは資本主義社会の宿命故の偽旗作戦の一種だとしか思えない。
#DGsとは #資本主義社会の宿命故の偽旗作戦
wikiで見ると「持続可能な開発目標(じぞくかのうなかいはつもくひょう、英語: Sustainable Development Goals、略称: SDGs(エスディージーズ))は、17の世界的目標、169の達成基準、232の指標からなる持続可能な開発のための国際的な開発目標。」
つまり、SDGsとは、サステナブル・デベロップメント・ゴールズ(複数型)の略称から名付けられたのだが、この論議は国連で採択されたということになっている。17の世界的目標とは以下だ。
1)貧困をなくそう (英: No Poverty)
「あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる」
2)飢餓をゼロに (英: Zero Hunger)
「飢餓を終わらせ、食料安全保障及び栄養改善を実現し、持続可能な農業を促進する」
3)すべての人に健康と福祉を (英: Good Health and Well-Being)
「あらゆる年齢のすべての人々の健康的な生活を確保し、福祉を促進する」
4)質の高い教育をみんなに (英: Quality Education)
「すべての人々へ包摂的かつ公正な質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」
5)ジェンダー平等を実現しよう (英: Gender Equality)
「ジェンダー平等を達成し、すべての女性及び女児の能力強化を行う」
6)安全な水とトイレを世界中に (英: Clean Water and Sanitation)
「すべての人々の水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する」
7)エネルギーをみんなに、そしてクリーンに (英: Affordable and Clean Energy)
「すべての人々の、安価かつ信頼できる持続可能な近代的エネルギーへのアクセスを確保する」
8)働きがいも経済成長も (英: Decent Work and Economic Growth)
「包摂的かつ持続可能な経済成長及びすべての人々の完全かつ生産的な雇用と働きがいのある人間らしい雇用を促進する」
9)産業と技術革新の基盤をつくろう (英: Industry, Innovation and Infrastructure)
「強靱なインフラ構築、包摂的かつ持続可能な産業化の促進及び技術革新の推進を図る」
10)人や国の不平等をなくそう (英: Reduced Inequalities)
「各国内及び各国間の不平等を是正する」
11)住み続けられるまちづくりを (英: Sustainable Cities and Communities)
「包摂的で安全かつ強靱で持続可能な都市及び人間居住を実現する」
12)つくる責任 つかう責任 (英: Responsible Consumption and Production)
「持続可能な生産消費形態を確保する」
13)気候変動に具体的な対策を (英: Climate Action)
「気候変動及びその影響を軽減するための緊急対策を講じる」[注釈 1]
14)海の豊かさを守ろう (英: Life Below Water)
「持続可能な開発のために海洋・海洋資源を保全し、持続可能な形で利用する」
15)陸の豊かさも守ろう (英: Life on Land)
「陸域生態系の保護、回復、持続可能な利用の推進、持続可能な森林の経営、砂漠化への対処、ならびに土地の劣化の阻止・回復及び生物多様性の損失を阻止する」
16)平和と公正をすべての人に (英: Peace, Justice and Strong Institutions)
「持続可能な開発のための平和で包摂的な社会を促進し、すべての人々に司法へのアクセスを提供し、あらゆるレベルにおいて効果的で説明責任のある包摂的な制度を構築する」
17)パートナーシップで目標を達成しよう (英: Partnerships for the Goals)
「持続可能な開発のための実施手段を強化し、グローバル・パートナーシップを活性化する」
まあ、サラッと見れば、立派な言葉が並んでいるが、今の日本人として目に見える耳に聞こえる変化などを眺めた時、どのように考えれば良いのだろうか。
例えば、スーパーなどレジの食品レジ袋の有料化だが、海洋汚染から来たというが、その汚染に寄与しているビニール袋込みの影響は2%以下だという。こんなものを少なくしても、ほとんどなんの役にも立たないことはその道の専門家でなくても判る。
それと、脱炭素とか宣って、EV化を日本のメディアは日本の車両メーカーは遅れている取り残されると危機感を煽りまくる。さらにはオール電化だ偉いだろ見たいな宣伝を住宅メーカーや設備機器メーカーが行うが、正しい姿なのだろうか。先日も東北で大きな地震があったり、その後電力需給が逼迫して停電の危機が知らされるが、オール電化がどんなに脆弱なアホな見栄のものか判るだろう。
EV車については、今や国内市場が窮乏化したこともあり、日本の車両メーカーは全世界で作る2/3は海外用で国内で作る1/3は、トヨタなどメーカーラインの縮小削減のため、車種を減らそうと、それまで各ディーラーに与えていた専売車種という既得権を奪うという暴挙を行っているのだが、それに反発するディーラーの声など聞こえやしない。
それとか、これはSDGs以前からの官僚政治の偏向だろうが、古いクルマの税金を上げ、新しいクルマの税金を優遇するというのもとんでもない暴挙なのだが、反発する声はあれども大きな国民世論とはならない。
確かに新しいクルマの方が環境性能は良いのは確かだが、それを生み出すエネルギーと古いのを使うのと比べれば、誰が考えてもモノを長く使う方が耐環境にとっては良いことは明かだろう。でも、それじゃ困るのは企業なのだ。早く廃棄して新しいモノに買い替えてもらいたい、そのための金看板がSDGsと考えれば良いのではないだろうか。
それと、脱炭素とかカーボンニュートラルとか、CO2温暖化と云うこともまことしやかに云われているが、これについては、知れる限り、相当なマヤカシがある様に思える。
こうして見ると、日本国家も経団連とか自工会などの政治ロビーによる偏向があるが、国連という組織にも、各国(特に白人国)の強い偏向への作為的な世の変化による儲けを意図しているとも思えて来てしまう。
最後に、今、原油が値上がったり供給の脆弱性が目立つ中、原発をフランス並みに増やすべき論をマジメに云う愚か者だとか、核兵器でコンクリート建屋内に居れば助かるみたいな誰が化投げて判る言説を云う愚か者までいて呆れる。東北震災で、未だに復旧できない一番の要因は、原発にあることは誰でも判ることだろう。それを、放射のは人体に必用な養分だぐらいのことまでをいうとなると、もう狂っているというのが、更迭された元航空幕僚長氏の言葉だが狂っているとしか感じられない。何れにしても、私の結論としては、SDGsとは資本主義社会の宿命故の偽旗作戦の一種だとしか思えない。
#DGsとは #資本主義社会の宿命故の偽旗作戦