ミャンマー・日本語学校ブログ

ミャンマーでの生活、教育、ビジネスなど
ヤンゴン在住12年の作者がお届けします。

私営図書室 「AKUTAGAWA」

2007年07月16日 | ミャンマーでの生活
以前、学生さん紹介コーナーで登場したテッターウーさん。
ついに自分ひとりで日本語の私営図書室の開館にこぎつけた。
早速、見学に行ってみた。
場所はチャイナタウンの中にあり、建物は少々古いが室内はとても清潔。
現在のところ蔵書数は500冊だけだが、これからもっと追加していくそうだ。
日本に本を注文して船便が到着するのを待っているという。
日本語学習者にとって読みやすいように、字が大きくて、漢字のルビがふってあるもの、
写真や絵が多いものを中心に集められている。
ヤンゴン市内にあるすべての日本語学校から使用している教科書もおいてある。
とても参考になった。

俳優ドゥエーの死

2007年07月15日 | ミャンマーでの生活
今日発行のムーギン(事件簿)ジャーナル誌によると、亡くなる前日から当日の動きがわかった。
前日(7月10日)は一日中、ビデオ映画(メジャーな映画館で上映されるものではなく、ビデオレンタル店に置かれるもの)の撮影だった。
映画の撮影後、夜遅く家に帰宅し、徹夜で映画の編集を行なった。
翌日(7月11日)の午前5時頃、焼き飯を食べて午前5時半に就寝。
午前11時に起き昼食をとる。
昼食の後「徹夜で仕事をしたので疲れた。もう一度寝る」
と言ってベッドに入る。
午後1時に起きると友人に、
「先に映画のロケ地に行っていてくれ。おれは後から行く。」
と言い、また仮眠をとる。
午後3時になっても起きてこないので、起こすが全く反応がない。
急いで病院へ運び、医者に診てもらったところ、心肺停止状態とのこと。
さらに、他の救急病院へ搬送し、診察したところ午後5時30分に死亡が確認された。

ドゥエーをよく知っている生徒に聞くと、彼は以前から糖尿病だったそうだ。
家族の公式なコメントでは死因は心臓病ということだが、上記の経過からみると心筋梗塞か脳梗塞ではないかと思う。(糖尿病は心筋梗塞、脳梗塞という合併症を起こしやすい。)
年に何十本ものビデオ映画に出演しているという過労が死を早めたのではないか。
本当に悔やまれる。

スパイダーマン3を見ました。

2007年07月14日 | ミャンマーでの生活
ミャンマーでも6月22日から「スパイダーマン3」が上映されている。
連日、多くの観客を集めているそうだ。
先日(月曜日)、妻と娘にせがまれて強制的に連れて行かれて見ることになった。
場所はヤンゴン市内、トレーダーズホテル前にあり、新首都と同じ名前の「ネーピードー映画館」。
月曜日の昼下がりということもあり、客席は空席が目立った。

以下は正直な感想。
見終わって、よかったと思える点は全然なくただ「疲れた~」で、とにかく映画が無事に終わってよかったと思った。
もともと映画は好きではないが、今日のはひどかった。
これでもかと繰り返される残虐極まる暴力シーン。それに伴う耳をつんざく大音響。
娘は暴力シーンと大音響になるたびに、目を背けて抱きついてきた。
5歳の娘には無理があった。
(この映画、子どもにも人気があるのでしょうか?)

戦闘シーンは全部CGで製作され、臨場感とか迫力があると言われているが、私にとっては、映画を見ているというよりただのCG(アニメ)を見ているような気分になった。私はウルトラマン世代であるが、30年前のウルトラマンの特撮効果のほうがかえって現実味があり今でも好きだ。
それから、戦闘シーンが激しくて動きがあまりに速いために、なにがどうなっているのか全然わからない。(「今の場面、スローで再現してよ。」と何度も思った)

ストーリーも主人公の都合のよいようになっていて、なんで?と思うことがたくさんあった。

それでも今日の収穫は、娘が暴力シーンを見るのが嫌で心の優しい娘であることがわかったことだ。それだけでも、チケット代(1000チャット)を払った価値があった。


うわさは本当だった!

