今日、嬉しい再会があった。2003年4月から東京の日本語学校に留学した女子学生が4年ぶりにミャンマーに一時帰国し、私に会いに来てくれたのだ。
なんと、日本の会社に就職が決まったという。それを知らせるためにわざわざ会いに来てくれたのだ。会社は横浜みなとみらい21にあって電気回路(屋内配線、屋外配線)などの設計をするという。東京の専門学校で勉強し在学中に電気工事士2種を取得したというから二度驚いた。この資格は日本人でも合格は難しい。 専門学校の先生たちも驚いていたそうだ。この専門学校で電気工事士2種の資格を得た女子学生は彼女が初めてだそうだ。
彼女はミャンマーでは優秀な学生ではなかった。私の教え子の一人であるが、中級クラスで落第したこともある。彼女の話によると、日本での生活は初めはとても困ったという。言葉がわからない。だれも頼る人がいない。友達もいない。日本人の知り合いもいない。授業料が払えない。何度もあきらめて国へ帰ろうかと悩んだこともあるという。しかし最後まであきらめず、自分の道を切り開いた彼女には本当に頭が下がる。今年30歳になる彼女、日本でおおいに成功してほしいと願っている。そして、将来は習得した技術をミャンマーで生かしてほしいと思う。
今年はよいニュースが続きそうである。
なんと、日本の会社に就職が決まったという。それを知らせるためにわざわざ会いに来てくれたのだ。会社は横浜みなとみらい21にあって電気回路(屋内配線、屋外配線)などの設計をするという。東京の専門学校で勉強し在学中に電気工事士2種を取得したというから二度驚いた。この資格は日本人でも合格は難しい。 専門学校の先生たちも驚いていたそうだ。この専門学校で電気工事士2種の資格を得た女子学生は彼女が初めてだそうだ。
彼女はミャンマーでは優秀な学生ではなかった。私の教え子の一人であるが、中級クラスで落第したこともある。彼女の話によると、日本での生活は初めはとても困ったという。言葉がわからない。だれも頼る人がいない。友達もいない。日本人の知り合いもいない。授業料が払えない。何度もあきらめて国へ帰ろうかと悩んだこともあるという。しかし最後まであきらめず、自分の道を切り開いた彼女には本当に頭が下がる。今年30歳になる彼女、日本でおおいに成功してほしいと願っている。そして、将来は習得した技術をミャンマーで生かしてほしいと思う。
今年はよいニュースが続きそうである。