私の思いと技術的覚え書き

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なぜリーダーは失敗を認められないのか Episode 2/2

2011-05-10 | コラム
 掲題の本のことについて、興味を感じたエピソード2例目としてIBM社での実例を記してみます。
 IBM (International Business Machines)社は、設立が1911年といいますから創業100年を迎える老舗コンピューターメーカーです。と、云っても、コンピューターの発明以前は事務用計算機などを作って来た様です。そして、大型汎用コンピューター(メインフレームと呼ばれる)である、System/360 の開発・販売に至って同社は圧倒的なトップシェアを保持する巨大メーカーとなったのでした。
 話は、若干逸れますが、当時は、コンピューターと云えば、専用ルーム一室以上を占有するメインフレームのことを指す時代でした。そんな中、圧倒的トップシェアを握るIBMに続く、他メーカーでは、IBM・System/360 用のソフトウェアが動作するコパチブルマシン(互換機)を作る様になって行ったのでした。そんな他メーカーとして、日本の日立、富士通、NECもコンパチブルマシンを作っていたのです。IBM側では、コンパチマシンへの対向処置として、ファームウェア(機器組込ソフト=PCでのBIOSと類似)を都度変更しました。コンパチメーカーでは、その変更情報を入手し自社のマシンの修正を行って来ていた様です。そんな中、米国FBIによる国策的おとり捜査により、日立、富士通の社員が不正な情報入手として逮捕される事件も起きたりしました。
 さて、本論ですが、メインフレームの巨大企業に登り詰め、世界に君臨していたIBM社ですが、コンピューター=メインフレームでない時代が始まって来たのでした。それは、MPU(マイクロプロセッシングユニット)の開発によるものでした。一室を占有したメインフレームと類似の機能が卓上で実現するパソコン(以下PC)の登場なのでした。
 しかし、IBMでは、PCをオモチャであるとし、それが普及するだろうことを否認し続け、やっと重い腰を上げましたが、本気で取り組もうという気迫に欠けたものでした。新しいIBM・PCは、ほとんどを外注とされ、ハードウェアをインテルが、OS(基本ソフト)をマイクロソフトに担わせたのでした。
 出来上がったIBM・PCは、非常に高機能で優れたものでしたが、多数のコンパチブルマシンの波間に沈んで行ったのでした。現在でも、PC用のMPUはインテルが、OS(Windows)はマイクロソフトが圧倒し続けています。もし、IBM社が本気で取り組んでいたら、現在のインテルおよびマイクロソフトの地位はなかったろうと思います。
 最後に、メインフレームはレガシーマシン(遺物)としてコンピューター市場でのシェアを落として行きましたが、全滅した訳ではありません。今でも、大企業のオンラインシステムなどを中心に使い続けられているます。



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