私の思いと技術的覚え書き

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明治40年沼津駅前地図

2018-10-17 | 沼津そして伊豆周辺
 古い地図を見るのは誠に興味深いものです。この明治40年(1904年)という今から114年前の地図も、色々な思いを持って見てしまいます。

 既に明治22年に東海道本線は開通しています。その建設資材を船から降ろして鉄路まで運ぶ連絡線であって、静岡県下初の鉄道たる蛇松線が描かれています。

 この地図のころは既に沼津城の天守閣は解体されていたのでしょうが、駅から城内を南に貫く道路がこれが今のさんさん通りなのでしょう。しかし、天守はなくなっても、堀割などは未だしっかり描かれています。当然に掘りの石垣も残されていたのでいたのでしょうが、今は影も形も判りません。

 旧東海道(大名行列が歩いた道)に矢印を付してみました。旧東海道は、その後クルマの時代になり国道1号線になりますが、平町辺りから城内をかすめて東間門辺りで旧東海道とクロスする様に直線化されます。

 地図の下部に牛臥山から静浦辺りの地図が欄外として描かれていますが、既に御用邸があったことが知れます。(明治26年設営)しかし、御用邸のために作られたと聞く八軒道路(現R414号)らしき道路は未だないようです。それと、この欄外地図で牛臥山の麓に赤い四角の建物らしきものが描かれていますが、これが大山巌の別荘でしょうか。

 この地図では読み取れないのですが、今の御成橋の名称は漢字一文字で異なる様です。たぶん先の八軒道路と合わせ、天皇の行幸に合わせ新設した新しい橋を御成橋と命名したのかと思います。なお、この現御成橋相当の狩野川向こうの交差路ですが、直進と左右斜めに切れ込んだ道があります。直進は今の御幸町の市役所前交差点から、香貫大橋方面に至る道でしょう。右方向に切れ込んだ道は、今の合同庁舎(ハローワークなどある)交差点から香貫方面に至る道でしょう。この道が、八軒道路より余程古くからある道であることが知れます。

 まだまだ、興味は尽きない古地図のことですが、今回はここまでのご紹介とさせてもらいます。 


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