私の思いと技術的覚え書き

歴史小説、映画、乗り物系全般、事故の分析好きのエンジニアの放言ブログです。

職人気質に思うこと

2016-10-08 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 写真は日本の名工に選ばれた方と、新幹線700系の先頭部の板金作り込み作業だ。(300系以降はアルミ外板)現在は、必用削り代を取ってアルミブロックを積層しておき、それを大型3軸制御のマシニングセンタ-で削り出すというNCの世界になっているそうだ。70年代以前のイタリア・カロツェリアでも、同様にアルミもしくは鋼板を叩き、曲げ、絞り、繋ぐという作業によって、ボデーを作り上げていたのだが、膨大な工数を生じるから、それでは一般庶民の買えるクルマとはならない。今回は、こんなモノ作りに関わる「職人気質」(しょくにんかたぎ)について、思い関連する事柄を記してみる。

 まず、「職人気質だなぁ」等と呼ばれる場合、良い意味で呼ばれる場合と悪い意味で呼ばれる場合がある。良い意味での職人気質とは、技術者としての仕事をとことん追求しつつ極めていくタイプであり、場合によってはコストを度外視し、例え自分の身を削っても追求して行くという職人としての強いプライドを持った方であろうと思う。また、悪い意味での職人気質とは、融通が利かず昔の経験のみに頼り、決して新しい知識を受け入れず、ただプライドだけが強いといった様な頑ななタイプではなかろうか。世間一般にモノを作り上げ。そして直すなどの職業や、何らかの技能者、例えば、トラック、バスの運転者やクレーンオペ、レッカー専業者、航空機パイロット、果ては外科医や歯科医などまでは、その根底に職人的気質が内在していることを感じている。

 この技能者(スペシャリスト)に対局するものとして、いわゆるゼネラリストという定義がある。特定の分野を限定せずに広く全体を俯瞰できるスキルを有し、的確な指揮できる者といった意味なのだろうか。ということで、組織を運営する指揮者としては、ゼネラリストでなければならないのだろう。創業期のホンダやソニーなど、スペシャリスト社長(本田宗一郎と井深大)とゼネラリストたる副社長(藤沢武夫と盛田昭夫)の信頼関係ある二人三脚体制が成功への大きな要因となったことは確かだろう。しかし、成熟しつつ激しい世界的競争が高まる現代において、可及的速やかに収束した最終結論を1人が下す、それにはゼネラリスト的素因を備えた者が社長でなければならないのだろう。これは企業だけでなく、アメリカ大統領だって同様だ。多数の有能なスタッフの情報および意見を聞き、優先順位を持って決定し指示を下す。しかし、中には感情的もしくは被害妄想的とも云える局面も垣間見えるのであるが、所詮人間の為すことである。

 話を戻し、クルマの個別新商品を作る場合、当然立案としての戦略が論議され、定義されるのだろう。つまり、販売ターゲット層だとか、見込める販売価格、販売台数などであろう。ここは、スペシャリストというより、ゼネラリストの領域となるのだろうか。その上で、実際の開発に入ることになるが、ここからはスペシャリストの世界とはなるが、統括者はゼネラリスト的視野を持つことが求められるであろう。そして、エンジン、車体、性能といった、個別分野は、より先鋭的なスペシャリスト集団の活躍する分野となるのであろう。

 日頃付き合う整備工場や板金塗装業には、いわゆる「職人」と呼ばれる方々が多く居る訳だが、その中には上記に記した良い意味での方と悪い意味での方の両方が存在している。そして、良い意味での職人気質の方に接した時、その方に魅力を感じるものだ。そんな、強いプライドを持った方から「俺は職人だ」等と云われると、自分も職人気質を有することを自覚するが故、その思いは伝わるものだ。

 ところで、企業の経営者とかリーダーから見た職人気質とはどうなのだろうか。悪い意味での職人気質は問題外としても、例え良い意味での職人気質であっても、そのプライドの強さ等から、それを敬遠し黙殺するといった傾向があるように感じる。特に大企業になる程その傾向は強く、企業経営者は平準化した社員(いわゆる金太郎飴)を作りたがる様に感じる。しかし、良い意味での職人気質を殺しては、決して良い製品は生まれず、企業としての成長・発展も有り得ないと思うのであるが・・・。

 但し、一見人が良さそうに見え、まあまあ良い職人気質かなあと思っていた者が、接する相手の動作が遅いとか、作業に進展がままならないなどとして、かんしゃくを起こし、共に働く相手に「心の痛み」と云うべき暴言を投げつける場合を経験するし、類似の内容を聞く場合がある。これは、職人云々の問題ではなく、相手の心の痛みを理解し得ない(つまり同じことを自分が受けたらどう思うであろうかと想起出来得ない)、人間として誠にお粗末な者であろう。

 最後になるが、一般論であるが日本の職人に対しての価値というか社会的地位の低さ(そのフィーの低さも含めて)を感じることがある。伝え聞くドイツでのマイスター制度等(これもぐずれ掛けている様だが)は、魅力を感じるところだ。



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