現在のエンジンスペックたる馬力とトルク表記は、KWとN-mとなっているが、正直いまだpsとkg-m表示でないとピンとこないのは同様の方も多いと想像する。そんなエンジン馬力とトルク表記だが、ある時期で、従来のグロス値からネット値に変わったという記憶を書き留めておきたい。
グロスとネットの一般的な意味だが、一般的にグロスとは「総量」、「総計」という意味で、ネットとは「正味」、「原価」という意味で使われる。だから、例えば給与明細で、総支給額をグロスで、差し引き支給額をネットなどと表現する場合もある。
エンジンで云えば、旧来の表記はグロス値で、これはエンジン単体テストだが、エアクリーナーとかマフラーなど付属装置※を車両のものと変えて、もしくはない状態で計測しているというものだ。新たに変更となったネット値は、測定はエンジン単体テストに変わりはない様だが、エアクリーナーとかマフラーは、車両と同じものを使用して計測したものだという。これは、KW表記になった現在でも同様のネット表記だという。
※付属装置
ラジエター、ラジエターファン、ファン、エアクリーナー、排気管など
このグロスからネット表記に変更となったのは、だいたい1986年前後だったという。それでは、何故に表記が変更となったのか、その背景を探ってみよう。これは、今次病変で米国イニシアチブで反中意識が急速に高まりつつ、世界中が同意せざるを得ない機運になっている。時を1980年代初旬にさかのぼると、日本車の対米輸出はうなぎ登りで、日米自動車戦争と云われる状態に至り、米国では解雇された自動車労働者が日本車の打ち壊しデモンストレーションを起こすまでになった。
この様な中で、米国側から日本に提訴されたのが、日本には非関税障壁があるという主張だったのだ。だから、米車が日本に輸入されないのだという論だ。そんな中、日本は対米輸出自主規制を行い、過剰な輸出増加を抑える施策を取らざるを得ない状態になった。また、北米に工場を建設し、現地生産を増やす必用に迫られたのだ。なお、この時に、既にホンダは北米工場が操業していた。
この際、米国の非関税障壁の訴えに対応するため、日本側として細々した法令の取り扱いを変えて恭順を示さざるを得なかったことがある。すべては把握していないが、記憶に残る部分として分解整備の定義として、緩衝装置(サスペンション)でコイルバネの取り外しを除外されたことを思い出す。これは、米国製ハーダーサスペンションキット(モンロー社など)の後付け品の装着を、分解整備から除外したということだろう。さらに、今回取り上げた、馬力計測のグロスからネットへの変更も、米社の計測法に習ったところだろう。しかし、結局のところ、米国は日本に積極的に売り込む努力を欠いていた。それは、右ハンドル仕様を作ったり日本向けのローカライズさに熱意を欠いていた。
この対米輸出自主規制は何をもたらしたのか。それは北米工場設立の現地生産を増やしたこともあるが、米国にとってはもっと恐ろしい結果を招いたと思える。つまり、日本は数を制限されるのなら、もっと単価の高い高付加価値の車を作らねばならないという、当然の指向に目指すことになったのだ。その結果、1990年初頭からレクサスなど高級車の開発投入で大成功し、既に人気を得ていた小型ピックアップトラックについても、さらに上級となるピックアップトラックたるタンドラなどの開発投入に結び付くことになる。
話しをグロス表記からネット表記に変更した時に戻るが、一般的には同型エンジンで表記を訂正したと云うより、新型エンジンから表記を直したものの方が多かった様に記憶する。しかし、同型エンジンで表記だけを訂正したクルマも少なからずあった。この場合、およそ10から20%くらい馬力は下がったものだった。しかし、1980年代も後半に至ると4バルブエンジンも普及した。さらに、1990年代に至ると、カムの進角機構(VVTなど)が普及しだし、それも当初のインテークカムだけから、エキゾーストカムも進角機構を内蔵するのが当たり前の時代に至り、馬力とトルクは、グロス時代を遙かに超えた。
さらに10年位前から、ダウンサイジングターボという流れになり、1500ccとか2000ccでターボ加給することで、1.5~2.0倍ほども馬力とトルクを生み出すのが時代の潮流になった。しかし、この潮流も、現在、再び自然吸気かつEGRによる給気損失低減化という方向に向かいつつある様に思える。