2007年07月13日 | ミャンマーでの生活
今回の話もガセネタだと思っていたら本当だった。(死因は違っていたが)
ミャンマー映画界でアカデミー賞を受賞したこともある俳優ドゥエーは、一昨日(7月11日)の午後5時半に心臓病のためになくなったということだ。(今日発行のMyanmar Timesより)
42歳という若さだった。
ドゥエー主演の映画を何本か見たことがある。
口をしっかり開けないで発音するので聞き取りにくいのが難点だったが、親しみやすいよい俳優さんだったと思う。
最近、映画に出てこないと思っていたが、その間ずっと病気と闘っていたのだろう。
テッテッモーウーがCMの女王なら、ドゥエーはCM王だった。
今日もテッテッモーウーと共演のCMが国営テレビで流れていた。

うわさ

2007年07月12日 | ミャンマーでの生活
噂が飛び交う国である。
妻の友人という人から突然、真夜中に電話がかかってきて、
「(俳優の)ドゥエーさんが亡くなったそうよ。」
なんでも、映画の撮影中高いところから足を滑らして落下し、今日SSC病院で亡くなったとか。
「またか。。。」と思った。
私の記憶では、有名な女優さんが亡くなったという噂が少なくとも3回あった。
ナンダーライン、テッテッモーウーウー、カインティンチー。。。。
要するに映画のラストシーンで主人公(女優)が死んでしまうというストーリーを誰かが話しているうちに、関係ない第三者が傍で聞いて、女優自身が死んだと勘違いし、その噂があっという間にヤンゴン市内中に広まってしまうのである。
思えば、この10年間にいろいろな噂があった。
1.500チャット札の〇〇番から〇〇番までは廃止になる。
みんな必死になって、手持ちのお金の番号を確かめていたっけ。
2.〇〇小学校に爆弾が仕掛けられた。
保護者があわてて、学校に駆けつけ子どもを連れて帰っていた。先生たちは呆然としていた。
3.今晩〇時〇分に地震がある。
その時間に近づくと、みんなマンションから降りてきて、地震が無事終わるのを待っていた。異様な光景だった。地震大国、日本でさえ予知は不可能なのに、なんでミャンマーで予知ができるの?
その他にも、なんとわが日本語学校が廃校になったというのもあった。
そのときは問い合わせの電話が殺到してきた。

さて、今回のドゥエーさんの件はどうだろう。
この噂が本当である確率は10%ぐらいであろうが、結果がわかればまたこのブログでお知らせする。

新クラス開講

2007年07月11日 | ミャンマーでの生活
今日から日本語の初級クラスがスタートした。
担当はまだ23歳のキンミョーダジン先生。
彼女はわが日本語学校でずっと初級から上級クラスまで学んできた。
その後6ヶ月にわたって日本語を教える研修を受けて、昨年8月にデビューした。
もうすぐ1年になるが、声に張りがあり、マイクなしで広い教室に響き渡る。
教え方も堂々として、貫禄さえ感じられるようになった。
彼女にとっては、一部の生徒のほうがずっと年上であるし、50名以上の生徒を
一度に相手にするのはかなりのプレッシャーがあることだろう。
今よりもさらに立派な先生になってほしいと期待している。

