思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

亘理町のボランティア活動も含む滞在中のあれこれ

2011-04-28 07:00:07 | 東日本大震災
18日(月)~21日(木)に4日間参加した、亘理町でのボランティア活動について写真主体で報告。
以下は僕が体験した、県外からの活動者も受け入れている自治体のひとつの亘理町に限ったことなので、ほかの自治体などでは仕組みが微妙に異なってくるだろうし、時間経過によってやり方も徐々に改善されて変わるかもしれないので、今後どこかへ活動に行かれる場合は話半分に参考程度に。
でも1日の活動の流れは、石巻市の活動に参加した人のブログなどを拝見すると似たようなものではないかと思う。
ちなみに以下の写真は流れを説明しやすいように並び替えているので、撮影日時はばらばら。

ちなみに、なぜ亘理町だったのかというと、先の投稿でも触れたように3色の旗を用いて住民の意思を尊重する点など復旧の仕組みの打ち出し方が各被災地のなかでも早く上手く、ボランティア活動関連の情報を探っていると比較的情報出しがきめ細かくて県外のボランティア参加者の受け入れ態勢も進んでいて(しかも煩雑でいつ返事をもらえるか不透明な事前申込制ではなく、当日に飛び入り参加できるのが良い。僕のように先の予定が見えにくい者にはここが重要)、それ以前に前々から僕の名前の付く自治体は全国でここだけなのでどんな感じか一度来てみたかった、ということもある。理由はこの3点。
それに元々、先月に何も起こっていなければ今月上旬あたりにふつうに東北地方の小旅で立ち寄るつもりだったし。どちらにせよ気にはなる土地だった。



ボランティア活動に参加する場合、亘理町は8時30分から受付が始まり、その直前は行列になることも。「新規」の場合は氏名・住所・電話番号を記入。ボランティア保険の加入もしていなければその場でできる(僕は宮城県入りの前に地元で「天災Aプラン=4月1日からの年間保険料490円」に加入済み)。参加2日目以降の「継続」の場合は氏名のみに省略できるが、記名は必ず行なう。
そしてその場で付箋を2枚渡され、そこにも氏名を書き、1枚はボランティアセンター(以下、センター)からの活動場所のニーズ票(引っ越し作業の確認票や伝票みたいなものか)にホッチキス留めにして、誰がそこに参加しているかを把握する。もう1枚はセンターの控え。もし何かあったときのために。
そのあとに「新規」の場合は、名字をマジックで書いたガムテープを上着の上腕の見えやすいところに貼る。これがほかの自治体では腕章を巻いたり何もなかったりするらしいが、ガムテープが最も簡便か。これがボランティア活動者の証。ただ、雨中の作業では剥がれやすいのでまた貼る必要があるかも。僕は4日間剥がれずに済んだけど。


活動するさいの基本装備はボランティア活動関連の媒体に頻出しているので割愛。ヘルメットも登山用のを持参したが、そこまで必須の現場には今回は行かなかった。あと長靴は、屋内作業で釘の踏み抜きによる怪我が相次いでいるともよく見聞きするので、僕は事前に釘の踏み抜きも防止する安全靴タイプの長靴をホームセンターで1580円で買って用意していたのでそこはぬかりなし。そこまで高質の長靴ではない人向けにも、踏み抜きを防ぐ硬い中敷きをサイズ別に貸し出していたので、活動前に長靴にそれを借りて入れればよい。現場への移動前に確認されるので、たぶんそれを入れないと現場に行かせてもらえないと思う。
そういえば、センターには寄贈された長靴も結構あって、それを借りる人も少数ながらいた。軍手やゴム手袋も結構あったな。でも基本的に各自で持参すべきでしょう。
ちなみに昼食ももちろん携行するが、実は4日目に伺った御宅では多めに差し入れを出していて(なんとミスタードーナツのドーナツとか、コンビニの惣菜パンとか、コカコーラ・ポカリスエットとか)、最初はもちろん固辞するが、押し問答が続いて結局は生ものを残すのもなんなのでありがたくいただき、昼食が浮いた日もあった。まあ稀な例だがそんなときもある。ほかにもお茶、おにぎり、みそ汁を出していただいた御宅もあった。


