小学校の同級生の死
2015年12月15日(火)
小学校の同級生が死にました。(68歳) 9月5日です。喪中ハガキで知りました。
12月10日に、弔問しました。奥様の話によると、2年前に肺癌になり、緩解していたのですが、死ぬ1か月前から肺に水が溜まるようになり、最後は呼吸困難になったということです。
次は、その同級生の思い出です。(仮名です。)
杉山良男君の思い出
2015年12月11日 windy
インターネットで下のサイトの映像を見てください。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=nySUhtaf2QQ
インターネット環境がない人の為に、あらすじを書きます。
中年の男性が犬と一緒に住んでいました。その関係は、人とペットというより、深い信頼関係で結びついたパートナーのようなものでした。
ある日、男性が急病になり救急車で病院へ運ばれ、犬も付いて行きました。犬はその病院の前で男性が退院するのを待っていたのですが、数日後出てきたのは車椅子に乗った女性でした。暫くその女性を見ていた犬は、その女性に走り寄り、親愛の情を示しました。その女性には亡くなった男性の臓器が移植されていたのです。男性はドナー登録をしていたのでしょう。
ドナー登録を推進するためのPR映像なのですが、胸にジーンとくる心温まる物語なんです。
杉山君は、大学生の時に、脳腫瘍の手術を受けました。手術前に杉山君と会ったのですが、「僕は生きたい。」と言って泣いていた状況を思い出します。(当時は脳腫瘍の手術というのはリスクが高かったのです。)僕は自分ができることとして、杉山君に輸血をしました。つまりドナーになったのです。(donorの意味は「輸血の供血者」というのがあります。)それ以来、僕の血が杉山君の中で生きていて、杉山君とは何かで繋がっているように感じていました。(実際は、血液に限らず細胞は新陳代謝しますので、僕の血が残ることはないのですが、気持ち的にはそのように思っていたのです。)
杉山君が死んだ知らせを聞いて、何かこれまでと違う喪失感を感じたのですが、それは、杉山君へのドナーになったことがあったからなのだと思います。
杉山君は同級生で、まだまだ死ぬ齢ではないと思いますが、死んでしまいました。こういったことが徐々に増えていき、自分の死期も悟るようになっていくのかなと考えています。
この日、同級生6人で、遺影を囲んで「偲ぶ会」をしました。
次は誰だろうなんて、考えませんでしたよ。
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