グロスとネットの一般的な意味だが、一般的にグロスとは「総量」、「総計」という意味で、ネットとは「正味」、「原価」という意味で使われる。だから、例えば給与明細で、総支給額をグロスで、差し引き支給額をネットなどと表現する場合もある。
エンジンで云えば、旧来の表記はグロス値で、これはエンジン単体テストだが、エアクリーナーとかマフラーなど付属装置※を車両のものと変えて、もしくはない状態で計測しているというものだ。新たに変更となったネット値は、測定はエンジン単体テストに変わりはない様だが、エアクリーナーとかマフラーは、車両と同じものを使用して計測したものだという。これは、KW表記になった現在でも同様のネット表記だという。
※付属装置
ラジエター、ラジエターファン、ファン、エアクリーナー、排気管など
このグロスからネット表記に変更となったのは、だいたい1986年前後だったという。それでは、何故に表記が変更となったのか、その背景を探ってみよう。これは、今次病変で米国イニシアチブで反中意識が急速に高まりつつ、世界中が同意せざるを得ない機運になっている。時を1980年代初旬にさかのぼると、日本車の対米輸出はうなぎ登りで、日米自動車戦争と云われる状態に至り、米国では解雇された自動車労働者が日本車の打ち壊しデモンストレーションを起こすまでになった。
この様な中で、米国側から日本に提訴されたのが、日本には非関税障壁があるという主張だったのだ。だから、米車が日本に輸入されないのだという論だ。そんな中、日本は対米輸出自主規制を行い、過剰な輸出増加を抑える施策を取らざるを得ない状態になった。また、北米に工場を建設し、現地生産を増やす必用に迫られたのだ。なお、この時に、既にホンダは北米工場が操業していた。
この際、米国の非関税障壁の訴えに対応するため、日本側として細々した法令の取り扱いを変えて恭順を示さざるを得なかったことがある。すべては把握していないが、記憶に残る部分として分解整備の定義として、緩衝装置(サスペンション)でコイルバネの取り外しを除外されたことを思い出す。これは、米国製ハーダーサスペンションキット(モンロー社など)の後付け品の装着を、分解整備から除外したということだろう。さらに、今回取り上げた、馬力計測のグロスからネットへの変更も、米社の計測法に習ったところだろう。しかし、結局のところ、米国は日本に積極的に売り込む努力を欠いていた。それは、右ハンドル仕様を作ったり日本向けのローカライズさに熱意を欠いていた。
この対米輸出自主規制は何をもたらしたのか。それは北米工場設立の現地生産を増やしたこともあるが、米国にとってはもっと恐ろしい結果を招いたと思える。つまり、日本は数を制限されるのなら、もっと単価の高い高付加価値の車を作らねばならないという、当然の指向に目指すことになったのだ。その結果、1990年初頭からレクサスなど高級車の開発投入で大成功し、既に人気を得ていた小型ピックアップトラックについても、さらに上級となるピックアップトラックたるタンドラなどの開発投入に結び付くことになる。
話しをグロス表記からネット表記に変更した時に戻るが、一般的には同型エンジンで表記を訂正したと云うより、新型エンジンから表記を直したものの方が多かった様に記憶する。しかし、同型エンジンで表記だけを訂正したクルマも少なからずあった。この場合、およそ10から20%くらい馬力は下がったものだった。しかし、1980年代も後半に至ると4バルブエンジンも普及した。さらに、1990年代に至ると、カムの進角機構(VVTなど)が普及しだし、それも当初のインテークカムだけから、エキゾーストカムも進角機構を内蔵するのが当たり前の時代に至り、馬力とトルクは、グロス時代を遙かに超えた。
さらに10年位前から、ダウンサイジングターボという流れになり、1500ccとか2000ccでターボ加給することで、1.5~2.0倍ほども馬力とトルクを生み出すのが時代の潮流になった。しかし、この潮流も、現在、再び自然吸気かつEGRによる給気損失低減化という方向に向かいつつある様に思える。