受付が終わると、8時30分からセンター内でニーズのマッチングが始まり、センターの「マッチング班」の方が案件を次々に読み上げていき、ここでは自分がやりたい作業を挙手制である程度選べたりする。ただ、最もニーズの多い個人宅の作業の場合はクルマを持ち込んでいる方や複数人のグループを優先的に決めていた。
例えば10人欲しい場合に、5人と3人のグループに個人で来ている人を2人付けて10人にする、みたいな。クルマを出せる人は同乗して資材の運搬もできるだけ行なえることも最初に要求し、ニーズ票に見合う人員にできるだけ近付けてマッチングしていた。
案件によっては市場の競りのように白熱することもある。基本的に泥かきや家財の移動などの体力の要る作業も厭わない、そういうことをやりたい人が男女問わず訪れているため、意外に早めにマッチングが済む。そういえば女性も毎日、参加者全体の1~2割はいたか。
ちなみにニーズの大半は個人宅の泥かきや家財・畳の移動だが、ほかにも支援物資の搬入・仕分け、役場関連のテント設営、炊き出し、避難所の年配の方の話し相手、役場の罹災証明書の発行事務補助、活動中に発見した写真やアルバムなど小物の洗浄・整理、活動者が帰着後の資材洗い、後述する「自衛隊風呂」の入浴介助(ホームヘルパーや介護福祉士の有資格者をできるだけ求めていた)、など、女性やそんなに体力に自信のない人にもできることはあり、だいたい希望どおりに参加していた模様。


マッチングが終わると、ニーズ票に関するオリエンテーションが軽くあり、先程の付箋2枚をここで渡して参加人数を確定してリーダーを決めて(だいたい経験者? による自己申告制。リーダーは緑色のビブスも着る)、その場で軽く自己紹介があったりなかったりして、そのあと作業に必要と思われる数の資材を用意して、自前のクルマで運べる人はそれを積んで(特に「ネコ」とも呼ばれる一輪車が大物だな)、活動者とともに現場へ移動。
クルマが出せない場合はボランティアセンターが用意したハイエースの送迎もあるが、その順番待ちで活動可能時間をロスするので(この時点で9時前後)、ホントは活動者全員と資材を丸々載せられる例えばハイエースみたいな大型のクルマを出せる人が多いと事はより上手く運ぶか。ワゴン車と小型乗用車と2台に分乗して行くこともよくある。
ちなみに、海岸に近い活動場所の場合は、もしもの津波警報にも随時注意しなければならないので、携帯電話で直ちに連絡が取れて何かあったときはクルマですぐに西方へ逃げ帰れるような態勢にする。


で、現場へ移動して(個人宅作業は大半は、ボランティアセンターから3~4km東の、津波被害のある地域へ行く)、だいたい活動開始が早くても実質はどこも9時30分~10時かね。
そのくらいから始めて、1時間に10分程度の休憩と昼に1時間程度の休憩を挟み、最大で15時30分頃まで活動する。と決められているのでそのとおりに作業に従事。早く終わることもあれば、人数が足りなくて思うように作業がはかどらずに翌日以降に継続案件として持ち越す場合もある。実際の現場ではニーズ票の記載だけではわからない摘み残しの作業もあるだろうから、そうは上手くいかないこともあるか。

ちなみに僕は4日間ともに個人宅へ行ったが、初日は海岸から4kmほど西の個人宅。床下浸水も比較的軽微だが、庭にうっすらとヘドロが積もっていて(そのへんが津波が最も西方へ達したあたりだそうで)、それを8人で庭や生垣を中心に取り除いたり、ついでに枯れ草をむしったり(だから実質は庭の手入れか)、細かな家財や可燃・不燃ゴミを分別してまとめたりした。
晴れの日で、マスクを着けていても埃をそこそこ吸ったかも。

