団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

小学校の同級生の死

2015-12-17 07:23:24 | ともだち

小学校の同級生の死

2015年12月15日(火)

 小学校の同級生が死にました。(68歳) 9月5日です。喪中ハガキで知りました。

 12月10日に、弔問しました。奥様の話によると、2年前に肺癌になり、緩解していたのですが、死ぬ1か月前から肺に水が溜まるようになり、最後は呼吸困難になったということです。

 次は、その同級生の思い出です。(仮名です。)

 

杉山良男君の思い出 

2015年12月11日 windy

 インターネットで下のサイトの映像を見てください。

 ↓

https://www.youtube.com/watch?v=nySUhtaf2QQ

 

 インターネット環境がない人の為に、あらすじを書きます。 

 中年の男性が犬と一緒に住んでいました。その関係は、人とペットというより、深い信頼関係で結びついたパートナーのようなものでした。

 ある日、男性が急病になり救急車で病院へ運ばれ、犬も付いて行きました。犬はその病院の前で男性が退院するのを待っていたのですが、数日後出てきたのは車椅子に乗った女性でした。暫くその女性を見ていた犬は、その女性に走り寄り、親愛の情を示しました。その女性には亡くなった男性の臓器が移植されていたのです。男性はドナー登録をしていたのでしょう。

 ドナー登録を推進するためのPR映像なのですが、胸にジーンとくる心温まる物語なんです。

 

 杉山君は、大学生の時に、脳腫瘍の手術を受けました。手術前に杉山君と会ったのですが、「僕は生きたい。」と言って泣いていた状況を思い出します。(当時は脳腫瘍の手術というのはリスクが高かったのです。)僕は自分ができることとして、杉山君に輸血をしました。つまりドナーになったのです。(donorの意味は「輸血の供血者」というのがあります。)それ以来、僕の血が杉山君の中で生きていて、杉山君とは何かで繋がっているように感じていました。(実際は、血液に限らず細胞は新陳代謝しますので、僕の血が残ることはないのですが、気持ち的にはそのように思っていたのです。)

 杉山君が死んだ知らせを聞いて、何かこれまでと違う喪失感を感じたのですが、それは、杉山君へのドナーになったことがあったからなのだと思います。

 

 杉山君は同級生で、まだまだ死ぬ齢ではないと思いますが、死んでしまいました。こういったことが徐々に増えていき、自分の死期も悟るようになっていくのかなと考えています。

 

 この日、同級生6人で、遺影を囲んで「偲ぶ会」をしました。

 次は誰だろうなんて、考えませんでしたよ。

 

 

 

 

 

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