SONYのにせもの

2007年07月09日 | ミャンマーでの生活
ヤンゴン市内にある店構えの立派な電気店でMP3プレーヤーを買った。
「SONY」とでかでかと表示されていたので、それを信じて買ってしまった。
よく箱を見てみると、
1.モデル名が書いてない。
2.製造した国名、会社の住所、連絡先も書いてない。
3.製造番号もない。
4.マニュアルに9桁のコード番号が書いてない。(ソニーのマニュアルには必ず9桁のコード番号がある)
5.「JAPAN TECHNOLOGY」と思ったら、よく見ると「JAPAL TECHNOLOGY」だった。
(意味不明)
早速、ソニーの代理店に持って行って真偽を確かめた。
やっぱり、にせものだった。
こんなに堂々とにせものを売っていることにあきれてしまった。
以前なら、SONYはSANY、HITACHIはITACHI
PANASONICはPANASANIC、TOSHIBAはTOSHIBEなどよく見れば、にせものだと
区別できた。
にせものMP3の価格は43,000チャット、本物は220,000チャット。
ミャンマーでは各メーカーを扱っている電気店で買うのは避けたほうがよく、メーカーの代理店で買わないと安心できないことがよくわかった。

インヤー湖の水が溢れる?

2007年07月08日 | ミャンマーでの生活
妻の話によると、昨日の大雨でヤンゴン市内のインヤー湖(インヤーレイク)の水位が急上昇し、堰を超えてあふれ出したそうだ。
場所はミカサレジデンスやマリーナレジデンスがあるガバエーパゴダ通り付近。
ミャンマーの人たちにはあまり知られていないが、インヤー湖は人口湖で、堰を作って水を貯めている。そのため、周囲の居住区は水位より低いところに立地している。水が堰を越えたとなると、かなりの被害が出ていると想像できる。

DVDの地域制限?

2007年07月08日 | ミャンマーでの生活
まったく知らなかった。
DVD再生に地域制限があったとは。。。。。

ミャンマーで娘たちの様子をソニー製のDVDカメラで撮影し、それをヤンゴン市内で買ったDVDディスク(たぶん中国製)にダビングした。
自宅にあるソニー製のDVDデッキで再生したところ、問題なく見られた。
それを広島の実家に送ったところ、
「地域制限により再生することができません」
と表示され、再生ができなかったと父から連絡があった。
(実家のDVDデッキもソニー製品)

インターネットで関連した記事がないか検索したところ、
関係ありそうな記事を見つけた。

記事の出所
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/tv_dvd.aspx?n=MMITxw000020092006&cp=1

「リージョンコードはDVDになってはじめて導入された再生制限措置である。世界をエリアに分け、あるソフトがその地域向けに販売された製品かどうかをDVDプレーヤーが識別し、そうでないなら再生信号を出力しない。つまり、ある地域を特定するコードが記録されたディスクを再生できるのは、その地域コードに対応したDVDプレーヤーのみということだ。

 DVDが登場する1995年以前のソフト状況を考えると、SPレコード、LPレコード、CD、MDなどのオーディオメディア、そしてVHS、LD、VHDのビデオソフトはこうした特別な仕掛けはなく、テレビ放送方式による事情を除けば、海外のソフトも自由に再生できる環境にあった。ところが95年に登場したDVDは再生における地域制限方式が初めて導入された。それがリージョンコードである。

 このような地域制限方式は、特に90年代に入りデジタルコンテンツの著作権問題が大きく叫ばれるようになった後では、いかにも著作権保護のために導入されたと思いがちだが、むしろ、映画産業における権益保護を第一に考えたものである。(以下、省略)」

中国製のDVDディスクは日本のDVDディスクとリージョンコードが異なるから、再生できないということか。
しかし、日本で買った日本製の映画DVDソフトはこちら(ミャンマー)のDVDデッキで再生ができる。
一体、どういうことなのだろうか。考えると頭が痛くなってきた。



学生さん紹介コーナー(13)

