河口湖・飛行館見学
昨年(2021年)はコロナ病変の新規立ち上がりで、公開中止になった、表題の飛行館だが、今年は、現在何度目かの緊急事態宣言下ではあるものの、公開中と云うことで、自宅からおよそ片道60km程の同館を探訪してみた。
入口を入ると、一昨年見た、隼(1型)が天井に釣ってあり、床にあるのは隼(2型)ということだそうだ。1型と2型の違いは、エンジン馬力向上により、プロペラが2枚羽から3枚羽に変更されているところの様だ。
この復元機体は、あえて無塗装のままで展示されていますが、無塗装と云うことは粗が目立ち易く、それなりのレストア自信作なのかとも思える。
隼の製造メーカーは、中島飛行機で、先の大戦までは国内最大の航空機製造メーカーであり、あの三菱設計のゼロ戦でさえ、総生産機数2万の内、記憶だが12千機が中島製としてライセンス生産されていたそうな。
航空機はクルマと共通するところだが、その機体(クルマではボデー)の製造と、エンジンの性能の要素が大きく関わる。これは、後年のジェットエンジンの時代になっても同様で、両方のマッチングで、より機動力だとか基本性能が大きく変わる。この辺りも、三菱もエンジンを作ってはいたが、量産機には中島製エンジンの採用例が多い。
ただし、感と経験だけで飛ぶだけでなく、兵器用としては高次のネットワークシステムだとか、バイワイヤー機構に依存せざるを得ない程の、人間の生存限界を上回る限界性能などから、第3の要素としてのアビオニクスというか各種ECU制御が機種価格の半分を占めるという変化を生み出している。
クルマの話しに流れるが、今やクルマ用の内燃機関たるエンジンは、全否定とも云える状態に近づきつつある。つまり、モーターによる駆動だが、エネルギー源としてのバッテリーの密度が低いことや、充電時間を要する、繰り返し充放電による性能劣化など課題は大きい。
それと、航空機用としては、比較的小型で低速度のものを除けば、モーターによる推進というのは、所詮回転力を生み出しているに過ぎないので、ジェット推進みたいな高速流動の反力としての推進力を得ること自体が不可能であり、ジェットエンジンが消え去ることはあり得ないだろう。
追記
前から展示し続けてある彗星(すいせい)などに搭載されたアツタエンジンだが、これはドイツダイムラーベンツDB601型のライセンス生産品で、日本の空軍機としては珍しいV12配列の水冷エンジンだ。ドイツ本国では、メッサーシュミットなどに搭載して活躍したエンジンだが、幾らライセンス生産と云えども、伴う工作機械などがない現状で、同等の性能や信頼性を得るのは難しかったということを感じつつ興味深げに眺める。しかし、そんな日本が、戦後70年を経て、様々な工作機械で、常にハイエンド製品を作ってくるまでに世が一変してしまったところも感慨深い。
オリジナルDB601のスペックを眺めると、エンジンタイプV12、総排気量役34L、ボアxストローク150x160各mm、動弁形式SOHC、4弁、圧縮比7:1程、過給器、機械遠心式スーパーチャージャー、出力役1000馬力/2,600rpmてなことが読み取れる。
排気量34Lもあって、1,000馬力とは、30馬力/Lということになり、現在の無加給エンジンと比べても半分以下だ。この大きな要因は、圧縮比の低さと低速回転にあることは明らかだろう。しかし、それを生み出したのも、火花点火のオートーサイクルエンジンとしての限界を超える排気量と云うことになるだろう。これが、排気量制限のない、ディーゼルエンジンだったら、当時でも同等の出力を得ることは可能だったろうが、如何にせよエンジンが重くなり過ぎるということが背景にあったのだろう。
考えてみれば.ディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人だが、およそ最高回転数が100rpmに満たない、船舶用ディーゼルなどには、それ以前の蒸気ボイラー式より熱効率が高く採用されだした。しかし、当時のドイツ軍の戦車はタイガーとか有名だが、これら陸上を比較的低速度で動く重機関でディーゼルでなくガソリンエンジンが採用され続けたというのも不思議に感じるところだ。
