私の思いと技術的覚え書き

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日本自動車博物館の訪問記  0910

2018-09-20 | 車と乗り物、販売・整備・板金・保険
 国内の各種自動車に関連する博物館や資料館の類は、まあまあ見て来たつもりだけど、ここは何時かは訪れねばならぬと思いつつも、縁なく時を経ていたのです。それが、JBUSの工場訪問を思い立つ中、せっかく小松市を訪れるなら、ここを見ずには考えられぬと、積年の望みを果たしたというものです。

 さて、この博物館、その保有台数は500台を超えるというだけあり、結構に初めて実車を見るというクルマも結構ありました。ところで、この博物館の経営は、富山にある石黒産業という建築材料販売の企業で、その経営者である前田彰三氏が個人収集から始め、博物館建設まで至ったとのことです。そうとうなクルマ愛好者の方だと思いますし、単にその時代のエポックだけを狙った有名車にだけに限らず、普通なら埋もれてしまうであろうライトバンなどの商用車もあるというところは関心します。

 建物は、外装はレンガ作りで、パッと見は復元された東京駅みたいな感じで、結構大きな建物です。3層のフロアがあるのですが、それでも500台からの収蔵のため、ちょっと詰め込み過ぎではないかと感じるところは、残念なところです。現車に触れれぬにしても、前から、横から、後ろからと眺めて見たいというクルマも多い訳ですから。

注:No12写真は、同博物館のではなく我が地近くの伊豆天城山近くを走る「伊豆の踊子号」というバス会社のもので、博物館のイスズバスの一世代新しい型だろうと思います。













余談その1
 ボンネットバスが2台(イスズとトヨタ)がありました。ボンネットより後方は、未だリベット接合の手作りクルマです。ボンネット前は、トラックと共用で、車両メーカーで作られると。そこで、ミカンやリンゴの木箱のにわかシートで自走して、車体メーカー(架装工場)へ自走して、ボデーを作って来たのでしょう。イスズのは、川重製のボデーの様です。ここで思い出すのが、長年ランドクルーザーを作ってきた荒川車体(アラコ)のことです。現在はトヨタ車体として、トヨタグループ直結となっています。似た様な企業に関東自動車という企業もありました。本社は横須賀にあり、ルーツはスバルやプリンスと同じく中島飛行機になる企業体でした。それが、今や救急車やMR2、セラなどの少量生産車を手掛けてきたセントラル自動車などと一体化してトヨタ自動車東日本という、トヨタグループ17社に組み込まれています。

余談その2
 添付写真の最後(No13)に金箔張りのカペラがありますが、生じきって大して美しくは感じられません。艶感があまりないせいなのかもと思ったりします。これなら、金箔微粒子(フレーク)をクリアで溶かしてアジテータ付きHVLPガン(大容量低圧ガン)で塗乗せ、トップコートクリアーを厚く乗せた方が余程綺麗になるんじゃないかというのは私見です。
 ところで、奈良の大仏は現在はほとんど金箔が施されたとは見えませんが、完成当時は総金鍍金(メッキ)されていたそうです。その鍍金の仕方ですが、水銀は常温で液体で他金属を溶かし込む性質があり、その状態をアマルガムと呼ぶそうです。金を溶かし込んだ水銀アマルガムを大仏に塗り込み、松明の炎で350℃まであげると、水銀は気化して金が残るという首位方によったと聞きます。つまり、施工した職人達は、水銀蒸気を多量に吸い込み、極めて危険な労働環境であったろうと云われています。
 もう一つ、現代のクルマの整備でも多少は使用することがある光明丹のことを記してみます。光明丹とは鉛丹のことで鉛を主成分とした赤色顔料です。整備などの現場では、ギヤ歯の辺りとか、バルブフェースとシートの辺りとかを確認したり、面どうしの当たりを確認するのに使用します。なお、旧来、船舶の船底外板などの防錆塗料として使用したり、貨物車の車体フレームや車両下部の塗装に使用することも行われていた時代もありました。しかし、先の水銀の蒸気と同じく浮遊する鉛の環境下での作業は危険でしょう。


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