2日目は7人で床下浸水で済んだ個人宅の門前のヘドロのかき出し。あとで地図を見ると海岸から約3.5kmの仙台東部道路の近所。ダメになった家財の搬出はすでに済んでいた。一輪車で何かを運んだのはいつ以来のことだろう。
そこでのもうひとつの作業が、倉庫兼鶏小屋の20cmほどの厚さのヘドロのかき出し。なんか2×2mくらいの小屋内で烏骨鶏を趣味的に数羽飼っていて、でも津波で鶏は全滅してしまったとのこと。
ヘドロだけならまだしも、ヘドロとその上にうっすら積もった鶏糞の臭いが合わさった複合的な臭いがまたなんとも。でもマスクを着けながらも10分くらいスコップを握っているうちに臭いにも慣れたけどね。
この日は雨天で、どの現場も雨が強まるなかでの作業は危険度が増すとのことで午前中で作業終了、とセンターからの指示があったが、ここでの作業はキリ良く午前中の2時間で終了した。


3日目は、いちご農家の全長71mのビニールハウス脇の泥出しを3本。でも実質は泥ではなく、仙台東部道路周辺の水田の稲の、秋の収穫後に残った根っこが津波で剥がされて西へ流れてきたもので、それを5人で延々と門前へ運び出す。稲を積むよりも一輪車で運び出す時間のほうが長く、ここが4日間で最も体力的に気張ったところ。本来は10人くらい欲しかったので、結局は翌日以降にも継続した御宅だった。
ちなみに、県外というと全国各地から活動者が訪れているが、ここでの個人的に来ていた男5人のうち3人が偶然にも埼玉県民で、作業の合間に埼玉近郊の地名がたくさん出たのが驚き。
ただ、休憩中にこの御宅の被害についても聞いた。20年超栽培しているいちご農家で、でも今回の津波で農機具はいくつかやられて、土壌は塩害によって今後4年くらいは作付ができなくなって数百万円の損失だろう、生活保護を受けないと今後立ち行かない(水・電気・ガスは大丈夫だったが家屋の床下浸水では被害が軽微と判断され、その程度では見舞金も出ないのが残念、と住民によってそのへんの温度差もあるようで)、という現実も聞いた。もちろんこちらから無神経に積極的に根掘り葉掘り訊き出すという感じではないよ。
偶然だろうが、今回伺った4件の御宅ではそこの主人たち自ら被害について切り出してくださるところばかりだった。そう考えると、一期一会の他所者であっても単に話し相手が欲しい、という避難者も結構多いのかもしれないのかも、と感じた。

4日目の個人宅は、ボランティアが数回入っていて瓦礫や流木の撤去や床下の泥出しや家財の移動はほとんど済み、その残りをやるかと思ったが実際には屋内と玄関先の清掃を中心に5人で。
床板を剥がしたところは今回初めて見たが、被災当初は大変だったんだろうなあ。仙台東部道路の東側で被害が比較的大きな御宅で、海岸から2km弱。床上どころか1階が津波でほぼ浸水したと。2mくらいか。周りの御宅では赤旗が出ていたところもあり(つまり家も放棄)、クルマで移動中の車窓からも西側よりもこの東側のほうが段違いに家の傾きや瓦礫・ゴミの搬出量が多いことからも、被害の大きさを実感する。
今も町の中心部の避難所暮らしで、時折片付けのために人手を求めるここの主人によると、亡くなった身内もいて、被災5日目に水が引いてから撮った当時の被害を記録した写真を見せてもらうと(これも僕ら活動者のほうから見せてくれ、とせがんだわけではなく、ぜひ見て知ってもらいたい、と話し好きの主人のほうから見せていただいた)、東方の松の木が流れてきて1階に突っ込み、ほかにも玄関先の道路は瓦礫ばかりでそこを乗り越えないと家に達しないくらい酷い状態だったと。
流木をチェーンソーで搬出しやすいように切り分けて少しずつ片付けて、被災から1か月でクルマも車庫に入れるくらいにまでなんとか戻っていた。最近ようやく水も出るようになった。
このときは早急にやることは済んでいてしかも好天だったこともあってか終始ほのぼのとしていたが、ここまで復旧させるのにかなりの人手がかかったのだな、と写真を見て言葉に詰まった。こういう御宅は他地域にもまだまだたくさんあるのだろうか。