昨年(2021年)はコロナ病変の新規立ち上がりで、公開中止になった、表題の飛行館だが、今年は、現在何度目かの緊急事態宣言下ではあるものの、公開中と云うことで、自宅からおよそ片道60km程の同館を探訪してみた。
入口を入ると、一昨年見た、隼(1型)が天井に釣ってあり、床にあるのは隼(2型)ということだそうだ。1型と2型の違いは、エンジン馬力向上により、プロペラが2枚羽から3枚羽に変更されているところの様だ。
この復元機体は、あえて無塗装のままで展示されていますが、無塗装と云うことは粗が目立ち易く、それなりのレストア自信作なのかとも思える。
隼の製造メーカーは、中島飛行機で、先の大戦までは国内最大の航空機製造メーカーであり、あの三菱設計のゼロ戦でさえ、総生産機数2万の内、記憶だが12千機が中島製としてライセンス生産されていたそうな。
航空機はクルマと共通するところだが、その機体(クルマではボデー)の製造と、エンジンの性能の要素が大きく関わる。これは、後年のジェットエンジンの時代になっても同様で、両方のマッチングで、より機動力だとか基本性能が大きく変わる。この辺りも、三菱もエンジンを作ってはいたが、量産機には中島製エンジンの採用例が多い。
ただし、感と経験だけで飛ぶだけでなく、兵器用としては高次のネットワークシステムだとか、バイワイヤー機構に依存せざるを得ない程の、人間の生存限界を上回る限界性能などから、第3の要素としてのアビオニクスというか各種ECU制御が機種価格の半分を占めるという変化を生み出している。
クルマの話しに流れるが、今やクルマ用の内燃機関たるエンジンは、全否定とも云える状態に近づきつつある。つまり、モーターによる駆動だが、エネルギー源としてのバッテリーの密度が低いことや、充電時間を要する、繰り返し充放電による性能劣化など課題は大きい。
それと、航空機用としては、比較的小型で低速度のものを除けば、モーターによる推進というのは、所詮回転力を生み出しているに過ぎないので、ジェット推進みたいな高速流動の反力としての推進力を得ること自体が不可能であり、ジェットエンジンが消え去ることはあり得ないだろう。
追記
前から展示し続けてある彗星(すいせい)などに搭載されたアツタエンジンだが、これはドイツダイムラーベンツDB601型のライセンス生産品で、日本の空軍機としては珍しいV12配列の水冷エンジンだ。ドイツ本国では、メッサーシュミットなどに搭載して活躍したエンジンだが、幾らライセンス生産と云えども、伴う工作機械などがない現状で、同等の性能や信頼性を得るのは難しかったということを感じつつ興味深げに眺める。しかし、そんな日本が、戦後70年を経て、様々な工作機械で、常にハイエンド製品を作ってくるまでに世が一変してしまったところも感慨深い。
オリジナルDB601のスペックを眺めると、エンジンタイプV12、総排気量役34L、ボアxストローク150x160各mm、動弁形式SOHC、4弁、圧縮比7:1程、過給器、機械遠心式スーパーチャージャー、出力役1000馬力/2,600rpmてなことが読み取れる。
排気量34Lもあって、1,000馬力とは、30馬力/Lということになり、現在の無加給エンジンと比べても半分以下だ。この大きな要因は、圧縮比の低さと低速回転にあることは明らかだろう。しかし、それを生み出したのも、火花点火のオートーサイクルエンジンとしての限界を超える排気量と云うことになるだろう。これが、排気量制限のない、ディーゼルエンジンだったら、当時でも同等の出力を得ることは可能だったろうが、如何にせよエンジンが重くなり過ぎるということが背景にあったのだろう。
考えてみれば.ディーゼルエンジンを発明したのはドイツ人だが、およそ最高回転数が100rpmに満たない、船舶用ディーゼルなどには、それ以前の蒸気ボイラー式より熱効率が高く採用されだした。しかし、当時のドイツ軍の戦車はタイガーとか有名だが、これら陸上を比較的低速度で動く重機関でディーゼルでなくガソリンエンジンが採用され続けたというのも不思議に感じるところだ。