2007年07月07日 | 学生さん紹介コーナー
今回はシンガポールに3年間住んだことがある、英語が上手なモーサンダータンです。
1.名前:モーサンダータン(MOE SANDAR THAN)
2.生年月日:1970年4月7日(37歳)
3.出生地:ヤンゴン市
4.住所:ヤンゴン市サンチャウン郡区
5.身長:160cm
6.体重54kg
7.職業:お父さんの仕事(穀物の売買)を手伝っています。
8.趣味:生け花(日本の生け花のように花を飾りつけるのが好きです)、フラワーアート
9.好きな食べ物:ミャンマー料理、タイ料理
10.日本語レベル:日本語能力試験3級
11.どうして日本語を勉強しているか
日本の専門学校で服飾デザインを勉強したいですから。
12.何か一言
私は1997年から2000年まで3年間シンガポールで生活しました。シンガポールでコンピューターの勉強を1年間したあと、友だちの旅行会社でチケット販売のアルバイトをしていました。
今までに3回、シンガポールに行きました。でも、本当に行きたい国は日本です。
私は37歳になりましたが、まだまだいろいろな学問や技術を勉強したいです。
特に勉強したいのは日本の服飾デザインです。日本に行けることを信じてがんばっています。
6月に日本留学試験(EJU)を受けました。
私のメールアドレスは
moesandarthan@gmail.com

電気事情

2007年07月06日 | ミャンマーでの生活
日本では人に会ったときの挨拶言葉として、
「そちらの天気はいかがですか?」とよく言うが、
当地では、
「そちらの電気はいかがですか?」となる。
でも、この2日間まったく停電がない。
本当に嬉しい!こちらに住んでいると電気のありがたさが身にしみてわかる。
今日発行の「MYANMAR TIMES」誌によると、電力省電力供給局(YESB)の担当者の話(6月27日付)として、
「天然ガスの採取が十分になされ、水力発電所の水量が十分確保できれば、ヤンゴン市内は100%、24時間電気供給が可能となる。」
「ヤンゴン市内の全域に24時間電気を供給するためには、19,000メガワット時間の電力が必要である。
現在は約17,000メガワット時間の発電量になっている。従って2,000メガワット時間が不足している。」という。
「昨年(2006年)の7月は水力発電から11,284メガワット時間、天然ガス発電所から8,013メガワット時間、合計19,297メガワット時間の電力を供給することができ、そのため24時間電気を供給できた。今年は水力発電から10,195メガワット時間、天然ガス発電から6,326メガワット時間、合計
16,521メガワット時間と発電量が落ちている。
これから本格的な雨期に入り、水力発電所の水量が増えればヤンゴン市内全域で24時間電力供給が可能となる。」とのことだ。
これほど具体的に電気事情を説明したものはミャンマーでは大変珍しいので紹介してみた。
ちなみに日本の東京電力の発電量(2007年6月)は
水力発電→1,200,000メガワット時間
火力発電→15,690,000メガワット時間
原子力発電→1,770,000メガワット時間
というふうにけた違いである。(人口も面積も違うので当然ではあるが)
昨年の日記を調べてみると、
7月4日の午後1時から2時まで1時間の停電。
7月25日の午前10時から午後6時40分まで変電所の故障により停電。
それ以外はずっと電気があった。
でも、水量が少なくなる乾期や暑期はやはり発電量が落ちるので、停電が多くなることに変わりはない。猛暑の中、長時間の停電はやはり体にこたえる。
今年は4月、5月の猛暑期間、日本に避暑しなんとか乗り切ったが、来年は耐えられるか少し不安である。

学生さん紹介コーナー(12)

2007年07月04日 | 学生さん紹介コーナー
今日は今年の日本語能力試験2級に挑戦するニンエーカインさんです。彼女は熱心に日本語の授業に出席し、学習時間は700時間を超えています。出席率はほぼ100%です。これはミャンマーでは大変珍しいです。
1.名前:ニンエーカイン(Hnin Aye Khine)
2.生年月日:1985年4月21日(22歳)
3.出生地:ヤンゴン市
4.住所:ヤンゴン市タームエー郡区
5.身長:155cm   6.体重:40kg
7.学歴:ヤンゴン経済大学会計学専攻
8.趣味:読書
9.好きな食べ物:フルーツ
10.日本語レベル:今年2級の試験を受けます。
11.どうして日本語を勉強しているか:
日本の文化や日本の社会について勉強したいです。そして日本に住みたいです。
ミャンマーとちがう文化の国で経験を得たいと思いますから。
12.何か一言:
私は3年、日本語を勉強しています。今年の12月に日本語能力試験2級を受験します。
そして2008年4月に日本に留学する予定です。
私は日本の大学で勉強するために、今、日本語を一生懸命勉強しているところです。