活動を終えてセンターに戻ると、まずは資材を返却。最も混み合うのは15時30分~16時30分頃か。資材の大半はヘドロなどで汚れているので、それをホースによる水道水だと弱いので高圧洗浄機で洗っていた。この作業を担当するのもボランティア。
このあとに水道水で長靴の底を簡単に洗浄できるようにもなっていてそれで洗い、この帰着の時間帯にはセンター入口にはうがい薬も用意されていて、それも必ず済ませる。だいたいはここで流れ解散か。
リーダーはセンター内の「活動報告」のコーナーで、活動内容や引き継ぐ内容を報告・確認したりもする。


で、帰着後の入口には日替わりで活動者向けの差し入れが用意されているときも。
だいたいは菓子類だが(なぜか特に「うまい棒」が大量にあったりもした)、ときにはトマトやいちごが出たり、炊き出しがあったり(炊き出しでピザや豚汁もあるらしいが、行ったときはそういうのには当たらなかった)。3日目には炊き出しで焼きそばが出た。


飲み物の差し入れも甘いものも甘くないものも随時置いてあった。温かいコーヒーも砂糖付きで飲める。
ほかにも生活用品的な差し入れもあり、歯ブラシ、カイロ、タオルなどもあった。日々の息抜きのための本の寄贈も少々あった。


各地からの応援の寄せ書きもちらほら。
ほかにもボランティア活動の諸注意やウェブサイトでも随時報告している活動実績も紙で貼り出していた。後者はインターネット上で散見するに、東北地方を中心に60か所以上? 設けられているらしい被災地の各ボランティアセンターのなかでも、この亘理町のセンターはよく報じられて人もモノも多い石巻市に次いで日々の参加が多く(週末は350~400人かそれ以上のときも)、しかも比較的上手くまわっているほうではないかね。立地やライフラインの条件が比較的良いと幸いなこともあるだろうけど。
ちなみに、13日(水)の『めざましテレビ』のここを取材した様子の放送分も観ていた。


亘理町の18日付の広報。僕も町に滞在中にもらった。先週に訪れる以前は一般的な報道では亘理町はたしかに比較的少なかったようだが、被害はあり、こうして着実に活動し続けているセンターもある。


キャンプ地について。基本的にはセンターから徒歩1分のこの「町民の広場」が駐車場になっていて、その周辺の草地にテントを張るようにしている。水・トイレもある。しかもヨークベニマルが写真右奥方向に徒歩2分のところにあり、食料の入手は容易で、雨対策に注意すれば慣れると結構生活しやすいかも。
ここ以外にももうひとつ、センターから徒歩7、8分とやや遠いが「前沼公園」も駐車場兼キャンプ地に指定している。
クルマは活動のために車中泊で長期滞在の人もいるし、日帰りの人もいるし。前者は遠方のナンバーも多い。試しに20日17時現在の駐車場に停まっていた(20日の活動終了後の)クルマのナンバーを試しに100台調べると、以下のとおり。
宮城41、横浜4、土浦3、練馬3、品川3、秋田2、宇都宮2、仙台2、相模2、湘南2、山梨2、岐阜2、旭川1、札幌1、室蘭1、青森1、福島1、那須1、栃木1、野田1、柏1、千葉1、習志野1、熊谷1、所沢1、足立1、多摩1、川崎1、長岡1、長野1、松本1、石川1、伊豆1、沼津1、豊橋1、名古屋1、三重1、大阪1、和泉1、神戸1、姫路1、島根1、山口1、熊本1、だった。北は旭川から南は熊本まで、幅広いやねえ。四国の方もほかの日に訪れていたような気がする。東北地方は他所者を受け入れ難い風土、とはたまに聞くが、僕が今回滞在した、それ以前にいくらか旅した実感ではそうとも言いきれないとも思うので、外部の力をもっと受け入れてもらえるような行動をできれば、と思う。


