25年前の1983年3月、初めてヤンゴン(当時はラングーン)に到着した。
ヤンゴンで最初に泊まったホテルがインヤーレイクホテルなのである。
(写真は現在のもの)
1970年代に旧ソ連の援助によって建設されたホテルで、当時では最も豪華なホテルだった。
しかし当時は国営ということもあって、サービスはひどいものだった。
まず部屋の鍵がかからない。
従業員がノックもせずに平気で入ってきて、「何か手伝いましょうか?」と聞いてくる。
バスタプにお湯を入れようとしたら、黒くて砂まじりの水が出てきた。
結局、お湯が出ることはなかった。
天井にはたくさんのヤモリ君がいて、「ケッケー」と大きな声で泣いている。
エアコンも音だけ「ゴー」とやかましく、ほとんど冷気が出ていなかった。
うるさいのでスイッチを切った。
まどのカーテンにはカビが生えていた。
到着したのが夜でお腹がすいたので、ホテルの食堂で食べることにした。
1階のロビーの奥が食堂になっているのだが、薄暗くてだだっ広いスペースに誰もいなかった。
奥からウエイターらしき男性が出てきたので、メニューを持ってくるように頼んだ。
ウエイターの最初の一言が
「あまりお勧めできないけど、食べますか。」だった。
注文して料理が出てくるまで30分かかった。
注文したのはミャンマー風鶏肉カレーだったが、あのまずさは半端ではなかった。
料理と一緒に出てきたパンも固くてまずくて食べられなかった。
デザートのバナナも黒く萎びていた。
ヤンゴンで最初に泊まったホテルがインヤーレイクホテルなのである。
(写真は現在のもの)
1970年代に旧ソ連の援助によって建設されたホテルで、当時では最も豪華なホテルだった。
しかし当時は国営ということもあって、サービスはひどいものだった。
まず部屋の鍵がかからない。
従業員がノックもせずに平気で入ってきて、「何か手伝いましょうか?」と聞いてくる。
バスタプにお湯を入れようとしたら、黒くて砂まじりの水が出てきた。
結局、お湯が出ることはなかった。
天井にはたくさんのヤモリ君がいて、「ケッケー」と大きな声で泣いている。
エアコンも音だけ「ゴー」とやかましく、ほとんど冷気が出ていなかった。
うるさいのでスイッチを切った。
まどのカーテンにはカビが生えていた。
到着したのが夜でお腹がすいたので、ホテルの食堂で食べることにした。
1階のロビーの奥が食堂になっているのだが、薄暗くてだだっ広いスペースに誰もいなかった。
奥からウエイターらしき男性が出てきたので、メニューを持ってくるように頼んだ。
ウエイターの最初の一言が
「あまりお勧めできないけど、食べますか。」だった。
注文して料理が出てくるまで30分かかった。
注文したのはミャンマー風鶏肉カレーだったが、あのまずさは半端ではなかった。
料理と一緒に出てきたパンも固くてまずくて食べられなかった。
デザートのバナナも黒く萎びていた。