このところ、心の余裕が失われつつある様にも感じる。そんな今日のこと、時々クルマで通る抜ける道に、鳥居にしめ縄のたたずまいがちょいと気になる神社がある。前々から、一度は詣でたいと思っていたのだが、駐車スペースが近くにない等から果たされていなかったのだが、心の安念を求め詣でてみた。
我ながら、神社仏閣への信仰心は薄いと自覚しているが、そのたたずまいとか雰囲気は好きな方だと自負している。この小さな熊野神社も、遠目には鳥居とマッチした「しめ縄」、そこから下がる「〆の子」(しめのこ:垂れ下がる藁)、紙垂(しで:雷型の白紙)という組み合わせの妙に感心しつつ近づく。Net情報ですから、本当のことは知らぬが、しめ縄は雲を、〆の子は雨を、紙垂は雷を表していると記してある。ということは、正に稲作文化のオブジェだと思える。
まあ、近づき至近で見ると、しめ縄も〆の子も本物の稲藁じゃなく合成樹脂のイミテーションだと判るが、それでも至近でない限りそんなことも判らず、良い雰囲気を生んでいると感じるところだ。
石段を登り軽く参拝して、石段を下り帰路に付くが、逆行気味に未だ色付いていない銀杏の木漏れ日越しに見る、鳥居の姿も良い雰囲気だ。

我ながら、神社仏閣への信仰心は薄いと自覚しているが、そのたたずまいとか雰囲気は好きな方だと自負している。この小さな熊野神社も、遠目には鳥居とマッチした「しめ縄」、そこから下がる「〆の子」(しめのこ:垂れ下がる藁)、紙垂(しで:雷型の白紙)という組み合わせの妙に感心しつつ近づく。Net情報ですから、本当のことは知らぬが、しめ縄は雲を、〆の子は雨を、紙垂は雷を表していると記してある。ということは、正に稲作文化のオブジェだと思える。
まあ、近づき至近で見ると、しめ縄も〆の子も本物の稲藁じゃなく合成樹脂のイミテーションだと判るが、それでも至近でない限りそんなことも判らず、良い雰囲気を生んでいると感じるところだ。
石段を登り軽く参拝して、石段を下り帰路に付くが、逆行気味に未だ色付いていない銀杏の木漏れ日越しに見る、鳥居の姿も良い雰囲気だ。

