今回、長年のあこがれであった黒部下ノ廊下・水平歩道を縦走することが出来た。前にも記述したが渡渉等を必要としない歩道の部類では日本きっての魔境である。
この歩道、雑誌にはたまに掲載されるもののページ数が極めて少ない。写真はどれも似たり寄ったりでひどいものになると阿曽原温泉小屋が見開きの半分程を占める場合もある。反対に何故か仙人ダムのトンネルや高熱隧道の記事は見たことがない。しかし危険度が高いことの告知だけはしっかり成されている。
行ってみて分かったことであるが、説明を求められた場合確かに危険な場所という言葉が第一に出てくる。そのためカメラマンが雑誌掲載用に写真を撮ろうとしても自分の安全が確保できる撮影場所が限られ、当然アングル等の変化もほとんど見込めない場所である。このシリーズを読んで既にお気づきの方もいらっしゃるとは思うが、今回私は一眼レフを持参した。ところがこれは黒四ダムから内倉助出合までしか使えなかった。チェストハーネスを付けて胸に固定しても、歩行中に岩にカメラをぶつける可能性があり、また狭い歩道ではウェストバッグに詰め込むと出し入れが非常に厄介であった。まして二日目に至っては雨である。そのため、携帯電話での撮影となってしまった。機動性を考えてポケットカメラを持参しなかったのは大失策であった。
【内倉助谷出合付近】
今回、紅葉にはまだ早かったがこのロングトレイル、渓谷を見ただけでも非常に楽しいものだった。また実感したことであるが人間慣れとは凄いものである。とくに下ノ廊下の8時間に及ぶ長丁場にもかかわらず時間が経つに従って恐怖感が薄れ一定のスピードを維持できたというのは今思えば感心するばかりである。
それにしても今回のメンバーが声を揃えて口にした
「こんな場所にこんな道を造ろうと考えること自体が凄い。」
またそれ以上に
「こんな場所にトンネルを掘って発電所を作ろうという発想ももの凄い。」
まさにあの人が歩けるのは一年の内の一月半といわれる自然が作り出した魔境にトンネルを掘る技術が既に戦前に存在したいう事実には圧倒された。残念なことに吉村昭の高熱隧道には記載は全くないが、労働に従事したのは朝鮮人労働者との事であった。
余談であるが夏に登った北海道幌尻岳・取水ダムまでの長い林道開発もそうである。日本各地にはこのような工事の跡が多々あるらしい。
話は変わるが、下ノ廊下に対して上ノ廊下というのも当然存在する。これは黒四ダムから上流を指す。こちらは沢登りの技術が必要で一般の登山装備では無理。また更にこの上流にある薬師沢小屋より鷲羽岳の源流域までを奥ノ廊下という。
日本屈指の難峰といわれる剱岳その裏側にある裏剱の下ノ廊下・水平歩道を縦走できた今回の山行、非常な達成感が得られた。いつかまた紅葉の真っ盛りにでも行ってみたいものである。
【参考図書】
黒部・底方の声 -黒三ダムと朝鮮人 内田すえの 桂書房
黒部へ 志水哲也 白山書房
黒部渓谷 冠松次郎 平凡社
五〇歳から再開した山歩き 本多勝一 朝日新聞社
...どうもまとめの文章は苦手である(笑)
この歩道、雑誌にはたまに掲載されるもののページ数が極めて少ない。写真はどれも似たり寄ったりでひどいものになると阿曽原温泉小屋が見開きの半分程を占める場合もある。反対に何故か仙人ダムのトンネルや高熱隧道の記事は見たことがない。しかし危険度が高いことの告知だけはしっかり成されている。
行ってみて分かったことであるが、説明を求められた場合確かに危険な場所という言葉が第一に出てくる。そのためカメラマンが雑誌掲載用に写真を撮ろうとしても自分の安全が確保できる撮影場所が限られ、当然アングル等の変化もほとんど見込めない場所である。このシリーズを読んで既にお気づきの方もいらっしゃるとは思うが、今回私は一眼レフを持参した。ところがこれは黒四ダムから内倉助出合までしか使えなかった。チェストハーネスを付けて胸に固定しても、歩行中に岩にカメラをぶつける可能性があり、また狭い歩道ではウェストバッグに詰め込むと出し入れが非常に厄介であった。まして二日目に至っては雨である。そのため、携帯電話での撮影となってしまった。機動性を考えてポケットカメラを持参しなかったのは大失策であった。
【内倉助谷出合付近】
今回、紅葉にはまだ早かったがこのロングトレイル、渓谷を見ただけでも非常に楽しいものだった。また実感したことであるが人間慣れとは凄いものである。とくに下ノ廊下の8時間に及ぶ長丁場にもかかわらず時間が経つに従って恐怖感が薄れ一定のスピードを維持できたというのは今思えば感心するばかりである。
それにしても今回のメンバーが声を揃えて口にした
「こんな場所にこんな道を造ろうと考えること自体が凄い。」
またそれ以上に
「こんな場所にトンネルを掘って発電所を作ろうという発想ももの凄い。」
まさにあの人が歩けるのは一年の内の一月半といわれる自然が作り出した魔境にトンネルを掘る技術が既に戦前に存在したいう事実には圧倒された。残念なことに吉村昭の高熱隧道には記載は全くないが、労働に従事したのは朝鮮人労働者との事であった。
余談であるが夏に登った北海道幌尻岳・取水ダムまでの長い林道開発もそうである。日本各地にはこのような工事の跡が多々あるらしい。
話は変わるが、下ノ廊下に対して上ノ廊下というのも当然存在する。これは黒四ダムから上流を指す。こちらは沢登りの技術が必要で一般の登山装備では無理。また更にこの上流にある薬師沢小屋より鷲羽岳の源流域までを奥ノ廊下という。
日本屈指の難峰といわれる剱岳その裏側にある裏剱の下ノ廊下・水平歩道を縦走できた今回の山行、非常な達成感が得られた。いつかまた紅葉の真っ盛りにでも行ってみたいものである。
【参考図書】
黒部・底方の声 -黒三ダムと朝鮮人 内田すえの 桂書房
黒部へ 志水哲也 白山書房
黒部渓谷 冠松次郎 平凡社
五〇歳から再開した山歩き 本多勝一 朝日新聞社
...どうもまとめの文章は苦手である(笑)