「うぃんぐす」

技術的にはヘタクソだけど、音楽好きの「うぃんぐす」のブログ

その後のハスラー50 

2014-08-27 | Vmax

望月山荘にずっと置きっぱなしになっていたハスラー50に乗って,長野県北佐久郡望月町望月原から小岩まで戻ってきたのは1977年早春,ようやく2浪から解放された直後でした。

体操部OB会で栂池(白馬?)までスキー合宿に行った帰り,一人だけ小淵沢で中央本線を降りて小海線経由,たぶん岩村田下車バスで望月へ。

翌日中山道を約200キロ走って小岩へ。


その後,小岩の家に置いてあったハスラー50に最初に声をかけてくれたのは,Hiropon君の弟さんでした。「乗らないんなら適正価格で譲ってもらえませんか?」

父との約束で「乗らない」ことになっていたハスラーでしたが,当時まだ手放す気はなかったので,その話は先に進むことなく終わりました。

でも「乗らない」バイクは傷むのが早い。このままではかわいそうだな,と思っていた時に,「俺に売ってくれ!」と声をかけてくれたのは,ほかならぬAkkii君でした。


その後彼はハスラー50,CB125,ホークⅡ400と順調に乗り継ぎ(記憶違いがあったらごめんなさい),ある日FZR1000というとんでもないバイクを,なんと菅原橋の自宅からTake実家まで押してきたのでありました。新小岩小岩間の約半分の距離,しかも途中には小岩大橋の登り坂がある。

「逆輸入」という言葉がまだ浸透する前の時代,Akkii君はそれをしてしまったのです。しかもですね,「まだ免許がないから押して見せに来た。」だって。押して来て,押して帰った

大型二輪免許が教習所で取れなかった時代,難関だった大型免許をどうしても取りたい,何が何でも大型に乗りたいから先にバイクを買ってしまう,という考え方はいかにも彼らしい

そういう訳で,ハスラー50にしっかり乗ってくれたのはAkkii君なのです。

写真が残っていないとずっと思っていたハスラー50だけれど,ハンドル右側の写真が1枚だけありました。

そうそう,こういうグリップだったなあ。これを握って上野から小岩まで歩いて押してきたんだ。望月から小岩まで走ったんだ。

バックは望月山荘,ミラーに映っているのは誰だろう。(Take)


最新の画像もっと見る

コメントを投稿