学生さん紹介コーナー(11)

2007年07月03日 | 学生さん紹介コーナー
今回は高等学校を卒業したばかりのキンテッテッラインさんです。
ミャンマーでは高校を卒業した時点では16歳が普通です。
日本語を勉強しはじめてまだ4ヶ月ですが、話すのがとても上手でびっくりしました。
彼女が住んでいるダラ郡区はヤンゴン河をはさんで対岸にあります。
毎日、船で通学しています。
まだ16歳なのに、しっかりとした目標をもっていることに感心しました。
1.名前:キンテッテッライン(Khin Htet Htet Hlaing)
2.生年月日:1990年9月19日(16歳)
3.出生地:ヤンゴン市
4.住所:ヤンゴン市ダラ郡区
5.身長:162cm   6.体重:46kg
7.学歴:高等学校卒業
8.趣味:コンピューター
9.好きな食べ物:ミャンマー料理で特に魚料理
10.日本語レベル:今、3級レベルを勉強しています。今年の能力試験3級を受けます。
11.どうして日本語を勉強しているか:
日本は技術が進んでいます。ですから、日本へ行って、日本の会社に勤めたいのです。
12.何か一言:
みなさん、おげんきですか。
私は日本人の友だちがほしいです。私は日本の会社につとめるつもりです。これはむずかしいです。
でも、いくらむずかしくても、ぜったいにあきらめません。私がえらんだ道について、いつもあきらめないでいっしょうけんめいがんばるときめました。私のゆめは日本へ行けるようになるとしんじています。私はきめたことをうまく行くまでやります。
私のメールアドレスは
hoshi.hhh@gmail.com
です。
よろしくおねがいします。

日本語教師の日本研修

2007年07月02日 | ミャンマーでの生活
私の日本語学校では3名のミャンマー人が日本語教師として活躍している。
3名ともこれまで日本に滞在した経験はない。
その中で一番ベテランのMMK先生を3ヶ月間、東京にある日本語学校に研修に行ってもらうことにした。
7月2日に開講する3ヶ月コースを受講してもらう。
目的は
1.日本語能力をレベルアップしてもらうため。
2.日本語学校で日本人の先生が外国人に対して、どのように教えているかを知ってもらうため。
3.日本の文化、習慣を知ってもらうため。
4.多くの日本人と交流する中で、日本人の考え方、気持ちを理解してもらうため。
5.3ヶ月滞在した経験をミャンマーでの授業に生かしてもらうため。
などである。
今朝、無事に成田空港に到着し無事に入国できたと報告があったので、安心した。
ヤンゴン出発前は、成田空港で特別審査されることを考えて、事前に想定問答集を作り、連日受け答えの猛特訓をした甲斐があった。
でも、成田空港の入管では特別審査されることなく、あっさりと通過できたとか。
これからの3ヶ月、充実した研修になってほしい。

高等学校卒業試験合格発表

2007年07月01日 | ミャンマーでの生活
3月に行なわれた高等学校卒業試験の合格発表があった。
朝6時ころから各高等学校の掲示板に合格者の名簿が貼り出された。
昨年の発表は7月31日だったから、1ヶ月早まったことになる。
受験者本人よりも両親が見に来ているほうが多かった。
本人は心配と緊張で行けないのだろうか。
一人でまとめて複数の受験番号を調べてメモしている人もいた。
たぶん塾の先生が担当した生徒が合格したかどうかを調べているのだろう。
ミャンマーでは、この試験の成績によって、入学できる大学や学部が決まる。
最高レベルは医学部である。
妻の従姉妹にあたる子(20歳)はこの試験に3回落ちている。今回が4回目の挑戦だが、結果はいかに?