これは先月の投稿でも触れたスノーピークがセンターに寄贈した大型のテント。基本的に団体向けに広場の奥に張りっぱなしで随時貸し出しているが、テントなしの少数の活動者のために相部屋? 対応もしているらしい。
そうだなあ、2か所全体でテントは80張くらいは受け入れられるかも。「町民の広場」だけでも最も多いときで約50張あったか。1~2人用の小型のであればもうちょいいけるかも。でも活動者が増えるであろう黄金週間は凄い混雑ぶりになるのか。洗濯ひもに洗濯物が毎日ぶら下がっていて生活感が滲み出ていたり、大型の鍋や折りたたみの椅子を持ち込んだ長期滞在っぽい人も数人いた。
この場の雰囲気を考えると、4年前の夏に青森県へねぶたを観に行ったときに毎年その時期に臨時開設しているサマーキャンプ場に少し泊まったときに似ているか、と思った。ひとつの目的に打ち込むために訪れて精神的にゆるやかなつながりと覚悟のある、というほどでもないけど共通認識がある点も似ているかも。


下の写真の町役場に近い児童センターの駐車場に設けた、自衛隊風呂。陸上自衛隊の兵庫県の第3師団(第3特殊武器防護隊)の災害派遣。兵庫県だけに「六甲の湯」という名称で無料開放していた。
基本的には、入浴時間は13~21時で、奇数日は避難者も含む地元民向けにチケットを配布して19時まではその所有者優先で、偶数日は特に制約なく誰でもどの時間帯でも入浴できるようにしていた。
僕は20日夜に行き、これは初体験。夕食時間帯のあとだったからか混んでいて30分以上並んだ。なぜかそのときは男性よりも時間がかかりそうな女性のほうが空いていたなあ。
脱衣場より奥の内部は最大で20人までに制限し、洗い場はさすがに銭湯よりも狭かったが、洗い場は湯量も温度も調節できるし、湯船は2.5m×4mと意外に大きく、もっと芋洗い状態かと思ったら洗い場の隙を見て入ればそこそこ足も伸ばせる感じだった。そのときは5日ぶりの入浴(3日活動したあと)という薄汚れた感じだったので、生き返った。日本人の心である風呂は良いねえ。
ここもしっかり秩序は保たれていて、地元の方が並んでいる様子を見ただけでは海沿いから避難している方か否かの区別はつきにくいが、ともに良い雰囲気だった。
入浴施設は、クルマで行けるところはセンターでもいくつか案内していたが(例えば名取市内のスーパー銭湯とか。地元の宿で開放しているところもあった)、でも徒歩圏内で気軽に行けるところがあるのがなお良いね。


センターから徒歩6、7分の、町役場。建物は外見では地震で大幅に崩れてはいないが内部は使えないようなので、向かいにプレハブ小屋を建ててちゃんと機能していた。災害対策本部もそのなかにあり、敷地内にはコミュニティFM局「FMあおぞら」も設置して稼動していた(79.2MHz。7~19時)。


ただ亘理町、ボランティアセンターのページでも告知しているが、5月1日(月)からは県外からの活動者の新規受け入れを一旦止めるとのこと。

この人数制限の措置は亘理町に限らず石巻市・岩沼市・気仙沼市・相馬市など県外のボランティアも受け入れる自治体やNPO団体すべてに共通することだと思うが、単に今度の黄金週間中の休日を利用して県外から訪れる人が急激に増えすぎると対応し難くなる、ということ。
もうひとつの理由は、特に被害の甚大な地域では今も瓦礫の撤去が終わっていない、まだ自衛隊や消防がばりばり活動していて一般のボランティアは立ち入り難いところも多く、そこがある程度片付かないとボランティアも手を付けられないので、ニーズが増えないためでもある。逆に、先の投稿でも触れた応急危険度判定で緑(活動は屋内・屋外ともに可)と黄(活動は屋外のみ)の判定の家屋では作業できるが、そこは片付けが日々進んでいるところにさらに大勢押しかけるとボランティアの供給過多になるため、現状では申し出はありがたいがそのように人数制限せざるを得ない、のだと思う。
だから今現在も完全に自衛隊頼みで、彼らがボランティアが活動できる範囲を徐々に拡げてくれるのを待つしかない。やることが全然ないのではなく、物理的にやりたくてもできない状況か。まあ個人宅の片付け以外にもやることはあるし、それ以前に被災地へ行かなくてもやるべきこともあるので、行けない場合は普段の生活を粛々と送るしかないか。


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