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歴史に学ばないのが日本の悪癖か?

2022-05-15 | コラム
歴史に学ばないのが日本の悪癖か?
 Net記事を見ていたら、明治三陸津波の風俗画というのが添えられた過去記事があり、「過去の教訓」に学ばねばならない主旨のことが記してある。好きな格言に「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」(ビスマルク)というのがある。

 ここで云いたのは、津波(tunami)という言葉が世界中で共通語化している日本において、内陸に巨大河川がない宿命上、その立地は海沿いにしか作れない原子力発電所を、何故こうも日本列島の各地に作って来たのかということだ。

 特に2011/3/11で全電源喪失という想定外だったとされる災害を受けた東電福島1原発の立地に際しては、過去の歴史に照らして数百年大きな津波はなかったと、おそらく何処かの高名な大学教授の意見を添えて理由付けされた様だ。この原発災害に際しては、東電幹部を対象(そもそも東電だけじゃなく通産省・原子力関係者も入れるべきだが)に、現在も検察審査会通して再審を進めている訴訟においても、予知はできなかったという結論に導く様子がありありと見られる茶番が行われている。

 現実論をぶちゃっけ記せば、国家なりその意を受けた電力会社が原発を作ろうと思えば、ある程度の過疎地で、地場産業もない地域を狙い、補助金で地元民を抱き込み賛意を得て、立地を決めているというのが第1だろう。そこに、過去に津波被害があったかなかったなどと云う歴史的検討は、ほとんどせずに御用学者に作文作らせ、立地を進めるという所業が、結局のところ311で見事に実証されてしまった訳だ。しかも、裁判所は三権分立という建前だが、裁判官も税金で飯食ってる公務員だからして、そもそも三権分立なんていうのは寝言に過ぎない訳で、本来は現行法の枠内という中で裁判官は個人の良心に沿って判決を下せるという権限を与えられてはいるが、人事権は最高裁にあり、最高裁は政府国家の意を汲む訳で、個別の裁判官が良心に沿った判決を最高裁が問題視すれば、その裁判官は退官するまで地方僻地の裁判所巡りで昇進もできないというのが現実の世界なのだ。

 つまるところは、日本の法務組織におよそデモクラシーというべき思想は欠落しており、起きるべきして生じたのが東電福島原発災害だと断じられるだろう。

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【ソース記事】
【過去の教訓を未来につなぐ】土砂災害や水害危険度が増す梅雨時の地震 6月に起きた地震を振り返る
福和伸夫名古屋大学名誉教授、あいち・なごや強靭化共創センター長
2018/6/4(月) 7:00
https://news.yahoo.co.jp/byline/fukuwanobuo/20180604-00085961?fbclid=IwAR2_D2S-jPYompewvRYmSMoqhvlHX16e-64S6BMJwrzFWRXWEJgnrOHYpZs


#賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ #311は起こるべきして生じた


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